時は来た。  ついに来た。  来てしまったか……フリーデルはやれやれと、今も憂鬱な気持ちが隠せないでいる。それでも彼は、相棒のナフムと共に世界樹の迷宮へとやっていた。  ここは第二階層『奇岩ノ山道』……8F、広大な平原だ。  まるで屋外かと錯覚する広さが、冒険者たちに錯覚させる。  その奥に鎮座する巨獣の、その真の巨大さを認識しにくくしているのだ。 「兄弟、浮かない顔だな?」 「ん、そうでも……あるね。正直、気が乗らない」 「同感だ」  隣のナフムも、万全の状態とはいえ露骨に嫌そうな顔をしている。  二人は先日ようやく、激しい戦いの傷が癒えたところだ。これでようやく、事務仕事やアイテムの在庫管理等、細々とした仕事から開放される。  再び世界樹の迷宮を駆け回れるのは、冒険者としてこの上ない喜びだ。  ナフムもフリーデルも、正義だ愛だで動く程義理堅くできてはいない。  だが、未知と神秘への探求は、静かに心がそよぐのだ。 「俺らも第六層に行けりゃよかったのにな。なんつったっけ?」 「赤方偏移ノ回廊。嘘か真か、星の海を歩いて渡る旅路らしい」 「なにそれ格好いい。よし、今から行こう。すぐ行こう」 「それができたらいいんだけどね、ナフム」  二人はそろって溜息を零す。  だが、前を歩く女傑たちにはどこ吹く風だ。  なにせ、アルカディア共議会からの依頼で、これから伝説の戦獣オリファントを討伐しようというのだ。  正直、凄く気が進まない。  怖いからではないし、恐れを知るからこそ憂鬱なのだ。  怖いもの知らずな女たちの背中を見ていると、どことなく不安がこみ上げるのだ。  そんなフリーデルたちの心配をよそに、鬨の声があがる。 「さあ、行くわよっ! あの巨象にリベンジするの! このっ、シシス様の錬金術の力でね!」 「わっはっは、これは大戦になりそうだな! 象の肉……未知の味わい……じゅるり」  始まる前からもう、気持ち的には終わっている。  シシスは以前、無謀にも一人でオリファントに挑んだ天然のトラブルメーカーである。しかも今日は、申し訳程度にフォローしてくれるツッコミ役のポン子がいない。  まきりは武勇名高き生粋の武芸者だが、どうにも頭が単純過ぎて付き合いきれないことが多かった。 「……帰りたい。これならベッドで寝てた方がまだいい」 「せめてなあ、もうちょっと作戦とか対策をだなあ……なあ、ニカ」  フリーデルはナフムの声に振り向く。  最後尾を歩く屍術士の青年は、まあまあと苦笑しつつ声を潜めた。  どうやらニカノールも、そこまで乗り気ではないらしい。  それというのも、このクエストには緊急性がなく、重要度も低いからである。このフロアには既に、ネヴァモアとトライマーチが見つけた抜け道があり、オリファントのいる大平原を経由しなくても先に進めるのだ。 「二人共、とりあえず今日は……命を大事に」 「命を」 「大事に」 「そう、今回は下調べというか、感触を確かめる程度でいいよ」  もっとも、御婦人たちはやる気満々だけど。  そう言ってニカノールも肩を竦める。  だが、オリファントは戦って洒落で済む相手ではない。やるとなれば本気を出さねば、その迂闊さの代価を命で払うことになるだろう。  その恐ろしさを胸の内で噛み締めていると、シシスが振り向いた。  彼女はツカツカと自信たっぷりの足取りでフリーデルに近付いてくる。 「そうそう、二人に渡しておくものがあるわ!」  彼女は自分の鞄から、油紙に包まれたなにかの塊を取り出した。  それを押し付けられて、有無を言わさぬ勢いに渋々受け取るフリーデル。だが、開封してみた瞬間に彼の顔色が変わった。  それは、一回り大きな包みを受け取ったナフムも同じである。 