勝利の宴が深夜に及んで、宴もたけなわとなり解散となった。  一人、また一人と睡魔を招いて冒険者たちが部屋へ戻ってゆく。  ある者は恋人を連れて、またある者は家族を連れて。  だが、日付も変わった食堂ではまだ、杯を傾ける者たちの姿があった。 「……という訳で、俺はあまり表には出てこれなくなるからな。まあ、挨拶みたいなものだ」  そこには、先程冒険者という夢に名乗りを上げた少女の姿があった。  ナフムは勿論、相棒のフレッドも目を丸くしてしまった。  なんと、うとうとするエランテの中から、クァイが姿を現したのである。 「お、おいっ! クァイのおっさん! 生きてるじゃねえか!」 「ああ、ナフム。流石にやばかったがな……ククク」 「クククじゃねえよ、なにやってんだまったく!」  そう、クァイは生きていた。  そればかりか、まだまだこれからもエランテと生きてゆくようである。  そのことを彼は、珍しくしんみり目を細めて語った。 「この娘の、新しい夢……とてもいい匂いだ。まだまだ小さいが、食い頃になるまで見守ろうと思う」 「お、おう」  驚きに瞬きを繰り返して、ナフムは唸る。  この男が、こんな殊勝なことを言うのは初めてだからだ。それも、なんて優しい目をしているのだろう。まるで、我が子を見守る親のような表情を垣間見せている。  人は、変わる。  夢喰いとて、そうなのだろう。  ふむと唸って腕組み頷けば、隣のフリーデルも肩を竦める。 「あの星喰と正面からぶつかって、仲間を守ってくれたんだからね。きっと、いい夢に育つさ」 「ああ。そういう訳で、俺はサポートに回るから少し距離を置く。それに……そろそろ別れの頃合いだ。エランテの始まりは同時に、俺たちの夢の終わりでもあるのさ」  そういってクァイはニヤリと笑い、坂便に手をのばす。  そして、思い出したようにその隣のポットから茶を自分の杯に注ぎ足した。  以前は決して見せなかったしぐさで、なるほどとナフムも頬が緩む。  同時に、一抹の寂しさに胸が締め付けられた。  夢は終わらない。  だが、新しい夢へと旅立つ日は間近に迫っていた。  そんな時、そういえばと……静かに飲んでいたコロスケが首を巡らせる。 「ところで、各方。無事だったと言えば……その、拙者もどう言っていいものかと言葉を選びあぐねてましてな」  コロスケの視線を目で追えば、ナフムも自然と妙な笑いが込み上げる。  そう、これは喜劇だ。  底抜けに明るいハッピーエンドの、大団円なのである。  だから、夜を統べる吸血姫だって帰ってくるのだ。 「……なにかしら? 私、あの程度じゃ死なない……死ねないんだけど?」  そこには、小さな小さな女の子が座っていた。  どう見ても5、6歳くらいの童女なのだが、ワイングラスに真っ赤な酒精を揺らしている。  彼女の名は、シャナリア。  偉大なる真祖、夜の眷属である。  それが今、以前の妖艶な姿が嘘のように小さい。  思わずナフムは、プッ! と吹き出してしまった。  改めて周囲に、生暖かい笑いが伝搬してゆく。 「む、まだ笑うか。少々力を使い過ぎたからな……こんなナリになってしまった」 「ハハッ、姐さん! なかなかかわいくていいじゃないか、なあ? フレッド」 「いやいや、シャナリアさんに悪いよ。気の毒なことじゃ……っ、ふふ」  平坦なジト目でシャナリアに睨まれても、全く怖くない。  なにせ、目付きの悪いだけの幼女なのだから。  だが、彼女はやれやれとため息を零して、脚を組み替える。仕草や所作だけは以前のままなので、その不釣り合いな似合わなさがまた滑稽に思えた。  それでも、こうなることを覚悟してでも、彼女は決断した。  人の世にあって、人に手を貸すことを選んでくれたのである。  自然とナフムは、ワインの瓶を手に歩み寄った。フリーデルや他の仲間たちも皆、最後の宴会に集った者同士で肩を寄せ合う。 「ま、飲みなって。姉さんはこれからどうするんだ?」 「ん、そうだな。第三層に……晦冥ノ墓所に戻ろうと思う」 「へえ、あんな辛気臭いところに帰るのかい? 太陽だって平気なんだろうに」 「これからも、世界樹の頂きを目指す冒険者が絶えることはない。まあ、見守るさ。そして、気が向いたら手を貸してやろうと思う」  やはり、人といわず魔といわず、変わってゆくのだろう。  以前よりもシャナリアは、僅かに親しみやすく接しやすかった。  だから、ナフムは黙ってグラスにワインを注いでやる。  鮮血のように真っ赤なロゼをかざして、その向こう側でシャナリアは笑った。 「乾杯だな。別れと旅立ちに」 「ああ。新しい日々に」 「全ての冒険者に」  チン、とグラス同士が歌を交わす。  小さく鳴って、その中の美酒は冒険者たちの中へと溶け消えた。  どうやら宴もお開きのようで、酒も料理も尽きてきた。  さてと、ナフムはほろよいの中で思考を巡らせる。  自分たちには、どんな未来が待っているのか?  そう、相棒との明日には疑問の余地がない。  そして、考えを先読みするようにフリーデルが言葉を選んだ。 「俺たちは、一度親父殿のところへ戻るとしようか」 「へえ、そうなるかい?」 「傭兵団のことも気になるし、それに」 「それに?」 「星や世界を賭けた大一番は、しばらく遠慮したいからね。この経験を本にでもまとめながら、田舎でゆっくり休むのもいいさ」 「あー、なるほど。じゃあ、久々にホームに戻りますかね、っと」  グイとグラスをあおって、酒を飲み干す。  そして、ぐるりと周囲を見渡せば……コロスケなナルシャーダといった面々も頷いていた。彼らにも新しい日々が訪れる。否、それを待つ前に旅立ってゆくだろう。  なんとも寂しいものだが、それでいい。  それがいいのだ。 「……ふむ! つまり、フレッドはこの俺様と……ナルシャーダ様と愉快な仲間たちの冒険譚を書き記しておこうというのか。素晴らしい!」 「いや、ちょっと待ってナル。なんか文脈がおかしい」 「こんなこともあろうかと、俺様の美し過ぎる冒険の軌跡をメモしておいた。これを」 「かいさーん、解散しよう。寝ちまうよ、ナフム。みんなも」  ナルシャーだが懐から、付箋だらけの分厚い手帳を取り出した。  その瞬間、本当の意味でお開きになった。  そして、その時にはもう……小さな吸血姫の姿は、消えていた。  ふと窓を見やれば、月夜に一羽の蝙蝠が飛び去ってゆく。  その羽撃きを見送り、ナフムもまた大きなあくびを一つ零すのだった。