レヴィールには、冒険者として仲間たちと激闘を潜り抜けてきた自信があった。  それなりに上手くやれてる、そういう自負もあった。  それは過信ではなく、積み上げたささやかな自尊心だった。  ただ、それは全て一瞬で過去になったのである。 「ハァ、ハァ……駄目、全然先に進めてない。数も質も普通じゃないわね」  星々の明かりが灯る回廊は今、一進一退の激戦区と化していた。  レヴィールたち冒険者が前進すればするほど、魔物の脅威は増してゆく。  少しも気の抜けぬ戦いが続く中で、息が切れて全身が重くなっていった。 「レヴィ、だいじょぶ? 凄い汗……っとっとっと、マキちゃん! 横から来るっ!」 「オーライ、チェルッ! 横入りたあ、抜け目ない、ぜっ!」  レヴィールを気遣ってくれた友人たちも、それ以上の余裕はなさそうだ。  通路は先が開けて、やや広い空間が続いている。一本道だが、奥へと細長く続く大広間とも言えた。そして、そのスペース全てが罠と魔物とで埋め尽くされている。  やはり、大切なものが安置されてるだけあって、守りが固い。  だが、パーティの先頭を自ら買って出た手前、レヴィールは引けなかった。  自らを奮い立たせ、しなる突剣を振るう。 「大丈夫よ、チェル! マキと一緒に、わたしが受け流した敵を潰して!」 「りょーかいっ! 任されたよっ!」 「レヴィも無理すんなよ。お前、ちょっぴり年上だからっていつも気張り過ぎだかんな!」  マキシアに言われるまでもなく、自覚はあった。  チェルマキコンビ、ラチェルタとマキシアの無茶で無謀、無鉄砲な毎日を追いかけていたら、自然とそうなったのだ。  でも、今はそういう自分を望んでいる。  そして、前より二人に追いついていけると思えた。  以前よりずっと成長して、幼馴染の二人は立派な冒険者として強くなった。それは自分も同じで、まだまだ三人の日々は続くと思いたかった。 「さ、もう一息よ! ここが正念場だもの、負けるなレヴィール・オンディーヌ!」  自分で自分を叱咤する。  同時に、襲い来る爪と牙とが閃く。  鋭い輝きが、敵意と殺意でギラついて迫った。  その全てを、レヴィールは踊るように剣舞でいなして流す。  既にもう、鎧は脱ぎ捨て肌も露わだ。半裸に誓いインナー姿だが、剥き出しの肌が鋭敏な感覚をさらなる領域へと引き上げてくれる。  薄氷を踏むような戦いも、迷わず先へと踏み込める。 「まきりさんは守りを捨てて一撃必殺の四刀流、チェルとマキがインターセプトしてくれてるし、あづさ様の援護もある。――まだ、いけるっ!」  荒れ狂う猛攻の中へと、迷わず分け入ってゆくレヴィール。  自分を楔として打ち込み、敵の圧力を左右に分散して逃がす。力で押し込んでくる暴力の壁を、いなして捌き、流して崩す。そのための技を日々、レヴィールは鍛えてきたのだ。  だが、ここが人知の及ばぬ魔窟だということも承知していた。  平静を自分に念じても、恐怖と疲労が全身を侵食してくる。  そして何故か、自動的に動く肉体とは裏腹に……鮮明な意識が過去の追憶を思い出した。 『この銅像がおばあちゃまなの? すごーい!』  もう十年以上も前の話だ。  小さな小さなレヴィールは、祖母の肩の上で少女騎士の像を見上げていた。威風堂々、その名はエトリアの聖騎士。幼少期の記憶は鮮明で、あの時の憧れも胸にまだまだ熱い。  なにより、自分を抱えて立つ祖母デフィールの若々しさ、力強さははっきりと覚えていた。 『いいこと、レヴィ。冒険者になることと、私を追うことは同義じゃなくてよ。自分と闘い、自分だけを追い求めなさいな』 『む、難しいお話……おばあちゃまみたいになっちゃ、駄目なの?』 『貴女は貴女にしかなれないのよ。それを忘れないで……そして、知って覚えて、その身に刻んでゆきなさい。