旅立ちの日が近付いていた。  まだまだ祭りのような熱狂は今も、アイオリスの街に満ち満ちている。その喧騒の中でもう、冒険者たちは前を向いていた。  世界樹の迷宮に眠る謎は、全てが明かされた。  遙か太古、暴王の時代以前より続く秘密と共に。  それでも神秘を求めてゆくのが、冒険者のならいだ。  そして、探究心と好奇心が新たな旅を求めているのだった。 「ああっと! ああ、いけない、それはよくない。古紙はサイズごとにまとめて紐で縛り給え。そう、優雅に美しくだ」  朝も早くから、バノウニたち三人は部屋の大掃除に追われていた。  このジェネッタの宿を、多くの仲間たちが引き払うのである。  バノウニはアイオリスに残るつもりだが、親友たちは違うらしい。いつもいつでも一緒のトリオも、もうすぐそれぞれ別の道を歩むことになりそうだった。 「で、アーケンとカズハルはどうすんの? これからさ」  先程から小うるさい上に眩しいナルシャーダから目をそむけつつ、バノウニはペーパーバックの束を紙紐で縛ってゆく。なにかと掃除と片付けには詳しいナルシャーダだったが、敢えてそこに突っ込まないようにするバノウニだった。  直ぐ側で相棒たちがすぐに答えてくれる。  燃えないゴミを木箱にまとめながら、アーケンは神妙な声を飾っていた。 「俺様はよ……この冒険を通して、わかっちまった」 「んー? なにを?」 「屍術師の技は……筋力や腕力じゃ解決できねえこともあるってな」 「……ア、ハイ」  今更なのかと思うと、思わずバノウニはチベットスナギツネみたいな顔になった。そして、同じ表情を隣のカズハルにも確認する。  何でも力任せの力自慢、力こそがパワー! というのがアーケンのモットーだった。  だが、彼は多くの経験を積むことで、その考えを改めるに至ったらしい。 「ちょっと、イオンの兄貴についてってみようと思う。戦いの技もだがよ、もっとこぉ……広東風搾菜?」 「それを言うなら、冠婚葬祭ね」 「おう、それだぜ! ……もちっと、人の役に立つことを覚えてえんだよな」  先日、ノァンとスーリャの結婚式が執り行われた。  そのきらびやかな祝祭を、今もバノウニははっきり思い出すことができた。余興でギターを奏でて歌ったし、仲間たちへの幸せを思う気持ちを詩篇に載せた。  もう、しゃがれた割れ音だなんて言わせないし、自分がそう思わない。  想いを込めて歌えば、遠く星の海へと旅立ったあの人にも届くような気がした。 「アーケン、結婚式以来ずっと勉強してたもんな。屍術師って、ああいう仕事もするんだ。フォリスさんが取り仕切ってたけど、嬉しそうだったね」 「ああ、フォリスの兄貴が笑ってるの、俺様は初めて見たかもしれねえ」 「で? カズハルはやっぱ一度戻る? シンジュクに」  バノウニの問いに、カズハルも静かに頷く。  彼はアルカディア大陸の遙か外、エトリアと呼ばれる小さな村の出身だ。正確には、始まりの世界樹と呼ばれる巨大な地下迷宮の奥底、旧世紀の奇跡をわずかに残す地下都市シンジュクの生まれである。  カズハルが故郷への凱旋を決めたのには、理由があった。 「あさひが、行ってみたいんだとさ。……でさ、普通に考えるとさ」 「あー、あさひが」 「一人は危険だな……主に、巻き込まれるその他大勢が危ない」  三人が思い描く光景が、頭上で一つに繋がり膨らむ。  少女剣士あさひは、同じ世界樹探索の仲間だ。天真爛漫でマイペース、いつもはつらつと明るくて太陽みたいな女の子である。反面、ド天然で自らトラブルに突っ込んでゆくタイプの冒険者だった。  そんな彼女の尻拭いを、カズハルが一生懸命こなしてきたのをバノウニは知っている。 「やっぱさ、あさひのあの格好……お母さんの形見だっていう服。あれって、どう見てもシンジュクのものなんだよな」 「あの妙なヒラヒラのついた服か」 「なんだろう、ちょっと水兵服に似てるよな」  自分のルーツを探してみたいと、ひだまりみたいな笑顔であさひは笑っていた。となれば必定、カズハルは付き合ってやるしかないと思ったのだろう。  自然と、三者三様に新しい道が開けてきた。  