世界樹の迷宮は踏破され、その謎が解き明かされた。  だが、冒険者たちの日々は終わらない。  いまだ迷宮には未知の魔物が徘徊し、その身体は歩く資材の山である。毎日新しい素材が発見され、アイオリスの街が栄える毎日が続いていた。  そんな中、コッペペは仲間と最上階を訪れていた。 「おやまあ、随分とまあ……殺風景な部屋じゃねえか」  身構え周囲を警戒しながらも、コッペペは思ったままの感想を呟いた。  世界樹の頂、そこには玄室のような大広間があるだけだ。そして、ここに恐るべき敵がいた。この星が一度死に絶えた時、旧世紀が滅びた時に残された絶望の権化。それは七本の世界樹が星を癒やす中で、このアルカディア大陸の世界樹に閉じ込められたのだ。  人の手で倒さぬ限り、人の時代は訪れない。  そうアルコンは言ったと、ニカノールが以前話してくれたのを思い出す。 「コッペペ、敵の気配はないみたい。でも、本当にそんなのあるの?」  後で背を守ってくれてるのは、クラックスだ。  他には、怪我の治りを確認したいナフムとフリーデル、そしてシシスが同行してくれている。  コッペペはへらりと笑って、伸ばした髭をさすった。 「いやあ、オイラの記憶はまだ完全じゃねえんだがよ。どうもなんか、こぉ……なにかがあった気がするんだよなあ。世界樹ってな、終わっても終わらない、みたいな」 「そういえば、確かに。帝国に生えていた世界樹も、それ自体が封印された伝承の巨神だった。そして、その力を抑え込んだあとも冒険は続いたね」 「そうなのよ、だからさ……なにかあるような気がして来ちまった」  だが、生憎とまだお目当てのものは見つからない。  それが隠された通路か、はたまたさらなる上層への階段か。コッペペには具体的にはわからないが、なにか確信にも似た期待があった。ひょっとしたら自分は記憶を失う前、そういう旅を続けてきた人間なのかもしれない。  そうは想えても、決戦を終えたこの場は静まり返っていた。  それでコッペペは、熱心に壁や床を調べるシシスの背後に忍び寄る。 「凄い、凄いわ……材質はなにかしら? 木材や石じゃない、もっと未知の、ヒャウッ!」 「おほーっ! シシスちゃーん、かわいいお尻を突き出しちゃって、なーにしてんのかなあ?」 「ッ! コッペペさん、勝手に触らないでくださいっ! 今、この部屋をあれこれ調査中なのだわ!」 「断わりゃいいの? んじゃあ、もう少し触らせてほしいなあ?」 「あーもぉ、このスケベジジィ!」  手痛い平手打ちがコッペペを襲った。  痩せても枯れても流石は貴族様、プライドが高くて気が強い。  ちらりと振り返れば、見てたであろうナフムとフリーデルが視線を外してくれる。しかし、二人共笑いを噛み殺して肩を震わせていた。  ――よしよし、いい感じじゃないのぉ?  コッペペはひりつく頬をなでつつニヤリと笑う。  そして、その意味をわかっているのはクラックスだけだった。 「コッペペ、やはり先に進む道はないみたいだ。けど……厄介なことになりそうだよ?」 「だろぉ? オイラの勘は当たるのさ! 当たらなかった時ゃ、そいつは勘じゃなくて思い過ごしだ」 「つまり、当たる確率は100%?」 「ああ、当てた確率が100%だ」  そして不意に、部屋の空気がどんよりと澱み始める。  どこから湧いて出たのか、あっという間に濃密な魔素が奔流となって一箇所に注いだ。  異変に気付いたナフムとフリーデルが、慌てて武器を構える。  調査に夢中のシシス以外、誰もが緊張感に身を強張らせた。 「オイオイ、おっさん! どういうこった! こ、こりゃ……まさか」 「ナフム、そのまさかじゃねえの? 世界樹の迷宮は神秘の宝庫だ。どういう理屈か知らんけどねえ、倒した魔物が繰り返し蘇ることもある」  そう、世界樹の迷宮自体が意思を持つ、一つの生命体のように。  