爽やかに晴れた朝だった。  快晴、空はどこまでも高く雲ひとつない。  朝日の光を受けて、今日もアイオリスの街が動き出す。ここは冒険者の聖地、世界樹の迷宮を臨む始まりの場所。無数の船が出入りする港は、活気に満ちていた。  今日という日に、旅立ちを決めた少女たちの姿があった。 「マキちゃん、レヴィ! どの船だっけか……あっ、見て見て! 豪華客船!」 「あっちは海賊船だぜ、チェル! 名目上は武装商船だけどな」 「もっと近くで見ようよ!」  今日も今日とて、ラチェルタとマキシアのテンションは高い。朝から爆超である。元気は有り余ってるし、目に見える全てが好奇心で輝いて見えるのだろう。そんな彼女たちが、レヴィールにはとても眩しかった。  そして、いつもの日々が始まる。  騒がしくも愛おしい、幼馴染の三人娘の日常が。 「うおーっ、なんだありゃ! 海軍の軍艦かよ! デケー!」 「マキちゃん、大砲いっぱいついてるよ! ハリネズミみたい!」 「おしゃ、行ってみようぜ!」 「うんっ! 行こ行こーう!」  あっという間に猛ダッシュで、二人は人混みの中に消えていった。  混雑する港で、やれやれとレヴィールは苦笑を浮かべる。  そんな彼女の背後に、温かく見守る眼差しがあった。  振り向くと、稀代の大英雄が微笑んでいる。そして、周囲の誰もが気づかない……このアルカディア大陸では、数多の世界樹を渡り歩いてきた聖騎士の冒険譚も、遠い国のおとぎ話でしかないのだ。 「おはようございます、おばあちゃま。……えっ、見送りにですか? 私たちを」 「それもあるけど、ちょっとね」  そこには、祖母デフィールの姿があった。  デフィール、またの名をエクレール。このアイオリスでは、凄腕の竜騎兵で通っている。誰もが一目置くベテラン冒険者で、今も盾と鎧に身を固めていた。  その彼女が、眼帯を外すなり緊張感を漲らせた。  それは、よく通る声が凛々しく叫ばれるのと同時だった。 「エクレール殿、かたじけない! 拙者も今日、山都に旅立つ故」 「気にすることはないわ、コロスケ。地位や名声、そして財宝……貴方は冒険者としてその全てを実力で勝ち取った。なにより仲間に恵まれた」 「故に、拙者が求めるものは最後に一つ!」  コロスケは、純白の着流しに太刀を携えている。  瞳には、凛冽たる覇気が燃えていた。  どこまでも澄み渡る闘志は、力と技とを漲らせている。  さらに、伝説への挑戦者がもう一人ガシャガシャと現れる。 「おお、コロスケ殿もかあ! ははあ、先をこされてしまったぞ! わはは!」  無数の太刀を背負って、大鎧を着込んだまきりが現れた。彼女もまた、求め欲するところはコロスケと同じらしい。  それが、武芸者の性。  セリアンの武人に生まれた者としての、果てなき願いだった。 「デフィール殿、手合わせ願いたい。拙者が世界樹の迷宮でどれだけ強くなれたか……拙者は、知りたい。確かめたく候!」 「その次はわたしだからな! でも、コロスケ! 勝て、勝ちにいけ! わたしの番が回ってこなかったら、その時はしょうがない。たまに蘇るとかいう、世界樹の大物を狩るさ」  レヴィールには、二人の武人が対象的に見えた。  ブシドー、ショーグン、モノノフ……剣に生きて剣に死すとも、ただただ無心に道を極めんとする姿。コロスケには清水のような清冽さが静かに満ちているし、まきりには紅蓮の炎が轟と燃えていた。  そして、レヴィールは知っている。  自分の祖母がどういう人間かを。 「よくてよ、二人共……同時にかかってらっしゃいな」  デフィールは、生ける伝説。  同時に、あらゆる冒険者たちの高い壁として立ちはだかってきた。彼女の背中を見上げて、数多の冒険者が育っていったのである。  エトリアの聖騎士は、半世紀程経った今でも……パーティための城壁であり、未来の英雄を試す障壁でもあるのだ。  そして、彼女は一人ではない。  コロスケやまきりがそうであるように、デフィールもまた仲間と信頼を分かち合った英雄なのだ。 「デフィール、船のチケットが取れたよ……って、ん? ははーん、なるほどなるほど」  陽気な笑顔で、どこからともなくクラックスが現れる。相変わらず、その気配は全く読めない。彼がデフィールの隣に「ちょっと手伝おっかあ?」と並んだ。  周囲の人々も皆、なにごとかと騒ぎながら集まり出す。  決闘だ手合わせだと盛り上がり、あっという間にレヴィールはお祭り騒ぎの中に放り込まれてしまった。  そして、クラックスがその姿を解いて輪郭を変える。  あっという間に、デフィールの手に伝説の剣が現れた。  陽光を反射する刀身は、竜鱗を紡いで鍛えた業物の迫力に満ちている。 「さ、いらっしゃいな。