階段を昇ると、そこから先は未知の原生林。  風景こそ普段と変わらないが、第一迷宮『鎮守ノ樹海』とは思えぬ殺気が周囲に満ちていた。ここはもう、初心者が通う最初の迷宮などではない。  カズハルは一歩進むごとに地図を確認し、新たな道のりを書き記してゆく。  そんな時、先頭を歩いていたあさひが立ち止まった。 「ん、どした?」 「カズハル君、静かに。あれ、ジェネッタさんです。でも、なんだか様子が」  森の奥に、視界の開けた広場がある。  その中央で、ジェネッタは何故か笑顔で誰かと話していた。  そして、戦慄にカズハルは思わず叫びそうになった。  声をあげずに済んだのは、すかさずあさひが手で口を塞いでくれたから。振り返れば、アーケンとバノウニもお互いの口を手で抑えている。  この場の誰もが見た……ジェネッタの前にいる、巨大な植物の魔物を。彼女が友達と呼んでいたのは、あれだろうか? 青々と茂る葉と、毒々しいまでに鮮やかな花びら。その中央に、人の姿を模した魔物の核がある。 「なんてこった……ジェネッタさんの言ってた友達って」 「はい、驚きました。カズハル君っ、ジェネッタさんは……魔物とも友達になれるんですねっ!」 「馬鹿、そこじゃねえよ。でも、見たこともないタイプだ。しかも、でかいぞあれ」 「今の戦力ではリスクがあるかもしれません。幸い、ジェネッタさんには無害みたいですし」  そう、へらりと笑うジェネッタは、一生懸命に魔物の前で話している。身振り手振りを加えて、まるで本当の友人に接するように楽しそうだ。  どこか天然で掴みどころがないところがあるが、ジェネッタは器量よしの純真な女性である。そんな彼女の夢を壊すかと思えば、少し胸が痛む。だが、この魔物は放置できない……まかりまちがってルーキーが迷い込めば、餌食となることは明白だ。 「よ、よし、あさひ。みんなも。一度、戻ろう」  カズハルは物音を立てず、最新の注意を払ってポーチからアイテムを取り出す。アリアドネの糸で帰還して、まずはギルドのニカノールたちに報告だ。それから急いで討伐隊を編成して、ジェネッタが無事なうちに救出に戻ってくる。  大丈夫だ、間に合う筈だ。  もう一度見てみるが、ジェネッタを前に魔物は笑っている。  それは文字通り、蕾がさやめくような笑みだった。 「そういえば、カズハル君。昔、お母さんから聞いたことがあります。遺都シンジュクの上層、エトリアの世界樹の迷宮にも……とても恐ろしい植物のモンスターが出たとか」 「ああ、アルルーナかな? かなり強い冒険者じゃないと、相手にならないやつだ。なに、あさひってエトリア出身? じゃ、ないよな」 「ふふ、わたしは山都生まれの山都育ちです。でも、お母さんは……この服を遺してくれたお母さんは、もしかしたらエトリアの方からやってきたのかもしれません」 「ありえる。だってそれ、トミン族の間じゃよく掘り出される民族衣装だし」 「そうだったんですか。ふふっ、どこかカズハル君の服に似てますね、そういえば」 「や、似てはいないけど……妙だよな、収まりがいい感じはする」  そんなことを言っていた、その時だった。  ピクン! と頭の耳を揺らして、ジェネッタが振り返った。  忘れていたが、セリアンは耳がいい。  そして、彼女の笑みにカズハルたちは硬直してしまった。 「あーっ、冒険者さんっ! いいところに来ましたぁ。お友達を紹介しますよぉ、デヘヘ」  即座にアーケンが、周囲に死霊を呼び出した。  バノウニも瞬時に瘴気兵装を呼び出し、暗き闇を纏う。  だが、遅かった。  ジェネッタの声で、植物の魔物はこちらに気付いた。