エランテは、夢を見ていた。  長い長い、永い夢。  それは今、終わりを迎えようとしていた。  共に夢見た優しい夢魔も、今は静かに眠っている。  そして、エランテ自身に目覚めの時が訪れようとしていた。 (ああ……やっぱりあの人は行くんだ。行って、しまうんだ)  声にならない言葉を呟いた。  今、エランテは物語にして叙事詩の最後、ハッピーエンドの結末を目の当たりにしていた。恐るべき邪悪、星喰は倒された。そして、アルコンは唯一残った星の民として、今まさに無限の宇宙へと踏み出そうとしている。  別れのシーンだった。  そして、アルコンに並び立つ男の背中があった。 (クァイがいつも言ってた……コッペペさんは、常にいつでも冒険者なんだって)  夢見る全てが絵巻物のようにロマンを語っていった。その最後で、エランテはいいしれぬ多幸感に目覚めを感じる。同時に、切ない寂寥にも襲われた。  夢の傍観者だったエランテは、心の中でクァイに囁く。 (夢は、終わり、だよね? そう、だね……夢はいつだって覚めるものだもの)  無言の返事がしっかりと返ってきた。  そして、突然不思議なことが起こった。  アルコンに続いて光の渦へと向かうコッペペが……物語の向こうの人間が、振り向いた。  ニヤリと笑った髭面の男は、いつもの調子で調子のいいことを言い出した。 『いい夢、見れたかい? エランテちゃーん。へへ、オイラも楽しかったぜ!』  なんて滅茶苦茶な、それでいて素敵なカーテンコールだろう。  エランテは初めて、夢の中で自分への言葉を聞いた。  戸惑いつつも頷くと、コッペペはヘヘヘと鼻の下を指でこする。 『クァイの旦那に伝えてやってくれ。すぐに新しい夢が食えるってな、わはは!』 『あ、新しい、夢?』  自分が見てる夢の中で、初めての言葉。  自分の声を思い出したように、エランテは気付けば疑問を返していた。  コッペペは黙って、エランテの胸を指差す。 『夢はもう、そこにある。まだまだ平らでなだらかなその胸の、ずっと奥の奥底にな』 『胸の、奥に?』 『そうさあ! 夢は膨らむ、胸も膨らむ、エランテちゃんがいい女になるころにゃあ……きっとその夢は、現実になるさ』  それだけ言うと、コッペペは『あばよぉ!』と笑って消えていった。  そして、夢の世界が光に包まれてゆく。  覚醒を感じて、そっとエランテは瞳を閉じた。  瞬間、全てが反転するような錯覚の中で目覚める。  見上げる天井は、何度も夢の中で見た宿屋のものだった。 「起きちゃった……夢が、覚めちゃった。ん、ふゅ、ふあーぅ、ふう……」  身を起こせば、大きなあくびが出た。  周囲を見渡し、ここが自分の部屋だと確認する。  そこかしこに、一緒だったクァイとの思い出が残っていた。再び目を瞑れば、いつでも彼には会える……だから、今はゆっくりとベッドを抜け出す。  靴をはこうとして、エランテはふと気付く。  ベッドに突っ伏して、一人の少女が眠っていた。  それは、同じブラニーのメルファだ。きっと、寝ずの番で見守ってくれてたのが、力尽きて寝てしまったのだろう。  むにゃむにゃと寝言を呟くメルファは、夢を見ているようだった。 「Zzz……いかん、いかんのじゃあ。そんな大きな……口に入らぬぅ……パン、ケーキ……」  常に妄想癖を先走らせる癖があって、メルファは今日も面倒な夢を見ているらしい。  エランテは自然と笑みが浮かんで、そばにあった肩掛けをやさしくかけてやる。  そして、パジャマ姿で部屋の外へと歩み出た。  すぐに階段の下、食堂からにぎやかな声が聴こえてきた。 「宴会、かな……? ふふ、歌と、音楽と、沢山」  その人はもういないのに、旅立ったのに。  それなのに、普段と変わらぬ乱痴気騒ぎが賑やかに響く。  酒と料理とで、勝利を祝う宴が開かれているのだろう。  