第四階層『虹霓ノ晶洞』……無数の水晶で彩られた、光の回廊だ。  だが、強い光ほど色濃く影を刻む。  その暗がりが今、静かにカズハルの心へ忍び寄っていた。  そしてそれは、どうやらアーケンやバノウニも同じようだった。 「なんつーか、なあ。俺ら、最近はちっとはやるようになってた、筈なんだがよ」 「それね、それ。……やっぱ、まだまだって感じかな」  落胆が、友人たちの言葉の節々に滲んでいた。  最近のカズハルたちは、採集や採掘以外にも様々な仕事を任せてもらえるようになった。ちょっとした魔物退治なんかも、三人で協力してこなせるようになっていたのだ。  しかし先程、そんな自分たちがまだまだだと思い知らされた。  颯爽と助けてくれたコロスケの妙技が、その事実をさらに鮮明にしたのだった。  だが、落ち込んでいる暇はない。  ここは世界樹の迷宮、あらゆる神秘と危険が詰め込まれた魔窟だ。気を取り直して前を向かなければ、些細なことでも命取りになる。先程のことでもう、カズハルはそれを改めて知ったのだ。 「そういう意味じゃ、むしろプラスと考えるべきか。ラッキーだった、と」 「ン? なんだぁ、カズハルよう」 「あんまし凹んでないよね、カズハルはさ」 「まーね。落ち込む間も惜しいし、それにほら」  アーケンとバノウニの間に立って、前を指差す。  先を歩くコロスケは堂々としたものだが、一部の隙もなかった。よく絵草紙とかで出てくる、いわゆる達人の雰囲気である。今この瞬間、三人で背後から襲いかかっても……恐らく、いや、確実に返り討ちにあうだろう。  そういう緊張感があるのに、とても自然体で落ち着いて見える。  そして、そういうコロスケの前に……異次元のマイペースっぷりを貫く男が現れた。 「お待たせし申した、ナル殿」  眩い光が、ルナリアの姿になって輝いている。  それはナルシャーダだ。  彼は何故か、なにもない水晶の壁を前にして……謎のポージングで固まっていた。いつものことなので、コロスケが驚いた様子はない。そして勿論、カズハルたちも動揺することはなかった。  むしろ、安心する。  こうした奇行の数々は、ナルシャーダの独特な美意識が醸し出す一種の自己表現なのだ。 「ナル殿、ここが例の壁でござるか?」 「フッ……水晶に映る私もまた、美しい。どうだ、コロスケ! どうなのだ、こうか!」 「ほう! 雄々しくて候」 「では、これはどうだ!」 「なかなかに奇抜! 打ち込む隙も見い出せぬにて」 「やはりか……うん、では本題に入るとしよう」  なんの話かはさっぱりだが、カズハルは一つだけわかった。  ナルシャーダという男、どこまでも肝が太いというか、面の皮が厚い。そして、それに付き合うコロスケは生真面目過ぎて馬鹿真面目といえるくらいに誠実だった。  だが、そんな二人の表情が不意に変わる。  ただのナルシストとお武家さんは、瞬時に冒険者の顔になった。 「見てくれ、コロスケ。ここの地図を確認してほしい」 「なにも記されてませんな。しかし……全体を見渡せば不自然」 「上下のフロアの広さに対して、この階だけ狭い。もし、この迷宮がバランス良く構成されたものならば……この奥に、まだ空間がある筈。それが美というものだからな」 「然り、ですな」 「少し調べてみたが、ここから入れそうだ」  そう言って、スッとナルシャーダが腕を伸ばした。  驚いたことに、その手は溶けいるように水晶の壁を突き抜けてしまった。彼が出し入れしてみせたので、カズハルにも理解できた。そして、似たような技術を故郷で見たことがある。 「りっ、立体映像! みたいなものかな。シンジュクでも時々、ああいう現象があった」 「なんだ、そらぁ? おい、バノウニ……知ってるか?」 「いや、全然……でも、あそこの壁が幻の類だってのはわかった」 「まじかよ! 