扉の向こうでなにかが弾けた。  憎悪、殺意、怨嗟、憤怒……あらゆる負の感情が、光の中へと消えてゆく気配。  それを敏感に感じ取って、フォリスは背後を振り向く。  星の海を渡る旅人もまた、大きな瞳を見開いていた。 「汝も気付いたか、フォリス」 「ああ」 「星喰の気配が……あの、絶対的な害意が消え去った」 「の、ようだな」  ぶるぶると身を震わせ、アルコンが扉の前に立つ。彼女の驚きと感動を表現するように、七色の髪は世界樹のように枝葉を広げていた。  その輝きに照らされながらも、フォリスは特に感慨もなく彼女に続く。  そう、驚くに値しない。  容易くはないが、当然の結果だ。  彼の信じる仲間たち、友と呼べる者たちなら必ずやり遂げると信じていたからだ。  待ちきれないと言った様子で、アルコンが扉を開く。  その先には、先程とは一変してしまった光景が広がっていた。 「これはまた……随分と派手にやったな。迷宮自体が半ば崩壊している」 「我ら一族の航路も、渡るのは私が最後になるだろう。だが、これでいい……汝らの暮らす星には、我々の痕跡を残してはならない」 「そうか? そう言うんなら、まあ……でも、思い出くらいはいいだろうさ」 「思い出? とは?」 「俺たちの旅の思い出、だ」  呆気にとられたように、アルコンは瞬きを繰り返す。  そしてすぐに、ほんの少し表情を和らげた。 「では、この身に記録しよう。勇敢な者たちの数多の冒険を」 「俺も記憶にとどめておく。わすれないさ、アルコン」 「ああ」  そうして二人は、大小様々な瓦礫が舞い散る中へと踏み出す。  既にもう、重力は弱くなっていた。  アルコンが宇宙と呼ぶ星々の空間は、どこまでも無限の彼方まで広がっている。  そして、その中に優雅な羽撃きを広げる翼があった。  ゆっくりと降りてくる、それはニカノールとワシリーサだった。 「ニカ様、見てください! あそこにアルコン様とフォス様が」 「ああ! 降りてみよう。……と、とととっ? 翼が、消え始めてる!?」 「スゥ様の術が切れかけてます。このままだと」 「も、持ってくれよ。せっかくの勝利が台無しになっちゃう」  ふらふらと二人は、瘴気を編んで紡いだ翼を翻す。  そして、手に手を取り合ってフォリスの目の前に着地した。  二人共怪我でボロボロだが、その表情は明るい。  迎えるアルコンは、感激極まって駆け寄るなりニカノールの手を握った。 「ありがとう、ニカノール。汝の勇気を讃え、感謝を」 「星喰、恐ろしい敵だったよ。でもね、アルコン。こういうのは慣れっこなんだ」 「と、いうと」  ニカノールはワシリーサと一瞬見つめ合って、小さく頷き合う。  そして、フォリスが心に呟いた言葉をそのまま口にしてくれた。 「僕たちは冒険者だからね」 「そうですわ、アルコン様。たとえ評議会の依頼がなくとも、世界樹の迷宮にて強敵に立ち向かう、これはわたしたちのお仕事ですの!」 「友人のためなら、尚更だしね」  戦いは終わった。  それを実感して、フォリスは眩しい二人から目を逸らす。  そうして視線を宙へと放れば、虚無の深淵にも似た空間が広がっていた。星の瞬きが無数に飾られて、その光が照らす先が永遠に続いている。  どこまでも広がる宇宙の中に、見知った何かが浮かんでいるのに気付いた。  その時にはもう、フォリスは考えるより早く地を蹴る。  ふわりと浮かんで飛ぶ先に彷徨う、それはノァンの右腕だった。 「ノァン! ……どこだ、お前も生きているんだろう? 生きた死体が死ぬものか……お前が生きなきゃいけないのは、これからなんだ」  周囲に気を配って見渡すも、同じような景色が延々と続いているだけだ。  だが、やはりフォリスは落ち着いていた。  冷たくなったノァンの右手を握り、さらに手を重ねる。  必ず生きて戻ってくる、それもまた信じて疑わないフォリスの気持ちだった。  そして、呑気な声が真上から振ってくる。 「スゥ、あそこにマスターがいるのです! マスター、マースター! 右腕、取れちゃったです。くっつけてほしいのですー!」  見上げると、キメ顔でゆっくりと降りてくるコッペペの姿があった。  その彼が銃も盾も捨てて、両肩にそれぞれノァンとスーリャを担いでいる。あれじゃ、米俵か小麦袋かといった感じだ。  