「……これは?」 「私が作った銃よ。従来のフリントロック式より、威力も速射性も上ね!」 「へえ。また例の、錬金術とかってやつなのか?」 「そうよ! 流石は私ね! 装弾数は八発、グリップの中にそれを縦一列に纏めた弾倉が入ってるの。ほら、これは弾薬よ」  ルナリアは高度な魔法文明を持っているからか、多種族の道具や技術を軽んじる傾向がある。だが、ルナリアの都シドニアを知らないフリーデルには無縁の価値観だ。  使えるものはなんでも使う、使いこなして使い倒す。  そうして鉄火場でシノギを生き残るのが、傭兵の流儀だ。  そういう風に育ったからこそ、ナフムとも気があったし、毎日が気楽で新鮮だ。勿論、アイオリスの街では古風なルナリアに沢山会ったし、中にはナルシャーダのようにルナリア根性をこじらせた人間もいる。  だが、その血を半分受け継ぐ女性の気概は、嫌いではない。 「ナフムのそれは、バスターカノン用の延長バレルよ」 「……やるじゃないか、お嬢。で? 何発なら耐えられる?」 「フルパワーで三発、それ以上は砲身が持たない。けど、破壊力は倍増間違いなしよ!」 「ちょっと重いな。けど、悪かねえ。ま、ありがたく貰っておくか」 「いいのよ、当然のことだわ。……私のわがままに付き合ってもらうんだから」  意外な一言に、思わずフリーデルは目が点になった。  そして、隣のナフムに自分と同じ表情を見る。  シシスはいつになく真剣な顔で言葉を選んできた。 「そろそろ大きな名声を得ないとね……領地のことも心配だし。私の錬金術が認められれば、あちこちで新技術や便利な道具を買ってくれるわ」 「ああ、そういう」  シシスはこう見えても、貴族だ。ルナリアの母とアースランの父を持つ、れっきとした領主様なのである。小さな領地だが、豊かで平和な土地を治めているらしい。そして、慕ってくれる領民のため、農耕以外に外貨を稼げる手段を模索しているのだ。  それが、彼女の言う錬金術なるもので生み出した無数のカラクリ、機械仕掛けである。  無茶で無謀で、その上に無鉄砲……だけど、シシスは無知ではない。  彼女に無いのは、豊かな胸の膨らみと、ちょっぴりの自制心だけだ。 「ま、いっか。やるぜ? 兄弟」 「ああ、いいよ。シシス、微力ながら最善を尽くそう」  ナフムとフリーデル、二人を交互に見上げてシシスも大きく頷いた。  すると、長身のまきりがガッシ! と肩を抱いてくる。 「ようし、今日はみんなで買って、オリファント鍋だな! ……いや待てよ、香草で蒸し焼きもよさそうだな。いっそ、象刺しというのも試すか。わははっ、楽しみだな!」  まきりの豪傑っぷりにはもう、脱帽を通り越して脱毛してしまいそうである。だが、その根拠のない自信が今は頼もしい。  だが、次の瞬間……一気にフリーデルは不安の極地に叩き落された。  ナフムも謎のイケメンスマイルで固まったし、ニカノールは目眩を感じてかよろける。 「それと、私にも秘密兵器があるのよ! ちょっと待ってて!」  シシスは全員を待たせて、通りの奥を曲がり角へ消えた。  そして、ガラゴロと重い金属音が近付いてくる。  それだけ見れば可憐な笑顔で、シシスは巨大な大砲を引っ張り出してきた。 「改良に改良を重ねた、ノイエアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲よ! 具体的には、装填機能の問題を敢えて無視して、破壊力を増大させた一撃必殺の最強武器ね!」  駄目だと思った。  もう駄目だ、少し感心して感動した自分が馬鹿だったのだ。  とりあえずフリーデルは、あの手この手でシシスを説得して、とりあえずナントカアームストロング砲とやらを片付けさせるのだった。