またしても、世界樹の迷宮で冒険譚が生まれた。  ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドは死者の国にて、恐るべき怪物を討伐したのである。伝説の竜の、死せる骸……それは邪悪な怨念が宿ってドラゴンゾンビと化したのだ。その驚異を退けたことで、再び第三階層『晦冥ノ墓所』は静けさを取り戻したのだった。  その功労者の一人であるヨスガは、珍しくジェネッタの宿にいた。  自慢の脚線美も今は、骨折でギブスに包まれている。暫くはバーテンダー家業もお休みで、一人の部屋では不便だからとこの場所で静養することになったのだ。 「しかし、運がいいぜ……お前さん。ドラゴンゾンビと戦って、脚の一本で済んじまうたぁな」  ドスの効いた言葉が、不思議と少女の声で響く。  ベッドの上のヨスガは今、ブラニーの少女エランテと話しているのだ。正確には、覚めぬ眠りにまどろむエランテの同居人、クァイとである。  クァイは夢魔の類らしいが、詳しいことはヨスガにもわからない。  ウィットに富み、風流を愛するナイスミドルらしいが、その正体を詮索する必要は誰も感じていなかった。彼がエランテを操り、祈祷師の秘術で仲間を助けてくれる……それだけで十分なのだった。 「クァイ様、笑い事ではありませんよ。正直、死ぬかと思いました」 「まあ、ジズベルトの旦那がいてよかったじゃねえか」 「ええ、まさしく轟破の拳ですね。助かりました」 「お前さんも頑張ったじゃねえか。名誉の負傷ってやつだなあ」  先程からクァイは、眠れる少女になにかを書かせている。  まじないのような古い文字が、ヨスガのギブスに墨で刻まれていた。聞けば、古来より骨折にはこうする作法があるらしい。  そういうものなのかと、ヨスガも折れて釣られた脚を見やる。  店のカウンターに立てないことは勿論、これでは迷宮の冒険も無理だ。メルファは笑って許してくれたが、夢見の夜魔亭にたちの悪い客がこないことを祈るばかりである。  そうこうしていると、借りている部屋が急ににぎやかになり始めた。 「やっほー、ヨスガー! お見舞いにきたよー!」 「おっ、なんだ? クァイのおっちゃんも一緒じゃんかよ」 「こんにちは、お加減いかがですか? ほらっ、チェルもマキも、ちゃんとご挨拶して」  かしまし三人娘の登場だ。  ラチェルタとマキシア、そしてレヴィールが仲良く連れ立ってやってきた。ヨスガがこの部屋に逗留し始めてから、見舞いの客が絶えたことがない。ドリンクをサービスできないのが申し訳ないくらいである。  三人は早速、クァイがやってるおまじないに気付いて瞳を輝かせた。 「なになに? こうすると早く治るの?」 「よっしゃ、クァイの旦那! オレも一筆書いてやるぜ!」  まあ待て待てと、クァイが笑う。あどけない少女が絶対にしない、ニヤリとした渋みのある笑みである。だが、閉じた瞼の奥から感じる視線はとても優しげだ。  時々彼は、ヨスガの客となって酒を飲む。  宿主であるエランテを気遣いつつ、ちびちびと晩酌を楽しむのだ。  女も男も抱かず、酒だけの常連客というのは実は、結構多い。  ヨスガには、酒すら飲まない馴染みの客すらいるのだ。  その人物が、珍しく顔を出してくれた。 「ありゃ? なんだ、フォスじゃねえか。どした、入ってこいよ!」  まるで自分の部屋のように振る舞って、マキシアが振り向く。  ドアのところに、小さな影が立っていた。相変わらず暗い表情をしているが、これが彼の普段の素顔なのである。屍術師のフォリスは、珍しく花を手に現れた。  今日はいつも一緒のノァンがいないようである。  自然とヨスガは、フォリスと目が合って微笑んだ。  彼もまた、少しほっとしたように小さく頷く。 