その敵の名は、星喰。  この第六階層『赤方偏移ノ回廊』の果ての果てにて、冒険者たちを待ち受けているらしい。星喰もまた、アルコンが作ったこの回廊を遡って人間の星を目指しているのだ。  ならば、絶対に倒さなければいけない。  不思議とスーリャは、報酬も称賛もわからない戦いを躊躇わなかった。 「フッ、妙な話だな。私はただ、生きるために戦い、生き残るために殺してきた。それなのに今、死をもいとわず戦おうとしている」  小さな呟きが本音の本心で、そしてなにも不思議に思わない。  その理由が、目の前を三人並んで歩いていた。  ここはかなり奥まで進んだ進んだフロアで、巨大な大広間だ。その向こう側は星々の光に溶け消えて、見渡すことができない。  そして恐ろしいのは、その床の大半が魔法の茨を敷き詰められているということだ。  チコリが常備していたアイテムがなければ、消耗を強いられていただろう。  そのチコリを挟んで、ノァンとワシリーサがおっかなびっくり歩いていた。 「あたしから離れなければ大丈夫ですっ! 斥候の長靴って言って、装着者を中心に一定の距離を安全な道にしてくれるんですよ」  ヘヘン! と得意気にチコリは胸を張っている。  確かに、彼女の足元から小さな光が広がっている。その波紋のような円の内側は、床に張り巡らされた侵入者対策の茨を無効化していた。  しかし、スーリャは次の一言には首を傾げる。 「これがブラニーの知恵です! ノァンもワーシャも、大船に乗った気でいてください!」 「凄いのです、チコリはアイテム博士なのです」 「頼もしいですわ、チコリ様。さ、この奥の地図をわたくしたちで完成させましょう」  意気揚々と腕を振りながら、大股でチコリが歩いてゆく。  どう見てもアースランにしか見えないのだが、彼女はずっと自分をブラニーだと言い張っている。それは、彼女の生い立ちや育ちが関係しているのだろう。  無粋な詮索はしたくはないし、彼女が言うならチコリはブラニーなのだ。  それくらいの当然の配慮が、今のスーリャにはどうにかできるようになっていた。生来、人と関わらずに暮らしてきた身だが、今は他者との関係性をありがたく思うことが多い。  そう思っていると、隣であづさがニコニコと笑っていた。 「ブラニーは賢くて情に厚い種族だからねえ。草原で捨て子でも拾ったんじゃないかね」 「……そういうことも、あるのか?」 「そりゃそうさ。ブラニーは拾ったものは大事にする。それが何でも、何者でも同じさね。あとは……まあ、なにかしら事情があるんだねえ。誰にだって同じことさね」  あづさのいう通りだ。  スーリャとて、人ならざるモノの血を半分受け継いでいる。  そして、そのことで今までは陽の光を避けて行きてきた。闇から闇へと影の中、汚れ仕事でその日暮らしの毎日だったのだ。  それが今は、こうしてアイオリスの冒険者として真っ当な暮らしをしている。  収入も安定してるし、衣食住に困らない。  なにより、誇れるものや守りたいものができた。  それは、スーリャに今までにないモチベーションをもたらしてくれるのだった。 「ばばさま、チコリは……私とも友達になってくれるだろうか」 「おや、なにを言うんだい? 妙な子だねえ、スゥは」 「そ、そうだな、おこがましい話だった」 「そうじゃないねえ、スゥや。もう、とっくにだろう?」 「そう、だろうか」  その時、チコリが満面の笑みで振り返った。  そして、ムフー! と鼻息も荒く鞄に手を突っ込んだ。 「あれれ、スゥさん! ひょっとして、少し疲れてますね! さっきから何度か戦闘して、疲労が貯まってますね!?」 「あ、いや、私は」 「そういう時はこの薬草です! 煎じて飲むのもいいですが、このまま噛んでもかなり薬効が」 「……フフ、いや、ありがとう。私は大丈夫だ」  まるでチコリは、歩く薬草畑だ。次から次と様々な草花が鞄から出てくる。どれもまだ瑞々しく、よくもまあ詰め込んだなと思えるくらいには大量だ。  彼女は薬草の花束を再び丁寧に鞄に収め、愛用のメイスを両手でかざした。 「でも、スゥさんの前衛での負担が大きいですよね。次はあたしがこの愛用のメイスで!」 「おおーっ、チコリは頼もしいのです!」 「ええ、ええ、任せてください! ノァンさんもワーシャさんも、あたしが守ってみせます! いざとなれば少し危ない薬草もありますし、ちょっとキメれば百人力です!」  あまり意味がわかってないのか、にっぽりとワシリーサは笑っている。  