その時にはもう、蔦が触手のようにうねり迫って、カズハルたちの退路が断たれてしまう。  状況が全くわかっていないジェネッタだけが、呑気に笑っていた。 「ウチの友達の、ドリアードちゃんですよぉ。もう、意気投合しちゃってえ」 「ジェネッタさんっ! そいつ、魔物だっ!危ないから逃げて!」 「そう、そうなんですよぉ。なんていうのかなー、ウチの真心が魔物にも通じたんだなー、って。感動ですよねえ、ちょっといい話過ぎて、ウチ、ウチ……」  駄目だ、早くなんとかしないと。  即座にカズハルは、背負っていた盾を下ろすと同時に身構える。ほぼ同時のタイミングで、合金製の盾に衝撃が走った。  ドリアードとかいう魔物の殺気が、金属越しにカズハルに突き刺さる。  なんとか初撃をしので、仲間を守ることができた。  だが、もう逃げ道は塞がれてしまったに等しい。 「おう、カズハル! ナイスだ! んじゃ、もうやるしかねえな! いくぜ野郎どもっ!」 「カズハル、さっきの話だと君の故郷にも似たような魔物がいたんだよね? なにかこう、ない? 弱点とか、傾向と対策とかさ」  アーケンとバノウニに並んで、カズハルも銃を抜く。  そして脳裏に、故郷での記憶が蘇った。 「確か、そう……アルルーナ。そういう魔物がいるって聞いたことがある。みんな、気をつけて! 多分、このドリアードも、危険な状態異常攻撃を複数持ってるかもしれない」  エトリアの世界樹には、恐ろしい魔物が巣食っていた。その名は、アルルーナ……貞淑な乙女の顔をした、凶暴な妖魔だ。何人もの冒険者が、その可憐な容姿を裏切る殺意に飲み込まれていったのである。  どことなく、このドリアードも雰囲気が似ていた。  カズハルはアルルーナを見たことはないが、想像していた姿にドリアードは酷似している。 「ジェネッタさんっ、下がってください! その魔物は危険過ぎますっ」 「えぇ〜!? いい子なんだよぉ、ドリアードちゃんは」 「ごめんなさいっ、きっと多分っ、悪い子ですっ」  あさひが抜刀と共に跳躍する。  瞬足の居合斬りが、光の軌跡を描いて放たれた。  だが、次の瞬間……短い悲鳴が響く。  まるで空中に貼り付けになったように、あさひが全身を蔦に絡め取られていた。そのまま絞り上げられ、彼女は刀を落としてしまう。 「あさひっ!」 「だ、大丈夫です……っ、んんっ! や、やだ、身動きが」 「アーケン、死霊を! バノウニは俺と来てくれ!」  ドリアードは今や、中心に怒りの乙女を内包する暴力装置だった。蠢く無数の蔦をしならせ、次々と攻撃を繰り出してくる。  防戦一方のカズハルたちだったが、逃げ出そうにもあさひが捕まっている。  必死で抵抗するも、攻撃は手応えを感じぬままに疲労感を連れてきた。  全滅という言葉が脳裏を過る。  そして、そんなカズハルたちを嘲笑うように、ドリアードの全身から花粉のようなものが撒き散らされた。広間に充満したよどみの中で、雷が閃き炎が舞い上がる。 「くっ、やばい……複数の属性攻撃が同時に。みんなを、守らなきゃ……みんなを」  耳をつんざくような絶叫がほとばしる。  もはやドリアードは、獰猛な魔性を隠そうともしない。  その恐るべき怪異に、全てが飲み込まれようとしていた、その時だった。 「おおー、あれが噂の触手プレイ! なるほどなるほどー、はいはい、完全に理解っすー? んじゃま、ちょーっち本気出しますかー!」  今までなにをしてたのか、最後の仲間がズシャリと身構える。  カズハルは視界の隅に、珍しく真剣な評定をしたポン子の勇姿を見るのだった。