「こんにちは、フォス様。ふふ、少しお見苦しい姿ですが」 「いや……ノァンから聞いた。酷いのか?」 「いえ、綺麗に折れてるそうで」 「そうか」  フォリスは、ちらりとラチェルタたちを見て首を傾げた。  ラチェルタは今、マキシアと一緒にノリノリで筆を走らせている。ヨスガの脚はもう、ギブスというより一種の前衛芸術と化している。  でも、なんだかとても嬉しい。  ラチェルタは絵も交えて、楽しそうに励ましの言葉を並べてくれた。  マキシアも、なんだかむず痒くなるような謳い文句を書き込んでくれている。  そして気付けば、クァイも頬を崩しながら三人娘に語りかけていた。 「おう、そうだ。レヴィ嬢ちゃん、花を花瓶にいけてやんな」 「え、ええ、そうですね。フォスさん、花を」 「ささ、チェルもマキもお手伝いだ。俺もこう見えて忙しいからな」  これはやられたと、ヨスガは思った。  だが、今の自分はベッドから動けぬ身。クァイの気遣いというか、心憎い演出が少女たちを連れて出てゆく。明るい声に手を振れば、自然とヨスガはフォリスと二人きりになった。  思えば、この奇妙な青年と二人だけになるのは初めてかもしれない。  彼はいつも、店のカウンターでミルクを飲みながら、ヨスガとなんでもない話をしていた。聞けば、女を抱けない身の上らしい。  そのフォリスが凄絶な過去を背負っていると知ったのは、つい最近だ。  そして、その罪と罰とが精算されたことも知っていた。 「……ふむ、クァイの術は人間のとは少し違うからな。興味深い」 「え、ええ」  フォリスはまじまじとギブスを見やり、どれとテーブルの筆を取る。まだ空いてるスペースにさらさらとなにかを綴りつつ、彼はぶっきらぼうに呟いた。 「ノァンが世話になったな。あいつの無茶に、みんなを突き合わせたようだ」 「いえいえ、無茶を通せば道理は引っ込むものです。無事全員で生還できましたし」 「そうか」 「ええ」  おおよそ覇気や生気というものとは縁のない、酷く頼りない横顔。適度に整った顔立ちは、華奢な矮躯も相まって中性的だ。だが、それを言うならヨスガなどはまるで女のような顔をしている。らしい。  生まれも育ちも、人はなかなか選べるものではない。  必定、持って生まれた顔で人は生きていくしかないのだ。  それを思い知ってから、ヨスガは夜の街に居場所を見つけて今にいたる。一時は男娼だったこともあるが、今は腕一本ならぬ脚一本で稼いでいる。夢見の夜魔亭の用心棒兼バーテンダーという仕事は、自分でも気に入っていた。  勿論、冒険者としても日々を満喫している。 「骨は、折れた箇所は以前より強くなる、らしい」 「よく、そう言われてますね」 「とにかく、早く治るといいな。その、俺は、冷えたミルクが好きだからな」  ぼそぼそと喋りつつ、フォリスは筆を置いた。そして、そっとヨスガの枕元に歩み寄ってくる。  ちょっと、ドキドキした。  自分にもまだ、うぶな気持ちがあるものかと驚きもした。  そして、フォリスはなにかを言いかけては口を噤み、外へと視線を逃しつつ言葉を選ぶ。 「その、礼を言う。早く良くなってくれ」 「はい。では、少し頑張って養生しないといけませんね」 「……うん、そうしてくれ」 「ええ、そうしてみましょう」  脚一本、安いものだと思えた。ヨスガは、密かに慕っている人物から感謝されたのだ。それに、同じ冒険者の仲間としてこれからも一緒にいられる。少しだけ恋愛事情の違うヨスガの、小さな喜びがそこにはあった。  恐らくもう、フォリスは恋愛などしないだろう。  ようやく想いにケジメをつけて、彼は一生分の愛を使い切ってしまったのだから。  それでも、友人や仲間としてでも、ヨスガはフォリスをこれからも見守りたいと思うのだった。