貴女にはきっと、頼れる多くの仲間ができるから』  祖母は無敵の聖騎士、半ば伝説と化した存在だ。  老齢を全く感じさせぬ美貌に、卓越した力と技……熟練の冒険者として、数多の世界樹を旅してきた英雄である。そんな祖母が誇らしくて、眩しくて……一時期は、眩し過ぎてなにも見えなくなっていた。  今は違う。  もう違うんだという想いが、レヴィールを前へ前へと押し出していた。 「これこれ、レヴィや。そう急いて進むものじゃないさね。息があがっちまうよ」 「だっ、大丈夫です! あづさ様、それより後ろは」 「まきりがザクザク斬り捨ててるけど、そうだねえ……かなり寄せてきてる。挟み撃ちたあ、敵さんも手が込んでるものさ」 「なら、進みます! 追いつかれる前に、一番奥まで突っ切って――」  目の前に突如、巨大な蛸の怪物が浮かび上がった。  猛スピードで触手が伸びて、無軌道にレヴィールへと襲い来る。  研ぎ澄まされた反射神経で、その全てを剣で受け止め、力を減殺して受け流した。  だが、相手は八本の足で一度に八回の攻撃をねじ込んでくる。それを弾いて無力化するレヴィールの剣は、一振りしかない。  当然のように、絶体の制空権をすり抜けた一撃がレヴィールを掠めた。  鮮血が舞い散り、防具のない柔肌を斬撃が切り裂く。  それでもどうにか踏み止まった、その瞬間だった。 「レヴィ、ボクに任せてっ! 任されてるから、ナイスなフォロー入れちゃうよっ!」 「おうこら、タコ野郎ッ! うちのレヴィになにしてくれやがるっ!」  左右から刃が飛び出て、触手の猛攻が押し返される。  負担が三分の一になった瞬間、レヴィールの剣は息を吹き返した。  一気呵成に触手を二本三本と斬り落とす。異形の触手は本体から離れても、びちびちと体液をまき散らして床に踊っていた。  それを無視して、強く低く、鋭く切り込む。  一閃で払い抜けたところで、背中はシールオクトパスの断末魔を聴いた。そういう名前の魔物だったことも、今になってようやく思い出される。  そして、よろけてふらつき、レヴィールはついにその場に片膝を突いた。 「やべぇ! チェル、タコ助はもういい、行くぞ!」 「りょーかいっ! 待っててレヴィ、マッハの光速で助けちゃうよー!」  ああ、また……レヴィールは立とうとして膝に手を当てる。自分で自分を引っ張り上げようとしたが、脚は既にガクガク震えて上手く力が入らなかった。  結局、今度もまた無茶をしてしまった。  それを承知で、無理をした。  今のパーティではそれがベストだったし、頼れる仲間も一緒だから。  だが、目の前にまだまだ敵は十重二十重……無限にも思える敵意が満ち満ちている。 「ここまで、ね……チェル、マキ、無理はしないで。って、わたしが言うかな、それ」  自然と笑みが零れたが、諦めた訳ではない。  今になって出血する傷の、その灼けるような痛みが思い出された。  激痛がまだ、自分が生きているとレヴィールに教えてくれる。  そして、諦めを踏破すると決めた瞬間……目の前の光景が弾けて霧散した。  気付けば目の前に、黄金の鎧を身に纏う騎士が立っていた。その背中がとても大きく見えて……肩越しに振り返る微笑が目元だけは笑っていなかった。 「うっわ、デフィールえぐいなあ……だんだん竜騎兵も板についてきた感じだね」 「ま、そこそこでしてよ? さて……レヴィ? 貴女、なにをしてるの」  ゆらりと祖母の輪郭がほどけて、あっという間に金色の鎧が人の姿へと戻る。ラチェルタが「あっ、パパ!」と叫んだが、その声も絶叫と咆哮の中へと消えてゆく。  激闘のさなかで、レヴィールだけが歩を止めていた。  傷付き疲れた自分自身に押し潰されながらも……彼女はまだ、突然現れた伝説の大英雄を見上げていた。その瞳はまだ、強い力が灯っているのだった。