今日も今日とて、冒険者の街アイオリスは活気に満ちている。  黄昏の魔女亭に集う者たちは皆、冒険の準備に大忙しである。ここには、熱気と狂騒とがあって、飛び交う声も心地良い。  バノウニはいつも、この場所でギターを奏でるのが好きだった。  最近は物好きな客もいたもので、一曲頼むと歌わせてくれる者までいる。竜ががなるような、割れ響く悪霊の声とまで言われたバノウニの歌が、時々酒場の皆を盛り上げられるのが嬉しかった。 「……けど、そろそろ自分の歌が、詩がほしいなあ」  ポロロン、とギターが頷くように鳴る。  詩で綴るは冒険叙事詩、無数の物語がバノウニのレパートリーを彩る。それは遠い異国の騎士物語であり、遥けき彼方の暴王の素顔であり、今を生きる仲間たちの冒険賛歌だ。  だが、まだその中にバノウニの名前はない。  そして、バノウニが紡ぎ出した物語もまた、残念ながら存在しなかった。  伝説や神話じゃなくてもいい、自分が挑んで仲間たちと勝ち取った詩が欲しかった。 「この間は、あさひとポン子に全部持ってかれたからなあ」  以前の、第一階層『鎮守ノ樹海』での激闘を思い出す。  そして、その都度込み上げる恐怖に今日も一人震えた。  あの日、バノウニは本当の、本物の冒険を知った気がした。それは華やかな英雄の物語であると同時に、突然の不条理が打ち切ってくる詩篇の断章。決してハッピーエンドにならぬフレーズの断片ばかりが、死という名の即興歌で終わることが多いのだ。  それが冒険の本質であり、世界樹の迷宮の真理。  今のバノウニにはそれがわかるし、正しく恐れることを知れたのだ。  そんなことを思い出していると、いつもの悪友たちが声をかけてくる。 「よぉ、バノウニ。こっちは終わったぜ? やはり採掘なら筋肉……筋肉は全てを解決するっ!」 「俺もクエスト、終わった……疲れた。もう、しばらくタコは見たくない……見なくても食えるたこ焼き以外は嫌だ」  今や旧知の仲になりつつある、アーケンとカズハルだ。二人共、バノウニにとっては親友である。もう何年も一緒につるんでいるような、幼い頃から一緒に育ったかのような気持ちさえ共有できている。  同世代の仲間がいてくれることは、いつもバノウニに刺激と安堵をくれるのだ。 「やあ、お疲れ様。……タコ? その話、詳しく」 「面白い話じゃねえぜ? なあ、カズハル」 「そーなんだよぉ。もうさ、倒しても倒してもタコタコ、タコ」  どうやら、迷宮でタコの魔物が大量発生したようだ。それを処理していたカズハルは、最後の最後で手強い巨大なタコに遭遇、仲間たちとどうにか倒したのである。  まず、バノウニの中では『タコを食べる』というのが新鮮な話だった。  彼の育った土地では、あの手の生物は古き深海の邪神という信仰があるからだ。  だが、ここは無数の価値観が混在するアイオリスである。  多くの驚きを知って学んで、今ではバノウニもすっかり一端の冒険者だ。 「さて、午後はどうする? 予定なら開いてるけど」  バノウニはウェイトレスを呼びつつ、二人を見やる。  カズハルは言葉こそ凹んでへばってるように見えても、まだまだ瞳には生気が漲っていた。アーケンはわかりやすく元気で、二人には余力が感じられた。  となれば、午後は三人での冒険も悪くない。  まだまだ戦い方を模索して強くなりたいし、まだ見ぬ迷宮にも進んでみたい。  すぐに反応したのは、カズハルだった。 「あー、少し採集とか伐採とかしつつ、マターリ回りたい……少し懐が心もとなくてさ」 「今日のクエストの報酬は?」 「……フ、フフフ……ちょっと造りたいものがあって、材料費にね」 「なるほどね。アーケンは?」  カズハルはトミン族という、非常に珍しい集落で生まれ育った人間だ。エトリアと呼ばれる辺境の街の、そこの世界樹の奥底にある街の出身である。