レヴィールの前に、伝説の英雄たちが立っていた。  その一人、祖母のデフィールが厳しい眼差しで見詰めてくる。  咎めるでもなく、責めるでもない。  ただ、真っ直ぐ注がれる視線にレヴィールも瞳で頷いた。 「わたし、は……おばあちゃまみたいな騎士に、なる。でも、今……わかった」 「あら、なにかしら。教えて頂戴、レヴィ」  震える両膝に力を込めて、なんとか立ち上がる。  そんなレヴィールの左右に、転がるように仲間が駆け付けた。  我先にと身を乗り出して、友人たちが声をあげる。  それは、ずっと追いかけてきた親友の声だ。 「おばさんっ、違うの! レヴィは頑張ってるし、立派に騎士してるよ!」  あっ、と一瞬場の空気が凍った。  だが、ラチェルタはNGワードを口にしたのも気付かぬ勢いで喋り続ける。  年寄り扱いを誰よりも嫌うデフィールも、そのことに口を挟まなかった。 「ボクたち、すぐに先走っちゃうことも、たまに、えっと、うん、ごくたまにあるよ。でも、それってレヴィがいてくれるからなの。えっと、前にパパが言ってた……そうっ!」  ぱむ、と手を叩いてラチェルタが笑顔になった。  彼女の太陽みたいな微笑みは、怪我も疲れも感じさせない。  それを真横で見ていて、レヴィールは意外な言葉に驚く。 「これが多分、背中を預けるってことなんだと思う! ねっ、マキちゃん!」  逆隣からマキシアも言葉尻を拾った。 「そうだぜ、ばあさん! レヴィはアンタに惹かれて引っ張られて、必死で食いついてここまでやってきた。でもっ、アンタがゴールじゃねえし、その先でオレたちと前に進むんだっ!」  ピクリと片眉を跳ね上げたが、やはりデフィールはなにも言わなかった。  その間も、周囲の魔物を蹴散らすクラックスだけが笑っている。  追いついてきたあづさやまきりも、黙って祖母と孫娘を見守っていた。  そして、観念したようにやれやれと肩を竦める。  そこにはもう、試練を裁定する英雄の顔はなかった。 「嫌ねえ、二人共……私を年寄り扱いして。……ふふ、でもいいわね。レヴィ、貴女が追いかける自分だけの未来。ちゃんとあるじゃない」  自分でも最近、強く想っていたことがある。  このまま冒険者を続けても、いつかは領地へ戻って家を継ぐ……オンディーヌ家の長として民のために働く日が来る。  だが、二人は違う。  幼馴染のラチェルタとマキシアは、これからも未知と神秘を求めて走ってゆく。先走ってピンチに突っ込み、必死の形相で逃げ帰ってくることもあるだろう。その時に迎えてやれる、守ってやれる自分でありたいとも思っていた。  でも、それももう必要なくなりつつある。  だからといって、おとなしく家にも帰りたくない。 「おばあちゃま! わたし、もう気付いてた……知ってた。チェルとマキには、もうわたしが必要ないって。役割分担としての守りの要、そういうわたしはいらないって」  だってそれは、若かりし頃のデフィールそのものだから。  そうなりたいと憧れて邁進した、そうして年下の二人を守ってきたつもりだった。  でも、最近は違った。  薄々気付いていた。  三人での冒険の日々が、役割や適正よりも大切なものを三人の中に芽生えさせた。それを皆、知らず知らずのうちに育み成長させていたのだ。 「わたし、もう……守ってあげなきゃなんて、思わない。でも、守ってあげたいし、一緒にいたい! チェルやマキと一緒に、これからも冒険者として生きてきたい」  かしまし三人娘の中で、自分がストッパー役の常識人だとも思っていた。けど、冒険の日々はそうした形だけのポジショニングをあっという間に溶かし、くっつけ、一つにしていった。  ラチェルタは無鉄砲で無軌道に見えても、持ち前の身体能力を上手く使えるようになった。マキシアも頭を使うようになったし、互いの連携がスムーズになっていた。  レヴィールが受け止めいなして弾き、二人が反撃と攻撃を担当する。  そういう判で押したような戦い方はもう、過去のものになりつつあるようだ。  そしてそれを、どうやらデフィールは見抜いていたようだった。 「私にはっきり自分の考えを言ってくれるの、初めてね。レヴィール、よくてよ?」 「えっ?」 「素敵じゃない……貴女は今、自分の未来に追いつきつつあるわ。でしたら」 「……うん。うんっ! わたし、追いつき追い越して、その先に行くっ! チェルとマキと一緒に、並んで進むんだっ!」  