ニカノールは今、極限の集中力で死霊を制御する。  あまりにも巨大過ぎるそれは、幽冥なる原初の主に肩を並べる偉容だ。そして、悍ましい声を張り上げながらぶつかってゆく。  ちらりと横を見やれば、ラチェルタやマキシアが驚きに目を丸くしていた。 「やあ、無事だね? まったく、無茶をするなあ」  あの沈着冷静なレヴィールでさえ、ただコクコクと頷くしかできない。  それほどまでに、ニカノールの操る死霊は桁外れの大きさだった。  かろうじて身を起こしたスーリャが、震える声で問うてくる。 「ニカ、それは……その死霊は、なんだ。そんな屍術師の術など、見たことがない」 「ああ、これかい?」  絶叫を張り上げ、幽冥なる原初の主が死霊へと攻撃を向ける。だが、閃く稲妻も紅蓮の炎も、あまり効果がない。人間であれば致命傷の連撃を浴び続けているが、死霊はびくともしないのだ。  そう、人間の体力に数値化することもできないくらい、驚異的な耐久力を持っているからだ。 「フォス、説明してあげて。僕、これでも手一杯なんだ」 「……ああ」  そう、今のニカノールには余裕がない。  それでも、精一杯の笑顔で少女たちを安心させたつもりだ。  友人のフォリスも同じだと思うが、彼は彼で普通サイズの死霊を周囲に解き放つ。あっという間に、壊滅寸前だったパーティを守る壁が広がった。  そして、静かにボソボソとフォリスは説明を始める。 「死霊の能力やサイズは、霊的な質量に比例する。つまり……強力な魔物を触媒にして死霊を生み出せば、自然とその個体は強力なものに、なる」 「えっと、それって」  ラチェルタは呆気に取られていたが「あっ!」と声をあげた。  そう、死霊の召喚に関する基本的な仕組みは同じだ。普通に召喚する以上の個体を生み出すためには、普通ではない触媒が必要になる。  頭が回らず混乱し始めたマキシアの横で、レヴィールが呟く。 「確か、魔物を触媒に死霊を生み出す術が……ま、まさか」 「そう、この死霊は……かつて、ヒポグリフだったものだ」  第二階層『奇岩ノ山道』を守護する、強力な風の支配者……ヒポグリフ。魔獣グリフォンの子とも言われ、その翼は冒険者たちを苦しめた。  当然、ニカノールたちも随分と手を焼かされたものである。  その強敵も今は、フォリスとの連携で巨大な死霊として使役されていた。 「よし、フォス! 一気にいくよ!」 「ああ。立て直すぞ……押し返すっ!」  ニカノールたちの登場に、いよいよ荒ぶる闇が咆吼する。あっという間に、周囲を激震が襲った。あまりにも強い力に、それ自体を封印していた部屋すら崩壊寸前だ。  だが、冷静にニカノールは巨大死霊の制御をフォリスに渡す。  同時に、フォリスが生み出した死霊を次から次に突撃させた。  爆散を念じれば、無数の爆発が咲き乱れる。 「やったか?」 「いや、フォス……そういう生ぬるい相手じゃないよ。くるっ!」  吠え荒ぶ暗黒の権化は、己の絶叫で自らを高めてゆく。  悪意と敵意の塊に、さらなる力が凝縮された。  だが、その時には少女たちが立ち上がっていた。 「スゥは逃げてて! その傷じゃ無理だよ。無理はしちゃ、行けないんだっ!」 「おうっ、チェルの言う通りだぜ! ……ヘッ、あれをやるしかねぇようだな」 「ちょっとマキ、貴女ねえ……それ、いつもの『とりあえず考えてないけど言ってみた』ってのでしょ? もう、二人共私がいないと駄目なんだから!」  崩壊しかけた戦線が、再び人類の最前線として機能し始める。  アルコンは、人の世界に光を灯した。そして、輝く未来を指し示してくれたのだ。同時に、そこへと向かう過程で超えねばならぬ試練が、目の前の怪物である。  ニカノールは改めて、醜悪な死の体現者を睨んだ。  死霊を扱い、死者に関わり生きてゆく屍術師だからこそわかる。生命にとって、死は厳かであるべきなのだ。そして、望むと望まぬとに関わらず公平なものである。  