そして、ノァンが元気に手を振っている。  無事だとはわかっていた、自分にわからせていたが……それでもフォリスは、信じた未来が現実となって訪れた瞬間、安堵した。勿論、スーリャやコッペペが無事なことも知っていた。  そのコッペペだが、まるで舞台俳優のようにいぶし銀の渋さをかもしだしている。  だが、その口からこぼれ出る言葉はいつもの彼だった。 「ノァンちゃんはむちぷりだな、うんうん……あと十年もすればいい女になるぜえ? スゥちゃんはあれだ、もっと肉がつくといいんだが。こう、むっちりと言わずとも、ガッ!」  左右から、ノァンとスーリャが同時にポスンとコッペペを打った。  スーリャは耳まで真っ赤になってたし、ノァンはゲラゲラ笑っていた。  そうして三人は、フォリスと共に皆の元に降りる。  ここに戦いは終わり、いよいよ長い冒険の旅もフィナーレを迎えようとしていた。  その最後に、アルコンが感極まったように突然なことを言い出す。 「ニカノール、そしてニカノールの仲間たち。汝らに限りない感謝を。本当にありがとう。星喰によって我が同胞は全て滅びてしまったが、まだ生き残ってる船団がいるかもしれない」 「うんうん。そうだよ、アルコン。希望は常にある。僕たちも君の希望に祈るよ」 「重ねて感謝を、ニカノール。そこで、提案があるのだ。私も感謝の気持を坑道で表したい」  アルコンは一同を見渡し、はっきりと告げた。 「ニカノール……さらなる冒険の旅を、胸が踊るような日々を私と過ごさないか? 勿論、仲間の皆も一緒だ」  ――私と共に、星の海を征こう!  いつになく興奮した様子で、前のめりにアルコンが語ってくれた。キラキラと煌く彼女の双眸は今、見た目相応の幼い少女に思える眩しさだった。  恐らく、最後の最後で見せてくれたこの評定こそが、彼女の本当の素顔なのかもしれない。そう思うフォリスを、気付けばニカノールが見詰めていた。だから力強く頷きを返す。  だよね、とでも言うような笑顔で、ニカノールはアルコンに向き直った。 「ありがとう、アルコン。でも、僕たちは残るよ。星々を股にかけた大冒険は、自分たちの手でこの宇宙に来れるようになる日まで……それをいつか必ず実現させる次の世代に取っておきたいんだ」  フォリスもそう思ったし、少し驚きつつもアルコンは納得に微笑む。  この場の誰もが皆、想いはニカノールと同じだった。そう、フォリスたちもそれが当然に思える。ここから先の未知と神秘は、遠い未来に宇宙へ挑んてゆく者たちのものなのだ。  そう思った瞬間、意外な声があがる。 「あ、オイラはいいぜえ? 一緒に行こうじゃないの、アルコンよう」  振り向く全員の視線を余さず集めて、ヘヘヘと笑う男がいた。  コッペペである。  彼は「はいはいごめんよ、ちょいとごめんよ」と、いつもの調子で前に出た。 「オイラの記憶はとうとう、戻らなかったなあ。デフィールたちには謝っといてくれや。んで、アルコン。旅に一番必要なものは、なんだかわかるかい?」  突然のクエスチョンに、アルコンは小首を傾げた。  だが、コッペペは仰々しいほどに恭しく頭を垂れる。 「そりゃ、決まってるだろ? 歌と道連れだぜえ?」 「……一番が二つあるのか?」 「悪かないだろ、どれもが特別にそれぞれ一番だ。さ、オイラと行こうぜ」 「汝は……ふふ、そうか。やはり人間は面白いな」 「だろぉ? オイラと一緒なら、さらに面白いぜ。じゃ、そういうこった」  唐突に訪れた、別れ。  だが、やはりフォリスは驚かなかったし、ニカノールも察していたようだ。  コッペペという男は、永遠の旅人なのだろう。記憶もないまま老いてゆく中で、どこまでも自分の中に好奇心と探究心を燃やしている。そして、それを歌にすることに全てを注ぎ込もうとしているのだ。 「では、コッペペ……手を」 「へいへい、行きましょうかね。じゃあな、みんな」  呆れるほど簡単に、こざっぱりとした別れだった。  アルコンは手を伸べ、なにもない空間に再び光の道が伸びる。その先へと彼女は、コッペペに手を引かれて歩き出した。  フォリスも何故か、寂寥を覆うほどの安堵と祝福に胸を満たした。  こうしてアルコンは、決して孤独ではない、独りぼっちじゃいられない冒険へと旅立ったのだった。