ナフムは走った。  疾走って、奔り続けた。  その先に待つものがあると、確信して。  ただ信じて、鉄火場と化した回廊を突き抜けた。 「クッ、使うかよ! 今っ!」  銃の排莢と同時に、盾で敵の前衛を押して圧す。  宙を舞う灼けた薬莢が、回転しながら描く弧の先に……敵、敵、敵。魔物が津波のように押し寄せてくる。  ナフムは躊躇せず盾を手放し、無造作な蹴りをくれて押し出す。  そのままポケットから取り出したるは、魔弾。  二発しかないとっておきだ。  とっておきたかったことも事実だが、今がその時でもある。 「ちいとばかし見通しよくさせてもらうぜ! こいつでっ」  焦げた血の匂いと、獰猛な唸り声の向こう側へ。  ナフムは真紅の弾丸を装填するや、愛銃をクルリと一回転。そのまま狙いも定めず銃口を向けて、銃爪を引き絞る。  撃鉄に尻を叩かれ、魔弾は紅蓮の炎となって飛び出した。  刹那、獄炎が前方の空間を塗り潰す。  放たれた弾丸は、その中に封じられていた焔を解放する。  射撃の反動でズザザと地面をえぐりつつ、急いでナフムは盾を拾って振り返った。 「ヒュー、なんてこった……こいつは強力過ぎるな。骨も残らねえよ」  だが、奥の手の一発を使ってしまった。  セリクが選別でくれた魔弾は、嘘か真か火竜の息吹……今、目の前に十重二十重と迫っていた魔物たちが、文字通り消滅してしまった。  そして、ナフムの銃もまた赤熱化している。  銃身が溶け始めていた。  それでも、追いついてきた仲間たちにナフムはおどけてみせる。  真っ先に聞こえたのは、相棒の声だった。 「派手にやったね、ナフム。そういうのがあるなら、早く使ってくれないかな」 「おいおい、兄弟! とっておきってのは、本当にここ一番って時にとっとくもんだぜ?」 「はいはい、そういうことにしておこうか。……あと何発あるんだい?」 「次が最後の一発、それで看板だ。それより」 「その銃……」 「長く使ったが、ここいらが寿命かな? ま、これが終わったらのんびり修理するさ。もちっとバレルやらなにやらいじりたいしよ」  これだけの強行軍を続けても、最前線を走るナフムは背後を衝かれなかった。  楔となって我が身を打ち込む、そうして切り開いた道に仲間たちが続いてくれたからだ。だが、フリーデルはともかく、他の三人はそろそろ限界である。カズハル、バノウニ、そしてアーケン……皆、息を切らして肩を上下させていた。  だが、集中力を切らさず周囲を警戒し、燃え残った敵へと対処している。 「なんだ今の!? 爆弾でも落ちてきたのかと思った!」 「すげーなおい! んじゃ、カズハル! おめえも今のやつ、やれ!」 「ちょ、無理だってアーケン。今の多分……魔弾とかってのじゃないかなあ」 「一発で家が買えちゃったりするやつね。禁忌指定すれすれの反則技だよ」  若手三人組のテンションは高く、互いの未熟さを庇い合う戦いには隙がない。  だが、そろそろここいらが潮時だ。  そして、まだまだ奥へと進まねば目的は達せない。  友が、ニカノールたちが待っているのだ。 「うし、フレッド。三人と退路の確保をたのまあ」 「ナフム、君は?」 「もうちょいってとこまで来てんだ。あとはゴリゴリにゴリ押しでいけんだろ」 「……また、無茶を言うね」 「無理じゃねえだろ?」 「まあ、そうだけど」  肩を竦めてナフムが笑った。  その頃にはもう、新手の敵意が前方に集まり始めている。  まるでこの場所は、悪意と害意の湧き出る泉だ。否、毒沼とでも言うべき禍々しさが湧き上がる。そしてそれは、尽きることなくナフムたちへと迫っていた。  いちいち相手をしているだけ、時間の無駄だと思える。  それでも、地道に足場を固めてここまできた。  そろそろ鞭を入れるにはいい頃合いだと、ナフムは感じていたし、フリーデルもそれを察していた。 「行ってきなよ、兄弟。俺の銃を持ってけ。弾もまだある」 「お、っとっと、サンキュ。……もし俺が戻らなかったら」 「ポーカーの貸しなら気にしないさ。あの世の果てまで取り立てにいく。それに……決してそうはならない。だろ? ナフム」 「そうだな、不レッド……フリーデル。じゃ、ちょっくら片付けてくらあ」  盾を捨てて二丁拳銃、だが自分の愛銃は温存する。今も白煙を巻き上げ、ゆっくりと輪郭を歪ませてゆく銃身……長らく苦楽を共にしてきた銃が今、ただの鉄塊へと死に絶えようとしていた。  その刻が零れ落ちて尽きる前に、最後の魔弾で決着をつける。  既にもう、余力を残さず出し切る時が来ていた。  そして、目指すべき安全装置へはもう、手が届く距離だと確信があった。 「ナフムさん! 俺たちも続きます! この数を相手に突っ込むなんて」 「あー? まあまあ、いいからよ……こういう見せ場は年長者に譲るもんだぜ? カズハル。