世界樹の迷宮、第五層『円環ノ原生林』の探索も架橋に近付きつつあった。  基本的に、どの階層も五つのフロアで構成されており、上に行けば行くほど難易度の高い冒険が待っている。  カズハルが先日から調査しているここは、地上から数えて25F……つまり、第五層の最上階だった。 「流石にここまで来ると、魔物も手強いな」  カズハルの言葉に、周囲の仲間たちも頷く。バノウニもアーケンも、今日は言葉少なげだ。当のカズハル本人も、そろそろ盾を持つ手が痺れてきた頃である。  だが、そんな生身の男子とは真逆に、先頭を歩く少女の笑顔は普段通りである。  カラクリ仕掛けの鋼鉄乙女、ポン子は疲れを知らず、こちらの疲労もどこ吹く風だ。 「さあさ、皆の衆っ! この調子でドンドン進むぞい!」 「ちょ、ちょっと待って……あのさ、ポン子」 「ほい? ああ、そうでした。ちょっとペースを落とした方がいいみたいですね」 「そゆこと。っていうか、さ……いいの? 君、あの人が造ったんだよね」  勿論、カズハルも手伝った。  というか、片棒を担がされた。  真鍮細工のようなポン子は、カズハルが振り向く先へと視線を放る。  そこには、ようやく追いついてきた最後尾の魔導師が、白い肌を高調させながら呼吸を貪っていた。彼女の名は、シシス。自称、錬金術師である。  極端に体力のない彼女は、膝に手を当て立ち止まってしまった。  そんな生みの親に、ポン子は無邪気な言葉をグサグサと突き立てる。 「もー、お母様ってばモヤシっ子! 冒険者は身体が資本、一に体力、二に体力! 素数の数だけ体力ですぞ、ムッフッフ」 「……煽ってるのかしら? ねえ、煽ってる? 誰よ、こんなアホを造ったの」  貴女です、とカズハルは心の中で呟いた。  個々の部品の生成を付き合ったが、基本的な設計は全てシシスが行った筈である。それを、お父様ことフリーデルが術式で組み上げたのがポン子という人格である。  見れば、バノウニもアーケンも呆れた様子で肩を竦めている。  こころなしか、二人も疲労と緊張を僅かに緩めていた。  ともあれ、ようやく呼吸を整えシシスが顔をあげる。  改めてカズハルは、地図を広げて現在地を確認した。 「ぐるっと回ってきたけど……フロアの中央、ここに近付いてる気がするな」  ここに至るまでの道程は、平坦ではなかった。  作為的に造られた森には、強力な魔物が跳梁跋扈している。何者かが残した原初の庭園は、進むほどに冒険者に消耗を強いた。  改めて仲間たちを見渡し、カズハルはそろそろ決断を下さねばならない。  無理は禁物だし、今日はかなりの距離を歩いて地図を埋めた。  そろそろアリアドネの糸を用いて、一度アイオリスに戻るのもいいだろう。 「でも、なにか……気になることがある。それは、まず……目撃例が増えてる謎の女の子。それと、もう一つ」  第四階層『虹霓ノ晶洞』から常に、冒険者たちを監視するような視線がある。それは時に、小さな少女の姿を象り現れるのだ。歌と共に姿を見せ、まるで冒険者を導く標のように振る舞う。  ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドのメンバーにも多数の目撃者がいた。  そしてもう一つ……このフロアでは最近、奇妙なものが散見されている。  そのことを思い出した、まさにその時だった。 「ふぅ、よし! だいぶ落ち着いたわ。……あら? なにかしら、あれは……光ってるのは、むむむ……謎の発光現象! カズハル、アーケンもバノウニも! あれが噂の――」  それは、ぼんやりと浮かぶ光だった。  そして、シシスが指差した瞬間……もの凄いスピードでこちらへ飛来する。  あまりにも突然のことで、カズハルは身構えることができなかった。  だが、見た……ほのかに発光する、それは巨大な魔物だ。両手の鎌はまるで死神、研ぎ澄ました殺意の権化。昆虫の蟷螂に似ているが、複眼に冷酷なまでの殺気が見て取れた。  