だが、目の前の存在は違う。  あたら死を振りまき、摂理をも超越した死で全てを飲み込もうとしてる。 「さあ、もう少しだけ頑張ろう! そして、やばくなったら」 「やばくなったら? あの大きな死霊以外にも、なにかあるの?」 「それはね、チェル……逃げるんだよ! 全力で! 生きてれば、必ず次があるからね」  同時に、ニカノールは再び巨大死霊を引き受ける。  そして感じた……既にもう、過去最高に大きな死霊とて長くはもたない。あのヒポグリフと同等の力を持つ死霊を持ってしても、幽冥なる原初の主を抑えるのが精一杯だ。  それでも反撃を続けるニカノールは、瘴気の煙る中で目撃する。 「あれは……あの、頭の角に引っかかってるのは、ノァン!」  子犬のように懐いてじゃれつく、妹みたいな少女。そのノァンが今、力なく怪物の角にぶら下がっていた。彼女は、仲間たちを守って逃がすために力を使い過ぎたのだ。  ここからでは、生存を確かめる術はない。  だが、生きてると信じて取り返す、それだけは瞬時に決意となって立ち上がる。  そんなニカノールの意気込みが伝わったかのように、少女たちが走り出した。 「攻撃は今まで通り、私がさばくわ!」 「おっしゃあ! んじゃ、ま……行くぜっ、チェル!」 「ほいきた、マキちゃん! ボクだって、このままじゃ引き下がれないもんね」  ニカノールには今、三人の背中がとても大きく見えた。  初めて会った時は皆、自分以上にヒヨッコだったのに……それがもう、随分昔に感じられる。そして、まだまだ守ってやりたいとも思えて、術を行使させる心に力が籠もった。  おぞましい声と共に、爪と尾の攻撃が床を泡立てる。  そんな中で、レヴィールはギリギリの回避を続けて攻撃を逸していた。  そして、僅かな間隙にラチェルタとマキシアが走る。 「よぉ、チェル……名案がある。レヴィ風に言えば『私にいい考えがあるの』ってやつだ」 「えー、それ絶対駄目なやつだよぉ。……んで? なになに?」 「お前、オレの攻撃にチェインを重ねろ。オレもお前の攻撃に、同じようにチェインを連ねる。つまり」 「あ、そっか! さっきみたいにドカーンってやっても、マキちゃんとボクとで攻撃に時間差ができちゃうから」 「そゆこった! っしゃ、いっくぜええええっ!」  マキシアは時々、とんでもない無茶を思いつく。  そして、ニカノールは知っている……ラチェルタは、その無茶を絶対に無理とは思わないのだ。二人は恐らく、アルコンが世界樹と共有して見詰めるもの……人間の可能性そのものなのかもしれない。  ラチェルタの剣が稲妻を纏えば、マキシアの剣も呼応するように火焔に包まれる。  二つの剣閃きは互いに重なり、無限に連なる中でどこまでも収斂されていった。 「っしゃあ、このまま……トップギアでっ、ブチッ、抜けえええええっ!」 「マキちゃんに合わせて、マキチャンを引っ張る! これが、ボクの……ボクたちの!」 「ウルトラグレーとスペシャルにっ! 最強イカした、必殺技ってやつだっ!」  巨大死霊と取っ組み合う巨?へと、二人は吸い込まれた。雷と炎は、弾けて爆ぜ合い、一条の光になった。それが突き抜けた瞬間……それは、巨大な死霊の壁が崩れて消えるのと同時だった。  だが、明らかにダメージを感じさせながらも、幽冥なる原初の主が赤い瞳を血走らせる。 「危ないっ、二人共!」  御丁寧にドヤ顔でポーズを決めていたラチェルタとマキシアを、再び殺意が襲った。  ――筈だった。  だが、無数の氷が刃となって反撃を串刺しにする。  振り返るとそこには……信じられないことに、いるはずのない人物が魔法を使っていた。 「ニカ様っ! 後ろはおまかせを……わたしも、ワーシャも戦います!」  そこには、消耗し過ぎて蹲るフォリスの棺桶が開いている。屍術師が仕事道具などを収納するその中から、ワシリーサが立ち上がるのが見えたのだった。