一瞬の闇、暗転。  わずか数秒にも満たぬ行動不能の中、どうにかニカノールは立ち上がる。  だが、膝がガクガクと震えて上手く歩けない。  ピントの合わない視界も揺れてて、輪郭の滲む全てが霞んで見えた。  その中に、愛する者の姿を見た。 「ワー、シャ……よかっ、た。無事で……くっ、みんなは」  星喰から、恐るべき一撃が放たれた。  それは火炎と爆光を伴い、周囲を薙ぎ払った。  星の回廊は今や崩壊が始まり、宇宙の深淵へと吸い込まれ始めている。  その中心で、岩盤の上にワシリーサがへたり込んでいた。  膝の上に今、血塗れのスーリャを抱いている。  そして、彼女の視線の先に星喰と……立ち尽くすノァンの背中があった。  あのノァンが、立ち竦んでるようにさえ見えた。 「ノァン……ッ! う、腕が!」  ノァンの右腕は、肘から先がなかった。  それは今、彼女が立つ場所に血溜まりを作って落ちている。  肩越しに振り向くノァンの瞳には、大粒の涙が揺れていた。  絶望が誰の前にも等しく舞い降りる。  ニカノールも、手持ちの死霊を使い切ってしまった。魔力も体力も限界で、立っているのがやっとだった。  そして、さらなる絶望の声が残酷に響く。 「再生、加速……復旧率91%。フルバースト、スタンバイ」  また、あの恐ろしい攻撃が発動しつつあった。  破滅の光、フルバースト……どうやら星喰は、外部に露出した六つのパーツが完全状態である時に、フルバーストを放ってくるらしい。  そして今、それを防ぐ手立てはない。  夢喰いのクァイにはもう、頼れない。 「駄目、なのか……なにか、手は……まだ、なにかッ!」  その時だった。  精根尽き果てたニカノールを、なにかが呼んだ。  ささやくような、つぶやくような、それはニカノールにしか聴こえない声。  屍術師だけが理解できる、死せる者の魂が発する言葉だった。  振り向くと、そこに小さな小さな死霊が浮かんでいる。  とても弱く、何の役にも立たなそうな死霊だ。 「君は……僕に? ああ、これが……でも、まさか僕が」  高位の屍術師の中には、無意識に死霊を呼び出し使役する力を持つ者がいる。死霊は消耗品だが、同時に相棒、パートナーでもあるのだ。本来は高い集中力が必要な召喚だが……今、極限状態のニカノールから迸る魔力は、その残滓は死霊を自動召喚していた。  そして、一つ、また一つと死霊が増えてゆく。  通常行われる、三体までの召喚ではない。  大小様々、色も形も違う無数の死霊が浮かび上がってきた。 「僕に……使えっていうのかい? 君たちを……でも、それは。……ああ、そうか」  瞬時にニカノールは理解した。  理解というよりは、直感がそうだと言うので迷わず信じた。  この死霊たちは、星だ。  広がる宇宙に散らばった、星喰に貪られた星たちの魂なのだ。それが今、ぼんやりと光りながらニカノールを取り囲んでいる。  コシチェイ家の血と、数多の冒険で日々鍛えた力が今……銀河を彷徨う無念を吸い上げ具現化しているのだった。  そして、奇跡がもう一つ。 「復旧率100%……エネルギー、充填完了。殲滅、フルバースト――!?」  星喰が息を飲む気配があって、ガクン! と大きく揺れた。  フルバーストの光は、爆縮寸前の輝きを残したままで凍りつく。  そして、ニカノールの背後に気付けばコッペペが立っていた。  血塗れでフラフラなのに、彼は煙草の紫煙をくゆらせていた。 「よぉ、ニカ……へへ、またまたオイラがやらせてもらったぜえ?」 「コッペペ……あれは」 「見な、ちょいとさっき小細工をな」  星喰が苦悶の表情で、うつろな目で自分を見下ろす。  