最後の冒険、大冒険……第六迷宮『赤方偏移ノ回廊』の探索は続く。  それが例え牛歩の歩みであったとしても、確実に調査は前へと進んでいた。星々の波濤を乗り越え、いつか冒険者たちはアルコンを故郷へと導くだろう。  その確信が不思議とあって、カズハルも最近は妙に張り切っていた。 「カズハル、ちょーっちいーですかー? デヘヘ」  今日も今日とて、採集を中心にカズハルは仲間と冒険していた。第一迷宮『鎮守ノ樹海』のマッピングは完璧に終わっており、周囲には新米らしきパーティがちらほら闊歩している。  ここにはもう、スリルもサスペンスもない。  それでも、最初の一歩を踏み出したルーキーにとっては危険な迷宮に変わりはなかった。  そして、カズハルの肩をちょいちょいと叩く冷たい手。 「なんだ、ポン子」 「あのですねー、そろそろネジを巻いてほしいなーと思って」 「ああ、珍しく今日は沢山働いたもんな、お前」 「ですです! エッヘン!」  この、少しイラッとくる竜騎兵の名は、ポン子。自称天才錬金術師のシシスが生み出した、ロジカル・コンポーネント・オートマトン……要するに自律機械人形である。  カズハルも部品の研磨や精製を手伝った訳で、生みの親の一人である。  だが、開発者のシシスがお母様、感情回路のコーディングをしたフリーデルがお父様(オマケに、フリーデルの義兄弟であるナフムをおじ様と呼ぶ)なのに、カズハルだけは呼び捨てなのだ。しかも、ちょいちょい煽ったりおちょくったりしてくる。 「はいはい、わかったわかった」 「んじゃま、失礼して、と……そぉい!」  鎧の留め金を外して、ポン子が背中を向ける。  着衣の舌には、白磁のようにすべやかな金属の身体があった。ちょうど背中に、専用のネジを突っ込んでゼンマイを巻く穴がある。基本的にポン子は、巻かれたゼンマイが戻る力で別のゼンマイが巻かれ、そのゼンマイが元のゼンマイを巻きながら運動エネルギーを生む……つまり、永久機関だ。  だが、激しい戦闘が続くと入力より出力が多くなるため、手動でネジを巻く必要があるのだ。 「あへへ、優しくして、ください、ね……うっふーん」 「うるさい、馬鹿。……でもまあ、この辺りさ……なんか妙じゃないか?」  静かな森はいつもと変わらず、鳥がさえずり虫たちが歌っている。だが、ここまで何度か戦闘を重ねたことで、カズハルははっきりと違和感を感じ取っていた。  それを、いつも一緒のアーケンとバノウニが拾ってくれる。 「そういや、妙だよな。こんなに手応えのある魔物、第一迷宮にいたか?」 「そだね、アーケン。異常な強敵ってほどじゃないけど、ある場所を堺に突然敵が強くなった」 「……あの、鍵のついた扉をくぐってからじゃねえか?」 「あっ、確かに……そういえばこの辺り、ごくごく最近別のギルドがマッピングしたんだよね。この辺は一応、新米さんには入らないよう注意喚起しとこう」  そう、敵が強い。  そして、見知らぬ素材がちらほらと散見される。  この場所に来る少し前、不思議な封印の施された扉をくぐってからだ。長い冒険の中で、ネヴァモアとトライマーチは不思議な鍵を入手していた。迷宮の奥深く、まるで隠されるように置かれた宝箱から出てきたものである。  その鍵は、各迷宮の閉ざされた扉を開放した。  だが、得られたのは金銀財宝ではなく……このように、奇妙な地図の空白地帯への道のりだったのである。 「あー、そこそこ、きっくー! カズハルはほんと、ネジ巻きが上手だぞい!」 「はいはい。よし、こんなもんだろ」  ポン子のネジを巻き終え、カズハルは大きなネジの持ち手を引き抜き、それを持ち主に返す。受け取りつつ鎧を再び着込んだポン子は、こころなしか先程より調子が良さそうだ。  キュイン、キュイン! と全身の関節を鳴らしてみせて、彼女は軽くその場で身体をほぐす。  