世界樹の迷宮……それは未知と神秘の宝石箱。  その謎が全て明かされた今も、冒険者たちの姿は絶えない。全ての階層が地図の中に収められても、そこには書ききれない程の冒険が待ち受けているのだ。  そして、達人級の冒険者が多数在籍する、一部のギルドしか知らない事実もある。  今日、ささめが仲間たちと第五階層『円環ノ原生林』を訪れている訳もそこにあった。 「ささめ様ぁ……そろそろ機嫌をなおしてくださいよ」  ハヤタロウの声を背中に聴きつつ、ささめは先頭を歩いていた。  そう、不機嫌なのだ。  少し、怒っている。  拗ねてると言ってもいい。  チコリは少し興奮気味に、そんな彼女の隣に並んできた。 「ささめちゃん、やっぱり武芸者、セリアンなんですね! わかります、セリアンにはセリアンの、ブラニーにはブラニーの、矜持? っての、ありますからね!」  因みに、自称ブラニーのチコリはどう見てもアースランである。生物学的に、完璧に確実にアースランである。  しかし、彼女の言葉はブラニーとしてもアースランとしてもまっとうとも言えた。  どの種族にも、気風や性質、民族性のようなものがある。  そしてささめは、今日ほど自分がセリアンだと痛感させられたことはなかった。 「わたしは、ひどくざんねんにおもっています、よ? そう、くやしいのです」  ついつい、むくれて唇を尖らせてしまう。  我ながらおとなげないと思うのに、童心にも似た気持ちが抑えられなかった。 「わたしも、たたかいたかった……コロスケさまもまきりさまも、ずるい」  セリアンの社会では、戦いこそが誉である。  強い弱いは関係ない、戦いに挑むことこそが大事なことなのだ。そして勿論、強者に立ち向かうことはなによりの名誉なのである。  しかし、ささめが知る限りでも最強クラスの騎士は、既に故郷へ帰ってしまった。  そして、負けて尚も誇らしげな先輩武芸者の笑顔が、ちょっと羨ましい。 「わたしならば、そう……ずっとかんがえているのです」  そうは言いつつ、ささめは冒険者としての仕事を従前にこなしていた。  今もブツブツと脳裏の一騎打ちを呟きつつ……魔物を次々と屠ってゆく。  右手に構えた四振りの太刀が、そのまま龍の鉤爪のごとく敵を切り裂いていった。 「はあ……わたしならば、そう」  地図も見ずに、迷いなく迷宮内を歩く。  次々と襲い来る敵を、ばっさばっさと切り捨ててゆく。  ハヤタロウの援護、チコリの薬草も的確にささめをフォローしてくれていた。だから、どこかぼんやりと空想する片手間に、最難関クラスのフロアを闊歩していた。  そして、そんな前衛の三人を後衛の二人が温かく見守っていた。  もっとも、その片方は盲目なのだが。 「ふふ、ささめ様は本当に戦いがお好きなのですね」 「きっと今は、目の前の魔物ではなく……エクレール様と戦っているのでしょう」  キリールとヨスガだ。  今日の冒険は、珍しい顔ぶれでの進撃である。  そう、ささめたちは攻める……進軍する。  その先に今も、驚異が待ち受けているから。  それでもささめは、逃した魚の大きさに少し凹んでいるのだった。  ハヤタロウに言われて初めて、落胆を自覚したのだが。 「さあさあ、はやめ様。もうそれくらいにいたしましょう。時は戻らず、覆水もまた盆には返らぬのです」 「……そうですね。ありがとう、ハヤタロウ」 「それはそうと、意外と言えば意外なのですが」 「? なんでしょう?」  振り向くハヤタロウの視線を追って、はやめも大人たちを見やる。チコリもしきりに腕組みうんうんと頷いていた。 「ニカ様やノァン様は、アイオリスに残られたんですね」 「そう! そうなんです! あたしも驚きました」  ささめたちの頼れるリーダー、そして頼りなく見えてもギルドマスターなニカノール。ネヴァモアとトライマーチの中核メンバーは、そっくりそのまま今もアイオリスで暮らしている。  そのことはささめは、密かに嬉しく好ましかった。  ギルドのメンバーは仲間、そして家族にも等しい。  実家ではなかなか味わえないような経験も、ニカノールたちとの間で沢山の絆を育んでくれた。アイオリスに来てからは、庶民的な暮らしを思う存分に謳歌できたのである。  それもこれも、ニカノールとその仲間たちのおかげだった。  多くの出会いとふれあいが、ささめの剣に意味と意義を与えてくれたのだ。 「これは、ヨスガさまにかぜがふいていますね……わたしはおうえんしています」 「ふふ、ありがとう。でも、私は静かに待つことにしてるんです。それに、時々一緒にいられるだけで十分ですし」  最近、フォリスが少しだけ酒を嗜むようになった。  彼の中でも、過去が過去として収まる場所に収まったのだとささめは思う。  世界樹での冒険と死闘は、誰の心にも新しい風をもたらした。清々しくも手荒い、静かに心が躍るような風だ。  とりあえずささめは、ヒュン! と一振りで四刀の血糊を道に捨てる。  彼女たちの前に今、一際大きな扉があった。  そして、あらゆる冒険者が知っている……この扉の向こうにかつて、なにが棲んでいたか。……さらに、ささめたち限られた者だけが知らされていた。  それはまだ、過去ではない。  太古の呪いは今も、繰り返し蘇るのだ。 「さて、みなさま。こんげつもよろしくおねがいしますね……おしてまいりましょう」  ささめの言葉が高揚感に揺れる。  仲間たちも皆、表情を引き締めて頷いた。  この奥に、闇が澱んでいる。  繰り返し何度も、その闇は湧き出てあふれるのだ。  ――その名は、幽冥なる原初の主。  星の御子と世界樹が封じていた、この世の悪の権化である。  ニカノールたちは今も、この邪悪の残滓と定期的に戦っていた。何故なら、新米冒険者たちにとっては危険な死そのものだから。そしてなにより、アイオリスは冒険者の街……どこの工房も、恐るべき敵がもたらす未知の素材に飢えているのだ。 「フォスさまのはなしでは、やはりふっかつのしゅうきがながくなっているようです」 「ってことは、いつか一年に一度とか、もっと長いスパンになるのかな」 「そのかのうせいはありますね。わたしもチコリさまとおなじかんがえです」  怨念そのものとなって浮かぶ闇も、徐々に薄れて朝が来る。  少なくとも、その日まではニカノールはアイオリスに留まることを選んだのだ。  そして、ささめにとってはまたとない好機、格好の修練相手である。  山都に名高い武芸者のはしくれとして、己を磨くことには人一倍熱心なのがささめという少女だった。だから、今も闘争心と興奮で頬がほのかに紅潮して熱い。 「では、いざ」  扉が開かれた瞬間、強烈な殺気が浴びせられる。  あらゆる負の感情が、まるで物理的に可視化されたかのように渦巻いていた。真っ暗な中で、かつてこの世界樹に封じられた悪意が目を覚ます。  だが、気圧される五人ではない。  かつては冒険者たち全員での総力戦だったが、今はもう違う。  この先に広がる、星の海さえ制した者たちの叡智、そして勇気があるのだ。  今日もまた、遠い日の集束を目指して……ささめたちの戦いが始まるのだった。