体内に迷宮を持つ世界樹は、確かに生きている。だとすれば、その内部の魔物たちもまた、世界樹によって生かされてることも考えられた。自然界で動物同士が、あるいは動物と植物が持つ共生関係に似ている。  先日もニカノールが、蘇ったヒポグリフを一匹まるごと巨大な死霊にしたばかりだ。  そして、この部屋に蘇るその姿は、見るもおぞましい巨躯となって吠え荒ぶ。  慌ててフリーデルがシシスに駆け寄った。 「お、おいっ! シシス、調査は終わりだ、こっちに来いよ」 「ああ、いいところに、フレッド! 少し削って持ち帰ろうと思うの、力仕事は――」 「本当に度し難い研究馬鹿だな、君は! まったく!」  ヒョイとフリーデルが、小脇にシシスを抱えて走る。  二人が居た場所を、巨大な尾の一撃が薙ぎ払った。  援護射撃をしつつ、ナフムがバンカーを作って仲間たちを呼ぶ。だが、銃も盾もぶら下げたまま、コッペペはそびえる威容を見上げていた。  目の前に今、死という概念そのものを凝縮した闇がある。  若者たちが自力で乗り越えた、原初の邪悪そのものだ。 「いやあ、凄いねえ。これ、伝承のの巨神よりもっと凄い感じがするな」  気付けば隣に、全く緊張感のないクラックスが立っている。  ニコニコと笑顔だが、その目だけが笑っていなかった。そして恐らく、コッペペも同じ目をしている筈だ。瞳に燃えるは、無謀な好奇心と冒険心。 「まあ、なんだなあ。言ってみれば多分なあ、クラックス。こいつぁ、残り滓だ」 「ああ、ニカたちが倒した本体の?」 「そうじゃねえかなあ。いや、おぢさん肌にビリビリするほど殺気を感じてビビってるけどよお」 「……怖いけど、怖過ぎないね。恐らく、オリジナルの数パーセントってとこじゃないかな」 「なら、やるかねえ」 「うんうんっ、やろう。やっちゃおう!」  絶叫とともに稲妻が襲い、絶対零度の嵐が吹き荒れた。  だが、コッペペのかざした盾が攻撃を受け止める。その盾の大きさ以上の範囲が、老練なる冒険者の腕っぷし一つで敵意を遮断していた。  背後でバンカーから、ナフムが盾を捨てて走ってくる。 「よぉ、ナフム! お前さんもやるかい?」 「あったりまえだ! やるじゃねえか、おっさん」 「だろう?」 「今度は俺の……俺たちの番だぜっ!」  ナフムが愛用の中に、ロングバレルを注ぎ足し両手で構える。  それは、クラックスの輪郭が解けて膨れ上がるのと同時だった。振り下ろされた敵の爪と牙とが、ほのかに光る残像を引き千切る。  その時にはもう、真の力を解放したクラックスが宙を舞っていた。 「チェルが頑張ったんだ、だからもう……ずっと消えててもらえると嬉しいな」  黄金に輝く巨大な蜥蜴が、月光の如く冴え冴えと光る爪を振るう。その苛烈ながらも優美な刃の舞いを、コッペペはどこかで見たような気がした。  かつては敵で、そして仲間だったらしい。  だから、クラックスの本気の姿を以前目撃していたのだろう。 「おっし、ナフムッ! 一発デカいのぶちこんでやんなぁ!」 「おうっ、お見舞いっ、するぜっ!」  一撃必殺、バスターカノンが火を吹いた。全身で踏ん張ったにも関わらず、射撃の反動でナフムが煙をあげて背後にノックバックする。  そして、幽冥なる原初の闇の、その残滓は……クラックスに致命打を浴びた直後に撃ち抜かれた。その全身が、ボロボロと綻びてゆく。  誘っておいてなんだが、大したものだとコッペペは思った。  そして、背後に突然現れた気配に笑顔で振り向く。 「いやあ、用心はするもんだなあ? それで……お前さんがアルコンちゃんかい? ちょっと、そのかわいい顔を見せてくれよ」  そこにはいつの間にか、あのアルコンが立っていた。そして、被ったフードをゆっくりと脱いでゆく。闇が晴れてゆく中で、眩い光が広間を七色に照らし出すのだった。