第四階層『虹霓ノ晶洞』……この迷宮は今日も、多くの冒険者たちで活気に満ちていた。さながら冒険者横丁といった賑わいで、あまり緊張感が働いてくれない。  それはカズハルも同じで、気を引き締めるのに少し苦労していた。  どうやら、並んで歩くアーケンとバノウニも同じであるらしい。 「相変わらず混んでるなあ」 「竜水晶は手っ取り早く稼げるし、ここいらの魔物は中堅冒険者にはいい鍛錬になっからな」 「嗚呼、光が乱れ舞う水晶の回廊、未知と神秘と……大勢の人と、現実的な糧と」 「ハハッ、詩になんねえなこりゃ!」  どうにも、冒険の空気ではない。  それでも、奥へと進めば次第に空気が静寂を満たしていった。  竜水晶の採掘場所や、樹海地軸の周囲の安全な稼ぎ場所が遠ざかったのである。そこにはまだ、かつてニカノールやノァンたちを苦しめた驚異が感じられた。  そして、すぐに目的の魔物が見えてくる。  カズハルは背負った資材でのバンカー構築を準備しつつ、目を細める。 「いたよ……うっわ、強そう」  その名は、双頭の追撃者。  古き伝承にある地獄の番犬みたいな、頭部を二つ持つ狼であれう。バノウニが歌ってくれた叙事詩には、三つの頭を持った猛犬が出てきたのを思い出した。  確か、良質な毛皮がこの魔物からは取れることになっている。  だが、厳しい条件を満たすことで、もっと希少価値の高い素材が取れるらしい。  勿論、今日はカジュアルに解体水溶液を使うつもりだ。 「それにしてもよぉ……ありゃ、頭が二つで喧嘩とかになんねぇのか?」 「兄弟みたいなもんで、仲がいいんじゃないの?」 「そうは言うけどよ、カズハル。飯はどうすんだ、両方とも食うなら二倍必要なのか?」 「いやいや、胃袋は一つでしょ。……た、多分」  三人でしげしげと遠目から眺めていると、どうやら敵はこちらの気配を察知したらしい。あっという間に毛を逆立て、敵意を漲らせて。突進してきた。  その時にはもう、阿吽の呼吸で少年たちは行動を開始する。  すぐにカズハルも、一番前に出てバンカーを設置、守りを固めて盾を掲げる。  刹那、激しい衝撃音と共に左腕を電流が走った。  双頭の追撃者の攻撃を受け止め、反らしきれなかった衝撃に手が痺れる。  すかさず反撃の銃声を歌わせれば、意外に機敏な猛獣は一度距離を取った。 「よし、瘴気兵装はよし……少し、奴の動きを鈍らせるよ」 「おうっ! こっちも死霊の準備はできた。一発ブン殴ってやらあ!」  戦端は開かれた。  だが、ちらりとカズハルは背後を見やる。  さっきまで一緒だった、コロスケとナルシャーダの二人がいないのだ。二人共手練の冒険者で、その腕はギルド内でも一目置かれている。凄腕の剣客だがバカ真面目で融通がきかなかったり、卓越した術師なのに極度のナルシストだったりと、性格には難があるが……カズハルにとって二人は、頼れる先輩で兄貴分だった。 「ねえ、アーケン! コロスケさんとナルさんがいないんだけど!」 「あぁ!? そりゃ、お前……あれだろ、あれ」 「あれって?」 「……まずいだろ、それ」  肩越しに振り返ったアーケンが、真顔になった。  その間も、彼が使役する死霊が一匹、双頭の追撃者に噛み砕かれて霧散した。  カズハルたち三人と双頭の追撃者とでは、なかなかにいい勝負だ。そう、つまり……全力全開で戦えば、相手もまた視力を振り絞る、その結果どうにか勝てるだろうというレベルの魔物なのだ。  そこに、死に際の魔物に薬品を振りまくという余裕は、ない。  今回は、頼れる二人がいるからこその気楽な冒険だったのだ。 「えっ、なんで? さっきまで一緒にいたよね!?」 「よそ見すんな、バノウニ! やっこさん、かなり頭にキテるらしいぜ」 「いやだって、アーケン! ああもうっ!」  アーケンとバノウニも、努めて平静を装って闘っている。ここで心を見出せば、集中力を欠いた瞬間に劣勢になる。勿論、カズハルもリロードを繰り返しながら戦線を維持していた。  双頭の追撃者が繰り出す猛攻は、どうやら緩急があるようだ。  激しく攻め立ててくるタイミングに合わせて、カズハルは盾を前へと押し出してゆく。 「そういえばさっき、コロスケさんが言ってたよね! さっきの酒場での話!」 