壁なのに壁じゃないってことか!?」  ナルシャーダはドヤ顔で、静かに鼻を鳴らした。 「我が身を反射し映す水晶……この場所だけ美の屈折率に違和感があったのだ。では、進むとしよう。どれ、少年!」  不意に呼ばれて、カズハルは思わず自分を指差した。  そして、アーケンやバノウニと顔を見合わせる。  そんな三人組に、ナルシャーダは手招きをしていた。 「少年、君たち三人で前衛を頼む。私はいわば真打ち、生まれながらの主役……ここはコロスケと共に、まずは後列に控えておこう」 「……マジっすか」 「うむ、マジだ。それでは進むとしよう」 「自信、ないんだけどなあ。ま、やってみるか。アーケン、バノウニ、左右を頼むよ」  先程は失敗したし、健気に積み上げてきた自信も崩れかけている。  それでも、冒険者として仲間と協力しなければ生き残れないし、その先に進まなければなにも得られない。本当に、ここでは落ち込む間も惜しいのだ。  それが実体験で分かる程度には、カズハルもこの家業に慣れ始めていた。  それは友人たちも同じで、すぐにアーケンが死霊を召喚する。バノウニも大鎌を構えて、周囲に気を配り始めた。 「うわ、本当だ……この壁は幻、そして先に通路がある」 「早速、右と左に別れてるね」 「どっちに行くんだあ? 二手に分かれるのは悪手だぜ、さっきそうだったしよ」  ふと肩越しに振り返れば、うんうんと頷くコロスケが微笑んでいた。この男は気持ちのいい快男児で、気付けば誰もが兄のように慕っていた。少々堅物で、それ故に抜けてるとこがあるのが玉に瑕ではあるが……それすらも愛嬌があるように想えるのだ。  そのコロスケが、背後で見守ってくれている。  妙な安心感と、期待に応えたい気持ちがカズハルたちに共有された気がした。 「よし、まずは地図だ。少し歩いて地図を埋めよう」 「うっし、基本のキの字でいくかよ! いいぜぇ!」 「コロスケさん、ナルさんも! とりあえず、こっちから埋めてみたいと思います」  新たな迷宮の探索が始まった。  恐らく、この場にはまだ誰も足を踏み入れていない筈である。とすれば、未知なる脅威が遅い来る危険がある筈だ。  いつでも仲間を守れるように、盾を構えつつカズハルは歩みを進めた。  そして、すぐに迷宮の違和感に気付く。  それは仲間たちも同じで、最初に声をあげたのはバノウニだった。 「……妙だな。さっきから、通路ばかりだ。それも、真っ直ぐの通路。部屋らしい部屋が見当たらない」  バノウニの言う通りだ。例の幻、立体映像じみた虚像の壁が随所に配されている。しかし、その先もまた同じように分かれ道が続いているだけなのだ。開けた場所というものもなく、同じ風景が永遠に続くかのような錯覚さえ感じられる。  そして、ナルシャーダの言葉がさらなる真実を告げてきた。 「この壁に偽装した部分は……なにかしらの術式だな。その証拠に、見るがいい」  今しがた通過してきた、幻の壁。そこへと振り返り、ナルシャーダがまた手を伸べる。  向こうからはこちらへ通ってこれた場所だ。  それが今、ナルシャーダの拳でコンコンと叩かれている。  つまり……一方通行だということだ。 「なっ……ちょっと待って下さい! すぐ地図をなおします!」 「これって、つまり……あれかあ? 進むしかないってやつか」 「みたいだね。で、次も右と左とに分かれてるけど」  カズハルの予想を上回る、不可思議な迷宮のカラクリが明らかになった。そして、思わずポーチの中のアイテムを確認する。アリアドネの糸はちゃんと入っているし、まだ体力にも余裕が感じられた。 「よし、進もう。コロスケさん、ナルさんも! い、行ってみたいと思います!」  気合を入れたカズハルの声に、コロスケはウムと大きく頷いた。ナルシャーダの謎のポージングも、その眩しさが無言で肯定を伝えてくるのだった。