それが別れを呼ぶが、別れて終わりではないとも感じている。  だから、誰もしめっぽいことは言わないし、止めもしなかった。  そうこうしていると、ボフンボフンとバノウニたちは順々に頭をはたかれた。振り返れば、ほうきを持ったナフムが仁王立ちしている。 「お前ら、手を動かせー? 今日中に終わらねーぞ、この調子じゃ」 「ウ、ウス!」 「カズハル、アーケンも。少しペースをあげよう。午後には業者がゴミを引き取りに……ん? あれは」  慌てて三人が掃除を思い出した、その時だった。  旅装の麗人が、大きなトランクを手に立っていた。  朝の日差しが、まるでスポットライトみたいだった。目深く羽根付き帽子をかぶるその女性が、バノウニには最初誰だかわからなかった。  だが、背後から風呂敷包みを背負ったポン子が現れ正体に気付く。  そう、旅立ちの挨拶に現れたのはシシスだった。  いつもと雰囲気が違うので、アーケンとカズハルも目を白黒させている。だが、ほうきをトントンと肩で遊ばせながら、ナフムはいつもの調子でニヤリと笑った。 「よぉ、シシス。もう行くのかい?」 「ええ。……はいこれ、直しといたわ」 「おっ、サンキュ。へー、まともに直ってるじゃねえか。デカくも重くもなってないな」 「当然よ。元に戻しただけだもの」  シシスはひょいと、一丁の拳銃をナフムへ放った。それは、長らくナフムが愛用していたものである。強力な弾薬を立て続けに使った上に、吸血姫の魔力で魔弾の射手と化したものだ。それが今、ピカピカに磨かれて彼の手にある。  ナフムは満足げに頷き、クルクル回してから懐にしまう。  こういう時、バノウニたちは先輩冒険者の格好良さというか、酷く絵になる姿に憧れた。  だが、ポン子の毎度のずけずけした声が呑気に響く。 「でー、父様にも挨拶をってー、母様が、どうしてもってー、ゲファ!」 「よ、余計なことは言わなくていいのだわ!」  ヘラヘラ笑ってたポン子が、シシスの肘鉄を食らってのけぞる。人間でいえばみぞおちあたりに直撃だったが、機械の体を持つポン子にはあまり関係なさそうだ。それでも大げさに痛がって見せつつ、彼女はぺろりと舌を出している。  そして、やれやれとナフムは背後を振り返った。 「おーい、兄弟! 面会だってよ」 「ん? ああ、ちょっと待ってくれ。こっちがまだ片付かないんだ」 「いいから来いって」  口を布で覆ったまま、はたきを手にフリーデルがやってきた。  その姿を見て、シシスも鼻から小さく笑みを零す。  嫌になるくらい絵になる二人は、バノウニの中に新しい歌を芽吹かせる。それは恋か、別れか旅立ちか。だが、同時に知っている……冒険者同士で育まれるものは、愛情だけではないのだ。それが男女でも同じことで、想像と理解とが及ぶ程度にバノウニも成長していた。 「やあ、行くのかい?」 「ええ。ポン子のことでは世話になったのだわ」 「じゃ、気をつけて。君ならいい領主になれるさ」 「当然よ? これからが本当のわたしの大冒険。どう? 今ならナフムも込みで手伝わせてあげるけど」 「謹んで辞退するよ。君との全てがもう懲り懲りさ」 「ふふ、そうね。って、もうちょっと空気読みなさい、よっ!」  別れのシーンではない。歌劇のヒロインみたいに、シシスはナフムの頬を平手打ちすることはなかった。  グーパンチだった。  そして、それをフリーデルは軽く受け止める。  殴り殴られという雰囲気ではなかった。  ナフムを含めて、この場の皆に静かな微笑が伝搬してゆく。自然とバノウニも笑顔になって、気付けばカズハルやアーケンと並んで見送っていた。 「さて、用は済んだわ。じゃ、また。……みんな、色々ありがと」 「君もね、シシス。とんだじゃじゃ馬だったけど、楽しかったよ」  フリーデルはそっと跪き、拳を解いたシシスの手に唇を寄せた。  バノウニたちが同じことをやったら、気障な上に滑稽だっただろう。けど、未来の名君は静かに惜別のくちづけを受け取った。  こうして、アイオリスの冒険者たちにも新たな毎日が広がってゆく。  その先に進むための別れに、一抹の寂しさと大いなる期待が膨らんでゆくのだった。