少し年上だから、どうしても一歩引いて見ていた。  お姉さんぶってたことも、今は少し素直に受け止められる。  そして、今は予感が確信に変わっていった。  若かりし頃のエトリアの聖騎士もまた、同じ想いだったのではないかと。  ようやく今、レヴィールは改めて仲間に、友になったのだ。  自分はもう追いかけるのではなく、並んで走りたい友を得たのだった。  そのことが素直に言葉になった瞬間だった。  今まで忘れていた敵意と害意が、あっという間に周囲から津波のように押し寄せた。  だが、デフィールは全く動じずレヴィールたち三人を見て微笑む。 「行きなさい、レヴィ。そして、生きなさいな……貴女の人生を。チェルもマキも、よくて? 先のことは誰にもわからないけど、先に進むなら誰にだってできる。貴女たちはそれを、きっと三人でね。――それと」  一瞬でデフィールの姿が消えた。  そう思った瞬間、咄嗟に逃げようとしたラチェルタとマキシアが悲鳴をあげた。  全く目で追えぬ神速で、デフィールは後ずさる二人を掴まえたのだ。  そして、両手で二人の頭を挟むや、こめかみにゴリゴリと拳を押し当てる。 「で? それで? だーれーがー、おばさんで、ばあさんですってー!?」 「あががががが、痛い痛い痛いごめんなさーい!」 「クッソ、やめめめめめ、悪かったぜ! 許してくればあさん!」 「まだ言うかっ! もーっ、若い子って肌もすべすべで瑞々しくてまあ! つやつやしてるし! んもー!」  その時だった。  あづさの弓が静かに歌って、再び戦端が開かれる。  一時立ち止まっていた冒険者たちは、最後の進撃を再開した。  一番先頭では、黄金の嵐が刃の烈風を振りまいていた。触れる全てを切り裂く輝きが、風をはらんでレヴィールたちの前にズシャリと止まる。  初めて見る本気のクラックスは、普段の陽気で人懐っこい表情が嘘のようだ。  高揚感に上気した顔に、興奮で輝く瞳がギラギラと燃えている。 「三人とも、おいでっ! 一気に突っ切ろう……たまには本気、出したいしね」  迫る魔物は皆、この迷宮最深部でも最強クラスの強敵揃いだ。  地響きをあげて迫る圧力を前に、クラックスはゆったりと両手を広げ……人間の輪郭を静かに解いてゆく。ほのかに光り出した彼の身体は、あっという間に膨れて異形の姿へと変わった。  神々しいとさえ言える、月影の金蜥蜴が巨体を揺すって吠える。  友人の父親が人間ではないこと、これはレヴィールは昔から知っていた。  しかし、実際に見るのは初めてだ。  威風堂々、金色の闘志に空気さえバチバチとプラズマを咲かせている。  そして、よしきたとばかりにラチェルタがその背に飛び乗った。 「マキちゃん! レヴィも! パパに乗って! 一気に駆け抜けちゃうよっ!」 「うおおおおっ! チェルのオヤジさん、かっけえええええ! なにこれ、マジかよ! 超すげえぜ! ほらレヴィ、行くぜっ!」 「え? あ、ちょ、ちょっと、マキ! チェルも!」  伝説のドラゴンに勝るとも劣らぬ、勇壮にして華麗なる獣が躍動する。  その背で振り返れば、祖母たちが周囲を掃討しつつ笑顔で見送ってくれた。  黄金の風となって吹き荒れる中で、触れる全てが絶命してゆく。まさに、吹き荒れる死の疾風だ。そして、その背で必死にレヴィールは友と剣を振るった。  あっという間に、最深部の部屋が見えてくる。 「パパ、あそこ! あれ、多分アルコンが言ってた装置だよー!」  阿吽の呼吸で、クラックスはスピンするように周囲を薙ぎ払う。同時に、その背から弾かれるように愛娘を宙へと放った。風になるラチェルタが、マキシアと一緒にレヴィールに手を伸べてくる。  手と手を結んで飛び出せば、自然とレヴィールは前に出た。  仲間の盾としてではなく、我が身で全てを捌きいなす必要もない。  ただ、進む先へと剣を、その切っ先を突き出す。 「チェル、マキッ! わたしに続いて……この一撃を、繋げて紡いで!」  一際巨大な魔物が、鬼神のような巨体を揺すっている。その牛貌へと真っ直ぐ、レヴィールは乾坤一擲の刺突を繰り出した。無数の突きを束ねた連撃に、ラチェルタとマキシアのチェインが重なり一つになる。  無限にして唯一の連撃が、幾重にも獄炎と閃雷で光と走った。  気付けばレヴィールは、普段の友がそうであるように……ノリノリの決めポーズを三人で決めながら、装置の前に降り立っているのだった。