「ああ! そういや、なんか……難しいこと言ってた気がすんな!」 「そこまで難しくないって、普通の話でしょ! まだ発見されてない隠された通路の話!」  そう、小一時間ほど前に酒場で揉め事があった。  どうやら、まだまだこの階層には秘密があるらしいのだ。それはバノウニにとっては詩篇の創作であり、バノウニにとっては筋肉の鍛錬にうってつけの冒険である。勿論、新発見があれば大いに財布が潤うので、カズハルにとっても魅力的な話だったのだ。  だが、まさか頼れる先輩冒険者が迷子になってしまうとは……?  否、カズハルは察していた。 「採掘目的の人たちで混雑してる中、はぐれたんだと思う! つまり」 「つまり?」 「俺たちの方がはぐれちゃったんだ、迷子だよ俺たち!」  少しだけ自分の未熟さを呪う。冒険者としては、残念ながらまだまだだと言わざるをえない。目的の魔物は、地図に記された場所を縄張りとして動かないタイプである。行く手を阻む障害だが、言い換えれば縄張りに踏み込まない限り戦闘にはならない。  しっかり仲間の状態を確認した上で、全員で進むべきだったのである。  だが、今更後悔しても始まらない。  それに、自分たち三人の姿が見えなければ、向こうの方でも恐らく探してくれているだろう。 「因みに、誰が解体水溶液を持ってる?」 「バノウニの奴に預けてあるぜ!」 「う、うん、持ってる。けど……タイミングが、ちょっと」  荒ぶり猛る双頭の追撃者は、いよいよ殺気立って吼える。その咆哮が、周囲の水晶をビリビリと震わせた。反射する光さえも捻じ曲げるかのような、おぞましい絶叫だ。  カズハルは注意深く敵を観察しつつ、探るような銃弾をばら撒く。  どうやら双頭の追撃者は、ダメージが通っているもののまだまだ元気らしい。 「……よし、アーケン! バノウニ! 一旦退く……あの角の先へ走って!」 「えっ!? そっちって確か……でっかい水晶がある方向だよね」 「瞬時に違う場所に飛ばされるやつな! おっしゃ、乗ったぜカズハル!」  ギリギリで耐えてくれていたバンカーが、木っ端微塵に破壊された。その瓦礫を撒き散らしながら、双頭の追撃者が突っ込んでくる。  その牙と爪に背を向け、全速力で少年たちは走った。  そして、カズハルは手短に作戦を説明する。 「ちょっと迂闊だった、ごめん!」 「いや、それはみんな同じだし。カズハルは悪くないよ」 「ああ、そうだぜ! 今は次のことを話してくれ!」  逆転の一手はこうだ。  走る先にある不思議な大水晶を使って、別の部屋へと跳躍する。そこで体制を立て直し、同じく大水晶で追ってきた敵を三人の総攻撃で倒す。勿論、バノウニにはタイミングを見計らっての解体水溶液を頼むことにした。  仕切り直せばまだ、立て直せる。  そう思ってカズハルは、不思議な光を放つ大水晶に突っ込んだ。 「――しまった! あのポイントって」 「おいカズハル! あれって確か」 「大水晶、触る角度で飛ばされる先が変わるんじゃなかったっけ!?」  カズハルは、血の気が引いてゆく感覚に沈んだ。  転送された先には、別の双頭の追撃者がうろついている。幸い気付かれていないようだが、時間の問題だ。  そして、すぐ背後で光が集い、先程の双頭の追撃者が姿を現す。 「またもや迂闊!? けど、まだっ!」 「とりあえず、やんだな? やっちまうしかねえよなっ!」 「これで勝ったら英雄物語だね」  だが、様子が変だった。  新しい個体は、こちらに気付く素振りを見せない。どうやら、視覚に頼るタイプの魔物らしく、こちらをまだ視認していないようである。  そして、追跡してきた個体は現れるなり、一声鳴いてその場に崩れ落ちた。  その背後から、一人の美丈夫が現れる。 「間一髪でござったな。拙者、なにやらナル殿が壁を調べ始めたので遅れた様子。駆けつけた次第でござるが、なに、大事に至らず重畳というもの」  そこには、刀を鞘へと戻すコロスケの姿があった。その凛々しい武者振りに、カズハルは安堵が込み上げる。  希少な素材の回収には失敗したものの、大きな宝を少年たちは得た。  それは忘れてはならぬ教訓であり、頼れる先達との貴重な経験なのだった。