私も興味ありましてよ……アイオリスの冒険者の力、最後に見せて頂戴」  瞬間、大歓声が周囲を包んだ。  そして、コロスケとまきりが同時に踏み込む。  以前ならきっと、レヴィールには見えなかった。達人同士が実力を試し合う、その刹那の瞬間を見ることは叶わなかっただろう。  だが、今のレヴィールにははっきりと見えた。  全てがスローモーションのように、つぶさにわかった。 「コロスケさん、疾い! そして、低い! まきりさんは、手数が!」  無数の抜刀音が同時に連なり重なる。  まきりが、背負った太刀を全部引き抜いた。あまりのスピードに、まきりはさながら異教の神仏……千手観音の如く宙に剣を踊らせる。そこから繰り出される数多の斬撃が、真空の刃となってデフィールを襲った。  その乱撃暴れ飛ぶ嵐の中、コロスケが零距離に踏み込む。  一意専心、一刀入魂……引き絞られた白刃が光となって風を切る。  レヴィールはその時、盾を構える祖母の顔に初めて焦りの表情を見た。  炸裂、直撃、爆風。  周囲が土煙に飲まれる中、観衆は興奮と感動で称賛を叫んでいた。 「この手応え、取り申した!」 「だな! いい土産話ができたぞ、はっはっは……は?」  徐々に視界が晴れる中で、割れて砕けた盾が乾いた音を立てた。  落下した盾が弾んで浮いて、倒れようとするその瞬間だった。  そこには、抜き放った銃に剣を重ねるデフィールの姿があった。その手で黄金の意思が竜となる。あっという間に龍鱗の剣は広がり畝って、銃を飲み込んだ。  巨大な砲剣と化したクラックスを、デフィールは両手で大きく振り抜く。  先程よりも大きな爆発と共に、勝敗は決した。  あまりの凄絶さに、盛り上がっていた観客たちさえ静まり返っていた。 「は、はは……コッ、ココ、コロスケ殿」 「うむ」 「ち、ちびりそうになった! というか、少しちびってしまったぞ!」 「それはいけませんな、つまり」 「負けたなあ」 「然り、負け申した」  そこにもう、言葉はいらなかった。  剣を納めたコロスケとまきりは、深々と一礼した。デフィールもまた、騎士の儀礼に則って返礼し、頭を垂れる。そこに上下や優劣はなかった。  気高くあって強くあらんとする、冒険者たちだけの世界だった。  だが、去ってゆく武芸者二人を見送り……その場にへなへなとデフィールは崩れ落ちた。その顔はぐったり疲労困憊な上に情けない表情だったが、不思議と笑みが柔らかい。 「ちょっとやだもう……私の負けよ、負け。あー、腰に来た……ありがとね、クラックス」  レヴィールに少しわかった。祖母は恐らく、奥の手までは使わぬつもりだったのだろう。それに、実家にある真竜の剣は都合よく砲剣に変形したりはしないのだ。  シュルシュルと元の姿に戻ったクラックスも、晴れ晴れとした笑顔を見せる。 「反則技まで使ったのに、倒せなかったねー。デフィール、立てる?」 「歳は取りたくないわねえ。山都の技、見事なものだわ」 「一瞬で連携取ってきたね。僕も本気だったけど、盾が破られるなんてさ」 「それでこそというものよ。さて!」  立ち上がったデフィールは、実に清々しい顔をしていた。  そして、別れの時が訪れる。 「レヴィ、あの二人ならもうすぐ戻ってくるわ。いつものようにね。……三人で行くのね?」 「はい、おばあちゃま」 「もう見慣れたわ、ホント……チェルとマキはほんと、すぐ突っ走って」 「でも、ちゃんといつも戻ってくる。……今まではそう思ってました。けど」  幼い頃から、ラチェルタとマキシアを見送ってきた。二人はまるで、互いが相手の半身であるかのように息ぴったりだった。そして、我先にと競うように先にいってしまう。  そして、全力疾走で逃げてくるのだ。  でも、もうそれは懐かしい思い出話である。 「おばあちゃま、私行きます。待つんじゃなくて、あの二人を追いかけたいんです」 「そう。じゃ、しっかりね」 「はいっ!」  不意に、陽の光が遮られた。  頭上を巨大な飛行船が通過する。それはまるで、昔の絵本で見た空飛ぶ城だ。轟音を響かせその威容が、城壁の外へと飛んでゆく。  そして、探究心に燃える声が弾んで連鎖した。 「おいレヴィ! なにやってんだよ、早く来いって!」 「レヴィ、見て見て! 街が飛んでる! 郊外に着陸するよ、行かなきゃ!」 「おし、決めたぜ……あれに乗る! あれの行く先がオレたちの」 「ボクたちの新しい冒険の舞台だね! 三人の!」  息を切らせて駆けつけたラチェルタが、レヴィールの手を取った。フンスフンスとマキシアも、逆の手を握る。  もう、二人を待たないし、ラチェルタもマキシアも逃げ戻っては来ないのだ。  だから今は、これからは……レヴィールも一緒に三人で先に進むのだ。  こうして少女たちは成長を胸に、新たな冒険へと旅立っていったのだった。