その鎌が、空気を歌わせ振り下ろされる。  鈍い音が響いて、続いて怜悧な声が言葉を伝える。 「お母様、大丈夫ですか? いやー、これ超やべーやつですぞ……わたしも思わず本気モードでっす」  そこには、固まるシシスを庇って盾をかざす、ポン子の姿があった。彼女はフル装備の甲冑に身を包んでいるにも関わらず、驚くべき疾さでシシスを守ったのだ。  そのことを頭で理解して、ようやくカズハルも臨戦態勢を整える。  アーケンが死霊を呼び出し、カズハルも瘴気の兵装をその身に纏った。 「おい、カズハル! お前は守りを固めろ! シシスの姐さんを守んだよ!」 「こっちで援護するから、バンカーを! あれ、絶対にまともな魔物じゃないよ」  急いでカズハルは、恐怖に固まるシシスを引き寄せる。そのまま下がって、周囲を見渡す。すぐに手頃な倒木を見つけて、その影にシャベルを突き立ててバンカーを掘った。  咄嗟に造った防御陣地の中へと、すぐにシシスを放り込む。  銃を引き抜けば、怯えたシシスの声が震えていた。 「あ、あれは……そう、確か……万物を刈りしもの」 「万物を刈りしもの? シシスさん、それは」 「異国の世界樹に住まう、恐るべき魔物よ。……ッ! 噂になってた発光体の正体は、こいつだったのね」 「兎に角、シシスさんは安全な場所から援護をお願いします!」  すぐにカズハルは、仲間と共に敵へと挑んだ。  万物を刈りしものは、不気味な声を張り上げ両手の鎌を振る。  それを全て、ポン子は冷静に盾で受け止め、受け流していた。  普段のトンチキぶりが嘘のように、今日の彼女は真面目も真面目、大真面目である。そのことが逆に、万物を刈りしものが恐るべき強敵であると伝えてきた。  黙って戦いに徹するポン子は、頼もしい反面、冴え冴えとした無表情が冷たかった。  アーケンとバノウニも同様の感想を持ったようだが、手を止めずポン子を援護し始めた。 「おっしゃ、バノウニ! 死霊を盾に切り込んでけ!」 「わかった! 少し奴の力を弱めてやる……呪いの声を聴けっ!」  バノウニの振るう大鎌に、万物を刈りしものが反応して片手を振り上げる。瞬速の斬閃が、バノウニを守った死霊を掻き消し、瘴気の並走すら吹き飛ばしてゆく。  だが、バノウニが放った呪いが、僅かに万物を刈りしものを怯ませた。  不快感を感じてか、万物を刈りしものが金切り声を張り上げる。  今が勝機とばかりに、カズハルはとっておきを背の荷物から取り出した。 「トミン族は機械いじりが得意でね……こんなこともあろうかと!」 「あっ、ちょ、ちょっとカズハル! その台詞、ずるいわ! 私もずっと温存してたのに! っていうか、私も言わせなさいよ!」 「シシスさん、ちょっと下がって! こいつを使う!」  急造のバンカーの奥へと、シシスが頭を引っ込める。  それは、カズハルが手作りのトーチカを設置するのと同時だった。銃や大砲のちょっとした応用で、作りは簡単だが飛び出す弾丸は本物だ。折り畳んだ砲身を伸ばして、小型の携帯トーチカが火を吹く。  派手に砲撃音が響いて、万物を刈りしものが大きく体勢を崩す。  その瞬間を、ポン子は見逃さなかった。 「チャーンスッ! でわでわ……ファイナルアルティメットォ、ハイパーポン子ッ! ビイイイイイムッ! ――という名の徹甲榴弾!」  盾を捨てたポン子が、銃を両手で構えて突っ込む。  零距離に肉薄するや、彼女は迷わず銃爪を振り絞った。  閃光が爆ぜて、万物を刈りしものが炎に包まれる。  思わずカズハルは、仲間たちと目を見張った。 「やったか!」 「いや待って、アーケン。それ言っちゃ駄目なやつ」 「それよりポン子は!」  万物を刈りしものが崩れ落ちると、ゆっくりギギギとポン子が振り返る。彼女は静かに一言「ゼンマイ、キレタコレ……!」と笑うと、そのまま固まってしまうのだった。  ともあれ、またしてもカズハルは九死に一生を得た。  世界樹の迷宮は常に、冒険者へ死の代価をねだる危険な魔境なのだった。