そこでは独自の技術や風習があり、総じて機械いじりが得意な人間が多いのだ。  そのことを思い出していると、アーケンが思い出したように身を乗り出してくる。 「そうとくれば、やっぱ採掘だな! それも、竜水晶がいい。丁度俺も用事がある」 「へえ、第四階層? 確か『虹霓ノ晶洞』だよね」 「竜水晶なら、ちょっとした欠片でも高く売れるからな。丁度、ニカたちに頼まれてることもある。なんか、でけぇ犬のバケモノがうろうろしてっだろ? あいつの素材、まだ回収してねえものがあるみたいでよ」 「なるほど。最近は解体水溶液もストックが増えてきたし、使っちゃってもいいかもね」  既にバノウニが所属するネヴァモア、そして協調路線のトライマーチはベテランギルドだ。世界樹の迷宮の最前線を走り、今も謎多き第六階層『赤方偏移ノ回廊』を突き進んでいる。  直接ではないにせよ、バノウニたちの物資補給などの仕事も、貢献してるかと思えば誇らしい。 「じゃあ、午後は第四階層に行ってみよう。なにか、面白いことがあるかもしれない」 「おう! そうと決まれば腹ごしらえだ、おーい! ねえちゃん、こっちだ!」 「タコ以外ならなんでも食うよ……腹が減っては戦はできぬ、だしね」  すぐにルナリアのウェイトレスが、手を振るアーケンを見つけて駆け寄ってくる。ディナーのフルコースもかくやというボリュームで、勝手にバノウニとカズハルの分まで注文が終わってしまった。  料理を待つ間に、軽く打ち合わせをと思ったその時である。  不意に、カウンター席の方で壮年の男が立ち上がるや叫んだ。 「おうおう、じゃあなにか? 俺様が嘘でも言ってるってのかァ!?」  見事な髭を蓄えた、巨漢のアースランである。  彼の視線の先で、神経質そうなセリアンの男が目を細める。 「そうは言ってないがね。ただ、証拠がないんじゃ信じようがない。地図さえ残ってないんだからな」  どうやら、ちょっとした言い合いから諍いに発展しそうな気配だ。酒場ともなれば喧嘩は日常茶飯事だが、周囲に迷惑をかけるなら謹んでもらいたい。  バノウニは様子を伺い、僅かに身を沈める。  アーケンもカズハルも、いつでも飛び出せるように身構えていた。  だが、ヒートアップする二人の言葉に、ついつい耳を傾けてしまう。 「地図なんざ、描いてる暇あるかよ! 貴様は知らないから、そんなことが言えるんだ!」 「ああ、知らないね。第四階層は既に、ネヴァモアとトライマーチが攻略し終えてる。地図だってもう出回ってるぜ?」 「その地図に載ってない抜け道があるんだよ! どこかは覚えちゃいねえが、俺様は嘘は言ってねえ!」 「参ったな。その手の話はここじゃ、日常茶飯事だが?」 「ああ、そんなこたぁわかってるよ! だがな!」  今すぐにも、取っ組み合いの大喧嘩が始まりそうだった。  話の内容には興味があったが、バノウニは困り顔の女将に目配せする。馴染みの客にしか見せない、ゴメンねオネガイという視線を受け取って立ち上がった。  そう、立ち上がった筈だった。  だが、実際には三人で動き出そうとした時に全ては終わっていた。  一瞬遅れて、店内を風が僅かに吹き抜ける。 「そこまででよかろう、我が同胞。剣を抜くな、抜くでない……拙者も抜かねばならなくなる故」  そこには、腰の太刀に手をかけたまま固まるセリアンの青年が立ち尽くしていた。その手首をそっと、コロスケが軽く握っている。そっと添えてるだけのようにも見えるが、既に青年の動きは全て封じられていた。  一方で、筋肉質な大男も彫像のように沈黙していた。 「フッ、無粋の極み……ならば、俺様が美を持って場を収めねばなるまい」  無駄に眩しい輝きが、キラキラと微笑んでいた。  そのままナルシャーダは、大きな拳を右頬で受け止めたまま、涙目で格好つけてポーズを取る。光っているのは、泣くのを我慢している激痛の涙なのだった。