そうこうしていると、少し先の様子を見てきた少女が戻ってきた。 「みなさん、この先に階段が……それも、上り階段がありました!」  セーラー服のカラーを翻して、あさひが剣を手に現れる。  カズハルもそうだが、彼女の装束は古き文明の名残だ。遠くエトリアの地下に封印された、シンジュクという古代都市の遺跡に暮らす民、トミン族のものである。  セリアンに育てられたあさひが、何故トミン族の服を着ているのか?  そのことは前から少し気になっていたが、カズハルは聞こうとしたことがない。  誰にでも過去はあるし、それが眩しく輝かしいものばかりでないことは知っている。それに、女の子にあれこれ詮索をするのは、モテない男がするもんだぜ! とアーケンやバノウニも言っていた。特に気がなくても、それがエチケットなのだと納得していたのである。 「あさひ、他に変わったことは?」 「えっと、地図を見てみると確かに……一つ上のフロアに、空白地帯があります。北側ですね」 「どれどれ」  地図を重ね合わせるあさひの手元を、近寄ってカズハルは覗き見る。  よく見れば確かに、この先に階段があるみたいで、しかも上へと戻る階段だ。だが、その上のフロアの地図にはまだ、同じ座標の下り階段は記されていない。  恐らく、この下の地図を書いたギルドは、階段の発見で一区切りとしてアイオリスに帰還したのだろう。彼らが生きていれば、それは賢明な判断だ。  そして幸いにも、今日のカズハルたちにはまだまだ全然余力がある。 「えっと、ここから2Fに戻って……その先に、なにがあるんでしょう」 「さ、さあ」 「楽しみですね、ワクワクですねっ! カズハルくんもワクワクしませんか?」 「ま、まあ。……厄介なことにならなきゃいいけど」 「大丈夫ですっ、厄介事をやっつけるのも冒険者のお仕事ですからっ」 「……ちょ、ちょっと、顔、近いって」  明朗快活でハキハキ喋るあさひの、その顔が驚くほど近い。同じ地図を見ていたからか、自然と密着の距離になっていたのだ。かすかに整髪料の匂いがして、花か果実の香りが鼻孔をくすぐる。  慌てて離れつつ、カズハルは妙な胸騒ぎを感じていた。  それは、アイオリスで冒険者家業を初めて身についた……根拠のない直感のようなもの。虫の知らせとでも言うべきか、何度となく危険を感じて用心したからこそ今も生きている。 「あ、そういえばっ! あの、ついさっきそこで……ジェネッタさんに会いました」 「へ? あの、宿屋の看板娘の?」 「はいっ。なんでも、お友達に会いに行くとか」 「こんな場所でか? っていうか、友達できたんだ!? ほら、友達がいなくてぇ〜、とかって前に愚痴ってたからさ」 「よかったですねっ、ジェネッタさん。そっかあ、お友達ができたんですね」  世界樹の迷宮で会うということは、新しい友人は冒険者なのだろうか? 一応、ジェネッタも第一迷宮程度ならば、パンを焼くために闊歩しているようだが……奇妙な不安が頭から離れない。 「よし、あさひ。少し強い魔物も出ることだし、ジェネッタさんをおいかけてみよう。みんなも、いいかな? この先の階段の上、2Fの空白地帯を……って、おい」  振り返ると、アーケンとバノウニがニヤニヤしていた。ポン子に至っては、おおよそ機械らしからぬいやらしい笑みを浮かべている。ヒューヒューと口笛が吹かれ、バノウニはギターでなんだかムーディーな即興歌を奏で始める。  そういう中じゃないことを知ってて、仲間たちはおどけているのだ。 「いやあ、カズハル! 隅におけませんねー? これは帰ったら、お母様に報告じゃい!」 「う、うるさいよ、ポン子! 外野も! ったく……ここから先は緊張感、頼むよホント」  こうしてカズハルたちは、未知なるフロアへと歩み出した。  その先に、驚くべき強敵が待ち受けているとも知らずに。