第六階層『赤方偏移ノ回廊』の探索は今、佳境を迎えていた。  そう思いたい程度には、イオンたちは長々と調査に歩かされているのである。もう、この広大な星の海へ潜りはじめて、かなりの月日が経った。  振り返れば長いようで、ここまでの道のりはあっという間だった。  夢中だったのだ。  だが、全ての事象には終わりがある。  終わりへ向かうからこそ、その次が見えてくるのだ。 「で? お嬢ちゃんたちは呑気にお茶ってか……まあ、いいけどよ」  もう随分、深い場所へと進んできた。遭遇する魔物もかなり手強く、中には戦闘を避けて逃げるしかない個体もちらほら現れている。  それでも、その先への探究心が萎えることはない。  好奇心に急かされても、焦る者は一人としていなかった。  それくらい、世界樹の迷宮は危険が多く、それでいて魅力的な冒険と発見に満ちている。その全てが冒険者を鍛え、一流の達人へと昇華させているからだ。 「マキちゃん、お湯が沸きそう! 今日のお茶菓子は?」 「おうっ! こいつを見ろぁ! ワーシャの姉御が焼いてくれたっ、マフィンだ!」 「おおー! いいニホイ……メイプルのやつだー!」 「わかるかチェル。こいつはどえれぇおやつだぜ!」  敷物を敷いてカップを並べ始めた少女たちに、一瞬イオンはくらりとめまいを感じた。だが、この野放図で脳天気な図太さが、それこそが彼女たちの強さなのだ。  こんな前人未到の大迷宮でも、いつものように振る舞える。  気負って過度の緊張を身に招くことがないのだ。  そしてそれは、隣でクスクスと笑ってるレヴィールも同じである。 「なあ、レヴィ……あの子たち、いつもあんな感じなのかよ」 「ええ。ほんとうにしょうがない子たちなんです」 「……嬉しそうだな、お前」 「まあ、見慣れてますから。チェルとマキが真面目にやってたら、ちょっと怖いし」 「そらそうだ」  レヴィールもラチェルタとマキシアに呼ばれて、お茶の準備に混ざってゆく。  乙女たちのかしましい光景に目を細めつつ、さりげなくイオンは周囲を見渡した。魔物の気配はないし、危険な雰囲気は微塵もない。迷宮の見えない通路が袋小路になった場所だが、そこからは満天の星空が上下左右に広がっていた。  イオンたちは今、星が瞬く大海の中にいるのだ。 「さて……あのバカ、妙なとこで形式に拘りやがって」  チラリとイオンは、視線を横へと滑らせる。  同時に、懐から一通の封筒を取り出した。  一緒のギルドで冒険してるのだから、わざわざ封書にしなくてもと思う。そもそも、差出人は世話係兼お目付け役として、常に近くにはべっているのだ。  ミサキからの報告書を開封する前に、もう一度隣を見やる。  そこには、いつになく真面目な表情のコッペペが佇んでいた。  その視線を目で追えば、一人の少女が瓦礫の上に立っている。水先案内人のアルコンは、先程から瞑想するように星々を見上げていた。 「おいおい、なんだよ……守備範囲広いな、おっさん」  なんてことなはない、コッペペはアルコンの美貌を眺めていただけだった。よく見れば、時々デレデレと鼻の下を伸ばしている。完全にスケベジジイの顔をしているのだった。  そんな彼から少し距離を起き、イオンは封筒から紙片を取り出す。  嫌に達筆な文字で、頼んでいた調査に関する報告が認められていた。 「えっと、なになに……背景、バカ様もとい若様……そういうのはいいんだよ、あの野郎」  読み進めると突然『野郎だなんてそんな、乙女ですわよ?』とト書きが現れた。  相変わらず食えない奴で、その得体のしれなさも妙に頼もしい。  イオンがミサキに頼んだのは、ある人物の身辺調査である。それも、過去にさかのぼってもらう必要があった。その自分は今も、記憶喪失なのだから。  そう、コッペペに関する調査である。 「……まじかよ、クドラクのつてを頼ってあらゆる商会に手を回しても……ふむ。じゃあ、やっぱりあれか」  ミサキが調べた限りでは、このアルカディア大陸にコッペペという名の人間は存在しない。やはり、ラチェルタたちと同じ外の世界から来た人間だろう。本人も、一番最初の記憶が砂浜で倒れてたものだというから、乗っていた船が難破したのかもしれない。  問題は、そのあとだ。  イオンは勿論、ニカノールたちも以前から不思議に思っていた。  そしてそれは、デフィールとクラックスが合流して確信に変わったのである。  コッペペという男、剽げた言動で昼行灯を気取っているが……時折、鋭い洞察力と判断力を見せることがある。本業は詩人だとうそぶいているが、銃の扱いは熟練の技を思わせた。  つまり、記憶を失った女好きの老人は……実は誰よりも熟練の冒険者なのだった。  ミサキが調べた、コッペペがアイオリスに流れ着くまでの経緯もそれを裏付けている。 「それで? ふむ……やっぱりか。これでわかった、ったく……食えねえおっさんだとは思ってたけどよ。