それに、バノウニもアーケンも」  少年たちにへらりと笑って見せて、そして大きく頷く。  ナフムに死ぬ気はないし、命は捨てるものではない。  命は燃やして使うもの、この世で唯一燃え尽きぬ炎こそがナフムの生命力なのだ。 「んじゃま、片付け、ます、かっと!」  無造作にゆらりと走り出す。  同時にナフムは、デッドウェイトと化した鎧を全て脱ぎ捨てた。  背後からは死霊が舞い踊り、苛烈な魔法の光が稲妻を走らせる。  最後の援護、死力を振り絞ったなけなしの支援攻撃だ。皆で生きて帰るための、ほんの僅かな力さえ出し惜しみなくナフムを押し出す。  決死の特攻に近い突撃で、気付けばナフムは笑っていた。  愉悦や心酔ではなく、気が触れた訳でもない。  積み上げた努力を血と汗で磨いてきた、その先の勝利が見えたのだ。 「例の装置ってなあ、あれか! 思ってたよりちいせえな!」  蠢く魔物たちの向こうに、規則的な光を放つ機械があった。遥か空の彼方、星の海を住処とする種族が作った装置である。  攻めて攻めぬき、寄せ切った……それでもナフムに勝利の油断はない。  油断はなかったが、自分が思うより多くの傷と疲労とが、彼の体力を奪っていた。  不意に一瞬、視界が暗転する。  衝撃と痛みが襲ってきて、気付けば天地がひっくり返っていた。 「あ、ありゃ? とと、こいつはいけねえ……折れてらあ」  不意に強撃を食らって、吹き飛ばされたのだと気付いた。  その時にはもう、咄嗟に立とうとしたが右足に力が入らない。  痛みは既に、熱でしか主に負傷を伝えてこなかった。  そして、目の前に剛腕の怪物が壁のようにそそり立つ。  即座にナフムは、フリーデルから託された銃を歌わせる。だが、弾丸は虚しく魔物の表皮で跳ね返った。口径がやや小さな銃なので、弾丸が圧力負けしているのだ。 「なら、こいつか! ……頼むぜ、持ってくれよ!」  最後の魔弾を、愛銃に飲み込ませる。  だが、その輪郭は自らの発する排熱で白煙の中に歪んで見えた。  絶体絶命の危機に、それでもナフムは銃を構える。  諦めを知る身ではないし、諦めが悪いのが自分の美徳だと思っていた。  不意に光が線と走ったのは、そんな時だった。 「やあ。ちょっと見ない間に、男前になったねえ」  目の前で、圧迫の牛魔人が上下に両断されていた。  そして、牛魔人は自分が既に死んでいることにすら気付いていない。あまりにも鋭く、冷たく、無慈悲な一閃……牛魔人はナフムへとトドメを振りかぶって、自らの力でバランスを崩す。そのまま上半身がズルリと地に落ちて、それでもジタバタと拳を振るっていた。  その奥から、美貌の麗人が紅い笑みを浮かべていた。  血塗れの大鎌を肩に遊ばせる、それはシャナリアだった。 「……シャナリア、か。どういう風の吹き回しだ? 人間のアレコレには極力干渉しないのが、あんたの流儀だった筈だがよ」 「うん、そうだな。……そういう流儀で、昔に大失敗をやらかしたのさ」  以前、酔ったシャナリアが一度だけ話してくれた。  純真な少年を救って弟子にし、叡智を授けた。その少年はやがて成長し、アルカディア大陸の四種族に平和をもたらす旅へ出たのである。  その後のことを歴史は、動乱と暴王の名で記憶した。  悔いているのだとナフムは知っていたが、敢えて触れぬことが彼なりの気遣いだった。 「どうだ? ナフム……ポーカーの負けを全部チャラにしてくれるなら。まあ、それくらいなら、相応に手を貸してやろうかなと」 「……そりゃまた、お優しい、ことで」 「なに、なにもせず後悔するより、なにかして後悔したい。そう思っただけなのだけど」  既にもう、ナフムは視界が霞んで意識が薄れていた。  まるで、目の前にいるシャナリアが幻か夢のように感じる。  それでも、強固な意思だけは確かだったし、まだまだ見栄を張れるだけの気概があった。 「ん、だ……」 「なんだ、ナフム。聴こえない。大きな声で、はっきり言って」 「……ぶん、だ……ん、ぶん……半分だけなら、負けて、やっても、いい。全額チャラ、は……虫がよすぎるぜ? なあ、姐さん」  シャナリアは一瞬、目を丸くしたが……満足したように大きく頷く。  彼女の白い手が、静かにゆっくりとナフムの銃口を握った。ジュウ! と灼けた音が吸血姫の輪郭を振りほどいた。あっという間にシャナリアは、乱舞する無数の蝙蝠となって消えてゆく。銃へ吸い込まれるように霧散してゆく。  そして気付けば……ナフムの手に、真紅の銃が握られていた。  血のように真っ赤な、一回り大きく補強されたそれは生きていた。脈打つように唸る銃をナフムは、迷わず両手で振り上げ……魔弾の放つ炎で周囲を薙ぎ払うのだった。