今日は女性のみのパーティでの探索だが、不思議と心細さは感じない。それに、むしろ普段はできないようなガールズトークが花咲いて、その中にスーリャも交じることができた。  ここが危険な迷宮だということさえ、ともすれば忘れてしまいそうである。  そして、僅かに緩んだ空気をあづさが引き締めてくれる。 「さあさ、お前さんたち。あまりはしゃぐでないよ? そういうのは帰ってから、お茶の時間にでもゆっくりやるとしようねえ」 「は、はいっ! そうでした。ええと、地図では……この先がまだ、空白地帯ですね」  チコリがそそくさと地図を取り出し、それを左右からノァンとワシリーサが覗き込む。  入り組んだ通路も面倒だが、ただただ広いだけのフロアも厄介なものである。なにせ、壁伝いに歩こうにも壁がなく、ところどころに柱のような狭い壁面があるだけだ。  そして、うろつく魔物は手強く、示威行動で居座ってる大型の個体も多い。  特に、圧迫の牛魔人と呼ばれる巨大なバケモノは驚異だ。 「さ、進もうじゃないかね。チコリや、長靴は持ちそうかい?」 「はいっ、ばばさま! あと三足持ってきてるので、今日いっぱいはうろつけますよ」 「よしよし、準備がいい子は好きだよ。じゃあ、この無闇矢鱈と広い部屋の……その一番奥を地図に書き込んでみようじゃないか」  スーリャも他の三人と一緒に、元気よく返事を一つ。  この一体感もまた、冒険者になって得られた小さな喜びだ。  背を預ける仲間がいて、信頼と絆とを感じられる。  それは、孤独の中で戦い続けてきたスーリャにはとても温かかった。  そして、一同は互いに離れ離れにならぬよう調査を再開させる。 「っと、ストップ! 皆さん、ストップです!」  少し歩いてすぐ、チコリが先頭で立ち止まった。  スーリャの目にも、厄介な障害物がぬぼーっと立ち尽くしているのが見える。  あれがこの迷宮でも一、二を争う危険な魔物……圧迫の牛魔人だ。  全身が筋肉でできた、壁のようにそびえる巨人である。  圧迫の牛魔人は、近付くとこちらに反応して距離を詰めてくる。だが、こちらから仕掛けなければ襲ってくることはない。ただし、追い詰められたらアウトである。  向かう先を通せんぼするように立っていて、迂回するのも難しそうだ。 「あうー、ワーシャ……あいつ、どかないです」 「右に避ければ右に、左に寄れば左に動きますわ。あくまで立ち塞がるつもりですのね」 「こういう時は、やっつけてしまうのも手なのです! ……でも、オシショーいわく『ハッハッハ、拳で語らい拳にものを言わせる、それだけが格闘士ではありませんぞ』なのです」  ノァンのモノマネは全く似ていないが、ジズベルトの言う通りだ。  それでスーリャは、ポンと手を叩く。 「よし、私がちょっと行ってこよう。なに、追いつかれなければ戦闘にはならない。あの場所から引き剥がすから、その隙に……ん? ど、どうした、ワーシャ」  気付けば、ワシリーサが笑顔でこちらを見詰めている。  だが、満面の笑みが逆になにかを訴えかけているようだ。 「スゥ様?」 「いや、危険は少ない。大丈夫だ」 「スゥ様」 「それに、まだ先があるように見えるし、戦闘は控えるべきで、その」 「スゥ、様?」 「……うん、危険なことはやめよう。一人ででしゃばっても駄目なんだったな」 「はいっ。でも、ワーシャにも考えがあるのです」  スーリャは実は、ワシリーサのこの妙な押しの強さ、これと決めたらテコでも動かない頑固さが好きだった。意思の強さというか、一本芯の通ったしたたかさのようなものがある。  その彼女が、大胆なことを言い出した。 「牛魔人さんは、近付くと動き出しますわ。ですから、上手くあるけば大丈夫。あの子を連れたままでも、触れなければ自由に歩き回れるかと」  ワシリーサは、迷宮のギミックや魔物の特性をよく知っている。覚えていて、忘れずにいつも活用してくれるのだ。  改めて距離を考え、意を決してスーリャたちは歩き出した。  迂回するように歩けば、予想通り圧迫の牛魔人が後ろからついてくる。その息遣いを背中に感じながらの迷宮探索は、生きた心地がしない。  結局、その日は広大に過ぎるフロアの北端を確認し、地図に書き込んで終了となった。かなりの距離を歩いたが、戦闘は避けられたし、誰も怪我をしなかったのである。  こういうやりかたもあるのかと思えば、スーリャには新鮮な喜びが満ちてゆくのだった。