って、んん? おっ、おいっ!」  思わず、報告書を睨んで大声が出てしまった。  しれっとミサキは『さらなる調査に挑んだ結果、氏はわたくしを夜のベッドに誘う程度の器量を持ち――』などとしたためている。  勿論、その直後に『冗談ですけどオホホホ、まあ若様は本気にしそうなのでもう一度。冗談ですわ』と続く。  相変わらず過ぎるミサキに、グヌヌとイオンは唇を噛んだ。  それはそうとして、ようやく判明した。  要するに、このアルカディア大陸でコッペペの記憶を戻す鍵は見当たらない。古くからの知己であるデフィールやクラックスが接触しても、記憶は僅かしか回復しなかった。 「ま、このおっさんのことだ……あんましこだわっちゃいねえとは思うがよ」  チラリと見れば、コッペペは今度はラチェルタたち三人を眺めていた。  暖かな老人の眼差しは、優しいようにも見えて、ちょっといやらしい気もする。  駄目だ、早くなんとかしないと……イオンがそう思った、その時だった。  不意に、少し離れた場所に立っていたアルコンが震えた。  彼女は言葉にならない声を漏らしながら、その場にへたり込んでしまう。  咄嗟に動いたのは、ラチェルタだった。 「はえっ!? アルコン、どしたの! 大丈夫かな、今行くよっ!」  ラチェルタはすぐ、周囲に浮遊する瓦礫をトントンと踏んで跳び、アルコンの元へと駆け付けた。異変を感じてイオンも走れば、上ずる声が細く小さく響く。 「私の、母星が……どうりで、連絡が」 「アルコン、しっかりして! えっと、こういうときは……ママみたいに、こうっ!」 「チェル、汝は……これは? 私はもう、故郷を……この旅路も」 「だいじょーぶっ! 大丈夫だよ、アルコン。一人じゃないし、一人にさせない。最後まで必ず、アルコンを連れてくから」 「しかし、今……知ってしまった。我が母星は」  ラチェルタは、全身でアルコンを抱き締めた。強く強く抱いて、彼女の光る頭髪の照り返しに微笑む。それでもアルコンの震えが止まらないので、彼女は相棒を呼んだ。  すかさずマキシアも、弾丸のように飛んでって二人を丸ごと抱き締める。 「うおおっ! よくわかんねーが元気出せ、アルコン! オレサマがついてらぁ!」 「汝も……こ、これは」 「人間てな、割と単純なもんなんだよ! 辛い時はギューってしやる! これだぜ!」  シンプルを通り越して、もはやイオンは言葉もない。だが、言葉のいらないことなのだと感じれば笑みが零れた。  なにかがアルコンに起こった……彼女は自分が向かう母星の異変を確信したのだ。  恐れ慄くアルコンに対して、少女たちは優しかった。  なんだかわたわたと、ラチェルタとマキシアがアルコンを慰めている。  やれやれと苦笑を零して、ふと気付く。  さっきまで隣りにいたコッペペが、消えていた。  かと思えば、芝居がかった声が響いた。 「大丈夫さ、アルコン。オイラに任せな……なにがあったか、話してくれるかい?」 「汝は」 「なに、オイラは女の子が好きだが、女の子の涙は苦手でね。それも、悲しい涙は、こいつはいけねぇ」 「……母星が、ふるさとが」 「なにかあったんだな?」 「太古の昔に生み出されし禁忌……恐るべき災厄が今も、この宇宙を漂っていたのだ。それがどうやら、母星を」  ――星喰。  それが、アルコンが口にした驚異の名だ。  イオンは不思議と、その名を聞いて総身が凍えるような感覚に陥った。イオンとて屍術師、呪詛や祈祷にも詳しいし、魔術にも明るいつもりだ。  星喰というその名自体が、強力な術式の集合体だ。  特定の波長で震える空気自体が、その恐ろしさを伝えてきたのだ。  だが、コッペペやラチェルタたちだけが普段となにも変わらない。  否、コッペペの無駄に作り込まれたイケメンオーラだけが力を増しているのだった。 「アルコン、オイラ思うんだがよ……お前さん、すげえ力でなんでもわかっちまう。ほいでもよぉ、アルコン。オイラたち冒険者は、自分で見て聞いて、そして感じたことが全てさ」 「しかし、確かに感知したのだ」 「だとしたら、その星喰ってやつぁオイラが……オイラたちが片付けてやるさ」 「汝は知らないのだ! 星喰は、遠き父祖が生み出した文明の破壊者」 「それを見たのかい? アルコン。なにより……星喰に負けるオイラたちをもう見たかい?」  コッペペの言葉に、アルコンは唖然としてしまった。  だから、イオンもやれやれと肩を竦めながら歩み寄る。 「アルコン、冒険者ってのはこういう生き物な訳よ。それに、仲間のためなら命だって張れらぁ」 「仲間……私がか」 「おうよ。冒険の仲間だ。嫌かい?」  イオンが笑いかけると、泣きながらアルコンは首を横に振る。  星々よりも眩い涙の粒が、漆黒の空へと吸い上げられていった。  そして、冒険者たちは知った……最後の旅の行く先に、最後の強敵が待ち受けていると。