階段を降りて食堂に顔を出すと、誰もがエランテを振り返った。 「おっ、クァイの旦那! ……じゃ、ねえな」 「エランテじゃないかな、ナフム。なら、久しぶりだね」 「エランテ、おはようなのです! ささ、こっちに来るです!」  みんな無事だ。  ボロボロで怪我してて、包帯まみれだけど笑顔だった。  そんな仲間たちの中から、一人の青年が歩み寄ってくる。  いつもその背を、最前線に見ていた。  ずっと、みんなの先頭に立っていた人物である。  ニカノールは僅かに身を屈めて、小さなエランテに微笑んだ。 「おはよう、エランテ。具合はどうかな? 随分よく寝てたみたいだけど」 「あ、はい……凄く、いいです。なんだか、目が覚めたみたいで」 「ふふ、それはよかった。クァイにもお礼を言ってもらえるかな? 僕たちの代わりに」  不思議と、この場の誰もが納得し、確信していた。  あの苛烈な光の中で、クァイは身を挺して皆を庇った。  そして、守りきって薄れていったのである。  でも、消えた訳じゃない。  エランテがそう感じているように、仲間たちもそう信じてくれていた。  だから、エランテは見上げるニカノールに静かに微笑む。 「わたしね、ニカ……夢から覚めたみたい。でも」 「うん」 「新しい夢、見つけたよ? それはずっと、わたしの胸の奥にあったの」  夢見るままに夢喰いに食まれて、うたかたの冒険に酔いしれる時間は終わった。とても素晴らしい物語が終わって、新しい冒険の幕が上がろうとしているのだ。  その時エランテは、観客席ではなく舞台の上に立ちたいと思っているのである。 「わたし、冒険者になりたい。それが、今のわたしの……わたしがこの目で見て触れる夢。今度はクァイに、その夢をあげたいの」  目を開けて見る夢がある。  眠る脳が見せる夢ではなく、心で見据えて見詰める夢。  それは困難であればあるほど眩しく、苦難に満ちていても輝かしい。  今この瞬間、エランテという新米冒険者が誕生した瞬間だった。  ニカノールも大きく頷く。 「うんうん。ようこそ冒険者の世界へ、エランテ」 「まだ、世界樹にわたしの冒険する場所はあるかな?」 「沢山あるさ。たとえ全ての地図が塗り潰されても、実際に歩くのは君だから。君だけが見つけられる謎と神秘が、きっと待ってる。世界樹はそういう場所だろ?」 「うん……うんっ!」  世界樹の迷宮は、その奥に旧世紀の負の遺産を抱えていた。  のみならず、この星を見守るアルコンたちが生み出した、恐るべき破壊の権化へと冒険者達をいざなったのである。  その全てをずっと、エランテは夢で見てきた。  そして今、同じ冒険を夢見ている。  すぐに仲間たちがどっと押し寄せて周囲を囲んだ。 「よう、エランテ! だったら銃はどうだ? かよわい女の子でも、銃爪一つでズドン! だ」 「いや、ブラニーだったらやっぱり元から持つ技術を伸ばした方がいいね」 「アタシは体術を教えるです! オシショーから習った全てで、アタシがオシショーになってあげるです!」 「ま、待って、みんな待って。エランテがびっくりしちゃってる」  そこからはもう、カオスの極みだった。  まきりは肉を食えと笑うし、イオンは経営学を持ち出しミサキに止められている。コロスケは感慨深そうに腕組みウンウン頷いており、ナルシャーダが歌い出した。  皆、笑顔だった。  そして、どんどん料理と飲物が運ばれてくる。  エランテの手にも、冷たい果実茶のグラスが渡された。 「じゃあ、みんな。もう一度乾杯しよう。僕たちの勝利と」 「新たな冒険者の門出に! だな! 乾杯!」 「かんぱーいっ、なのです!」  こうして、祝福に満ちた中で夜が更けてゆく。  だが、エランテにはわかっていた。  そして、誰もが静かに察していた。  旅の終わりと、新たな旅立ち……それは、長らく親しんだ仲間たちとの別れをも意味しているのだった。