遠くで微かに、銃声が聴こえる。  星からたなびく風が、剣戟の音を届けてくる。  ニカノールはまんじりともせず、お茶の入ったマグカップで手を温めていた。  目の前には今、航路を緊急閉鎖した見えない壁がある。  その向こうにはもう、星喰が迫っているのだった。 「キヒヒ、ニカ。落ち着かねえのかい?」  不意に、あどけない声がくぐもるように響く。  振り返れば、エランテがにんまりと口元を歪めている。閉じた瞼の裏側に夢見る少女は、クァイという名の夢魔によって動いていた。  エランテとクァイ、二人は共生関係にある。  両者がどうしてこの状態を望んだか、それはわからない。冒険者同士では詮索は無粋とされたし、ニカノールはなんとなく察していた。  クァイは斜に構えて得体が知れないところもあるが、危険な存在ではない。それどころか、エランテをギルドごと守りながら冒険を助けてくれるのだ。 「やあ、クァイ。どうにも小心だよ、僕は」 「そのようだなあ。だが、悪かないさ」 「ん、まあ……ちょっと格好がつかないなと思って」 「なに、ギルドマスターはデーンと構えてりゃいいのさ。常に『してやったり』な顔をしてりゃ、あとは仲間があれこれ片付けるもんだ」  幼い少女の容姿からは想像もできぬ、世間慣れして擦れたような言葉だった。  だが、元気づけてくれてるのだと知れば悪い気もしない。  そして、ニカノールは肩を竦めつつ緊張を和らげた。 「ま、僕もあれくらいリラックスできればいいんだけどね」  そう言って二人で振り返る。  その視線の先、持ち込んだ薬品類やアイテムの木箱の上で……一人の少女が大の字に天を仰いでいた。豊かに実る胸の膨らみが、呼吸に合わせて上下している。  この局面でも堂々と爆睡している、それはノァンだった。  先程までは、ワシリーサが持ってきてくれたお手製のマフィンを食べて、珈琲をちびちび舐めていた少女である。それが今、豪快にいびきをかいて眠っていた。 「キ、ヒヒ! キモが太いというか、まあ……気にするなよ、ニカ。ノァンだってああしてねえと、落ち着かなくてたまらねえのさ」 「……そっか」 「ああ」  ニカノールは改めて、仲間たちを見渡す。  ワシリーサとスーリャは、アイテムの整理をしながら談笑している。星々の瞬きもどこか遠いこの場所で、ワシリーサの笑顔が太陽のように眩しい。穏やかな春の日差しみたいで、見ているとニカノールの心も静かに凪いでゆく。  無表情の鉄面皮が代名詞だったスーリャも、最近はよく微笑むようになった。  まるで、お月様みたいに輝いて見える。  そんな二人をしみじみ眺めてると、背後で突然ずるりとなめるような声。 「あーれ? ニカちゃーん、どったの。自分の恋人眺めて、ニヤニヤしちゃってらあ」 「わっ、コッペペ! ……お願いだから、気配を消して近寄らないで」 「いやいや、オイラの存在感って特別だろ? 常に自然体のつもりだがねえ」  振り向く先で老人がガハハと笑う。  白髪交じりの髪をバリボリと掻きむしりながら、コッペペはクァイともうなずきを交わし合った。  今日のメンバーは、ニカノールとノァン、ワシリーサ、スーリャ、そしてコッペペ。  物資の運搬と護衛をしてくれた仲間たちは、一足先に引き上げた。  検品を終えたクァイも、これからアリアドネの糸で戻るところである。 「なあ、ニカ。コッペペの旦那も」  ふと、クァイが声のトーンを小さく落とす。少女の美貌が僅かに陰って、なんともいえぬ大人びた印象をニカノールに与えた。  クァイは鼻提灯を膨らませているノァンに目を細めて、呟きを零した。 「死体を継ぎ接ぎした乙女でも、夢は見るものかねえ」  なんとも夢喰いのクァイらしい言葉だった。  そして、ニカノールにはその答えがすぐに伝えられる。 「見るさ、寝ても覚めても夢ばかりだよ。僕だって……不死者だって夢を見る」 「いいねえ、ニカ。お前さんの夢は本当に美味しそうだ」 「おすそ分けできたらいいんだけどね」 「なに、もう十分にもらってるさ。なあ」  コッペペもまなじりをさげて、優しい好々爺のような表情を見せる。  ワシリーサやスーリャも、うんうんと頷きを交わしてはにかんでいた。  だが、そんな穏やかな時間が突如として引き裂かれる。  仲間たちが二手に分かれて挑む先で、確かに轟音が響き渡った。まるで、巨大ななにかが打ち下ろされたような、なにかが断たれて術式が解除されたような気配だった。  そして、瞬時にフロアの空気が凍りつく。 「っ! ――来たか、いよいよだね。クァイ、急いで戻って。僕たちの出番って訳さ」  ニカノールに気負いはなかった。  彼は戦いは苦手だし、道の強敵にワクワクできるほどの闘争心を持っていない。  それでも、この戦いが不可避であることはわかる。  勝利を求めてベストを尽くすとも決めていた。  そして、その意志を共有する相棒が立ち上がる。 「なんか来たです! アタシ、今ビビッと感じたです!」  背筋だけでピョンと立ち上がると、ノァンがとてとて隣に駆けてきた。  彼女にも、過度な緊張はない。  青白い肌の全身に、うっすらと縫い傷が浮かび上がる……高揚する中で、そんな自分を気にもとめないノァンがいた。  そして、目の前の透明な障壁が消えゆく中……その奥から、邪悪が身をもたげる。  凝縮された闇のような、息苦しい程の圧迫感が渦を巻いていた。  その中心に、ニカノールは確かに見る。 「……ちょっとした呪詛の塊、かな。直視するだけでも常人なら」  ――星喰。  アルコンたち星の海の民が生み出した、究極にして禁忌の兵器。目的もなく、ただ無差別に星々を食い荒らし、終わることを知らずに銀河をさまよう殺戮者だ。  その姿は、どんな魔物よりもおぞましく禍々しい。  貪欲な憎悪を象る表情、顔が真ん中にあって……そのシルエットは無数の武器で膨れ上がっている。さながら、膿んだ腫瘍が腐肉で武装してるかのような醜悪さだ。 「あ、あれが星喰……ニカ」 「うん。……ノァンもわかるんだね?」 「はいです。なんて、なんて……哀しくて、かわいそうなのです」  意外な言葉に、周囲の仲間が息を呑む。  だが、ニカノールも気持ちは同じだった。  目の前に浮かぶ破壊の権化が、どうしようもなく哀しい存在に見えた。酷くみじめで、ただただ強いだけの力でしかない物体。無限に星を貪る、それだけの虚しいイキモノに見えるのだ。  だが、冷酷無比な殺戮マシーンに同情は禁物だ。 「クァイ、早く糸を! みんな、やろう!」 「あいっ! アタシ、頑張るです! アルコンのパパやママの仇、バババッと討つです!」  だが、星喰はニカノールたちを睥睨して笑った。  嗤ったのだ。  僅かな憐憫の情さえも跳ね除けるように、不気味に身を揺すって唸る。機械とも生命ともつかぬ不気味な鳴動は、確かに星喰の下卑た笑みだった。  ならばとニカノールが身構えた瞬間……不意に周囲は灼熱の光に包まれるのだった。