先程復活したパーツの中で、サウンドカノンと呼ばれる部位が不気味な鳴動に震えている。そのパーツと星喰本体の間に、なにかが挟まっていた。  先程コッペペが手放した……否、放り投げた盾だ。  コッペペは「狙ってやったんだゼ!」というドヤ顔で銃を構える。 「盾の裏にしこんだ予備弾薬のオマケつきだ……ま、喰らって寝てなさいっての」  小さな発砲音が、絶叫と悲鳴を爆発させた。  コッペペの弾丸が、狙い違わず盾を貫き誘爆を連鎖させる。  大きく揺らいで、星喰の声が意味不明な記号の早口へと変わっていった。  明らかに動揺している、そうわかった時にはニカノールは声を張り上げた。 「ノァン! 僕たちは負けない! まだ、負けてないっ!」  服の上から左胸を鷲掴みにして、声を限りに絶叫。  ニカノールの声に、ノァンもまた自分の胸へ手を当てた。 「僕の心臓を貸してるんだ! 預けてる! 僕とノァンと、鼓動は一つだ!」 「ニカ……」 「僕たちは死んだ! 一人と一人なら死んでる! けど、二人なら……生きてるんだ!」  呆然としていたノァンの目に、光が戻ってくる。  それは、ワシリーサが立ち上がるのと同時だった。  息も絶え絶えなスーリャの、その手がそっと彼女を促す。  もう、ワシリーサにも魔力が残されていない。彼女が必死に突き出す手には、小さな火が萌えていた。星喰のうめき声が撒き散らす波動で、今にも消え入りそうな灯火。  だが、粉々に砕けて舞う足場を跳んで、すぐにニカノールは駆け寄る。  ノァンに叫びながら、転がるようにジャンプを繰り返した。 「ワーシャ! ノァンを助けて、みんなと帰ろう! やっつけるよ!」 「ニカ様……はいっ! ニカ様となら、ワーシャは……あ、あら? あらあら?」  ニカノールは、飛びつくようにワシリーサを抱き寄せる。  それは、スーリャの身からはがれた瘴気兵装が姿を変えるのと同時だった。宵闇のようにゆっくりと、温かな闇が二人を包んで、その背に翼を象る。  ニカノールとワシリーサ、二人の背中に比翼と比翼……身を寄せ合う二人を、一対の黒い翼が包んでいた。それは今、星喰へと向かって静かに羽撃く。  ノァンもまた、ドンッ! と地面を強く大きく踏み締めた。  震脚の反動で、千切れて落ちた彼女の右手が浮かび上がる。 「ニカの心臓から感じるです! この胸の奥に! アタシの、アタシたちの命が燃えてるのです! うわあああああっ! ゲンコツッ、キイイイイイイイイック! なのですっ!」  宙を舞う自分の右拳を、ノァンは蹴り飛ばした。  まるで彗星のように、右手が飛ぶ。  それは、風圧で静かに開かれた。  まるで、誰かの手を求めるような手だった。  そして、そのまま掌底の一撃となって星喰に炸裂する。その顔面、眉間へと深々と突き刺さった。その時にはもう、ニカノールはワシリーサを抱き寄せ飛翔していた。  小さな白い手に灯る火に、ニカノールは手を重ねる。  周囲に満ちた死霊、星の無念の意思が全てそこへと吸い込まれた。 「星喰さん、あなたが食べ散らかしてきた命……その星の想いがこの力」 「そうだ、ワーシャの言う通りだ。報いを受けて、消えてなくなれ」 「もう誰も泣かないために! 今度はあなたがお星さまになるばんですっ!」  小さな火はいつしか、炎となって白く輝く。燃え盛るそれ自体が、生まれたばかりの超新星のように周囲を照らしていた。  ニカノールとワシリーサから、あまねく宇宙を照らして光る星が放たれる。  そして、究極の惑星破壊兵器は夜空のお星さまとなって消えたのだった。