アイオリスの街を、かつてない熱気が包み込んでいた。  今、世界樹の頂は冒険者によって開かれた。  人類が対峙すべき、原初の災厄と共に。  多くの者たちが挑み、今も敗北を積み重ねている。その渦中にあって、少しずつだが敵の全容が明らかになり始めていた。  そんな中、目覚めたばかりのニカノールは一人で宿を出る。  だが、そんな彼を待ち受ける影があった。 「一人で行くつもりか? ニカ」 「フォス……君も随分手ひどくやられたみたいだねえ」  夕暮れに長い影を引きずり、フォリスが棺を背負って立っていた。  見れば、あちこち包帯を巻いて満身創痍である。  それはニカノールも、ギルドの仲間たちも同じだ。  あとのことはナフムとフリーデルに任せてあるので、明日にもパーティを再編成してのチャレンジが再開されるだろう。  その前に、ニカノールは一人でもう一度試練に挑むつもりだった。 「ねえ、フォス……僕、少しわかったんだ」 「なにがだ?」 「何故、僕が世界樹に……アルコンに選ばれたか。それは、僕が不死者の一族だからってのも、あると思う」  不思議とニカノールには今、全てがクリアに見通せてるような気がした。  予定外の不死化で、ニカノールの心臓はアルコンによって世界樹に安置された。世界樹が約束する奇跡を、その守り手とも言えるアルコン自身が使ってしまったのだ。  では、何故ニカノールが選ばれたのか?  その答をこれから、繰り返し証明することになるだろう。 「あの敵は……この世の悪意を凝縮させたような、恐るべき存在だよ。確かに、あんなものを抱えたままでは、いずれ世界樹の封印は弱まってしまうかもしれない」 「だが、俺たちは負けた。今も、多くの冒険者が必死で戦ってる」 「うん。だからね……きっと世界樹は、人間が苦戦することを知ってたんだ。それだけの相手だから、僕のような人間を招いたんだと思う。僕なら、何度負けても死なないから」  ただ一度の敗北は、始まりに過ぎない。  そして、ニカノールは無限の命を勝利のために使い続ける。敗北を重ねても、その都度見えてくるものを冒険者たちに伝え、少しずつ闇を追い詰めるために。  戦いと敗北を続けて尚、学習して強くなれるのは不死者だけだ。  だが、ニカノールとて無敵の超越者ではない。  死なないだけで、痛みも苦しみも感じる一人の人間なのだ。 「ワーシャに黙って出てきちゃった。きっと悲しませてしまったかもしれない」 「……なら、生きて帰るぞ。再びここに」 「だね。今回は色々試してみたくて、アイテムを余分に持ってきた。あれだけ強大な敵でも、なにか突破口がある筈だよ」  そう、戦いは始まったばかりだ。  そして、ニカノールには敗北がイコール死ではない。  繰り返し命を使って、恐るべき敵の全てを学び取る。それは、まさに死の体現者である敵への、最大限の抵抗だ。そのためにニカノールは、世界樹に選ばれたのだから。  そんなニカノールを見やって、フォリスも小さく笑った。 「俺は……ノァンを取り戻さなければいけない。あの子が望むようにしてやった、それは俺の責任だ。そうまでして、ノァンが守りたかったもののために、俺は戦う」 「フォス、今のノァンは」  ニカノールの言葉に応えたのは、フォリスではなかった。  不意に背後で、酷く冷静な少女の声が走る。 「それはわたくしが教えてさしあげますわ」 「……ミサキ? イオンは」 「若様なら、少し休んでもらってます。ふふ……あんなに熱くなった若様、初めて見ましたもの」  彼女の名は、ミサキ。イオンのお目付け役として、一緒にアイオリスにやってきた少女だ。その正体は、複数の霊魂を身に宿したクドラク家のメイドである。  誰が呼んだか、通り名は七人ミサキ……文字通り、七つの魂が封入された怪異そのものである。だが、理知的で気が利く女性であり、ユーモアを交えた仕事ぶりはニカノールもよく知っている。  その彼女が、普段通りの冴え冴えとした笑みで語りかけてくる。 「ノァン様は、フォス様がお造りになった死体人形。そこにはかつて、七人の無念の想いが宿っていました」 「……そうだ。そして、アンデッドキングとの戦いで、その全てを出し切ってしまった」 「ええ、ええ。つまり、今のノァン様は御自身の意思や想い……本当のノァン様本人の魂だけで駆動していました。……ですが、それで力が足りないと思ったのでしょう」 「ああ。だから、俺は」  ミサキの成り立ちは、ノァンのそれに少し似ている。  そのことは、ニカノールも前々から不思議に思っていた。仲間のイオンは、クドラク家という中規模な屍術師の一族の御曹司である。主に葬儀に関わる一切合財を生業として、アルカディア大陸に何軒かの葬式場を持つ家柄だ。  それなりに古い家であり、仕える者たちにも色々とあるのだろう。  フォリスの犯した禁忌も、ミサキが生まれた頃は新しい術だった可能性もある。 「わたくしもそうですが、複数の霊魂を身に招いて制御できれば、これはとても強い力を発揮します。しかし、自分の限界を超える量を飲み込めば……」 「器である肉体を蝕みながら、際限なく暴走する。暴力の権化となって」 「そんな、フォス! じゃあノァンは!」  先程までベッドで見ていた夢が脳裏を過る。  やはり、急いで再び戦いの場に戻らなければならない。  そんなニカノールに、さらなる追い打ちが叩き付けられる。ミサキはあくまで平静を装い、静かに現実を語った。 「先程から、スゥ様の姿が見えませんわ。それで、チェル様たちが街中を探し回っているのですが」 「スゥが? ……しまった! フォス!」 「ああ。俺としたことが」  スーリャが姿を消した。  そのことを聞いた瞬間だった。  不意に、ゴトン! とフォリスの棺が鳴った。屍術師にとって棺は、武器であり死霊召喚の触媒、そしてアイテム等の収納スペースでもある。  少し気になったが、今のニカノールにはそれどころではなかった。  スーリャは、紆余曲折を経てノァンとは恋人同士だ。  冷徹な暗殺者だった彼女が、ようやく陽の当たる居場所を見つけた。そんなスーリャを照らす太陽こそが、ノァンだったのである。 「急ごう、フォス! それと……ありがとう、ミサキ」 「いいえ、礼を言われる程のことでは」 「君も少し疲れてるみたいだけど、ゴメン。結構、無理させてるよね?」 「ふふ、若様が若様ですから。わたくしも、自分の力をフルに使うのは久しぶりです」  今のネヴァモア、そしてトライマーチは怪我人だらけだ。それでも、手当と治療を繰り返しながら、動ける者だけでパーティを再編し、再び挑まねばならない。  街中の冒険者がそうであるように、最後の試練から逃げてはいけないのだ。 「若様が起き次第、ナフム様や不レッド様と今後の対策を講じましょう」 「ああ、お願いするよ。それまでに一度か二度か、僕は死に戻ってくるかもだけど」 「承知しております。なにか、そう……弱点のようなものでも見つかれば」  先日は、戦いにすらならなかった。  ただ一方的に薙ぎ払われ、防戦虚しく蹴散らされた。  だが、それで終わりにするつもりはない。  今はもう、敵の攻撃手段がかなり解析されつつある。  再び幽冥なる原初の主に対峙すべく、ニカノールはフォリスと共に世界樹の迷宮へと出発するのだった。