マギニアは世界の縮図だった。  ありとあらゆる人種が混在し、街並みも異国情緒の見本市みたいである。  そして、その広場でペルセフォネ王女の演説があった。その熱意に満ちた言葉は、凛として涼やかに冒険者達に響いてゆく。  こうして、ジルベルトの冒険者としての生活が始まったのだった。 「ほいじゃあ、おっちゃんは冒険者ギルドに行くヨォ。ギルド名は決まったかい、ジル」  家にいる時からの教師役、ウロビトのカラブローネが混雑の中で語りかけてくる。ひょろりと影みたいに細い長身が、猫背でなんだかぼんやりと横を歩いていた。  だが、ジルベルトはこの師匠をそこそこそれなりに敬愛している。  こうして今も、屈強な冒険者たちが行き来する人混みからジルベルトをさりげなく守ってくれているのだ。 「はい、師匠。考えてたんですけど……タービュレンス、ってのはどうかなと思って」 「乱気流……いーんじゃないのぉ? 文字通り、冒険の嵐を吹き抜けていきゃーいいさぁ」 「さっき、展望室で外を見てたら、これかなって」 「じゃあ、おっちゃんは冒険者ギルドに登録してくるか。ジルは宿を探しときなー?」 「は、はいっ!」 「んじゃ、ヨロシクー」  それだけ言うと、飄々とカラブローネは行ってしまった。  その頼りない背中が、あっという間に見えなくなる。  だが、ジルベルトは知っている。カラブローネはああ見えて賢者である。そりゃ、護身術や学問、教養や歴史を色々教えてくれたし、なんだか怪しい術の数々も叩き込まれた。必要最低限のサバイバル技術から「貯金箱を開けずに中身を数える方法」など、いつどこで使うかわからないものも含めてだ。  カラブローネは父の友人で、自分と兄にとっては大好きな先生だった。 「よし、じゃあ宿だ。これだけ広いと、何十軒もあるだろうから」  マギニアは空中都市といっても、その広さは巨大な城塞都市そのものだ。空飛ぶお城の中には、5km四方にもおよぶ広大な大都会が詰め込まれている。隅っこの城壁近くまで行けば、牧歌的な片田舎の光景も広がっていた。  今日からこの街が、ジルベルトたちにとっての拠点である。  早速最初の仕事に取り掛かろうとした、その時だった。  不意に背後で、聴き覚えのある声が響き渡った。 「弱いものいじめは駄目ですっ! いけないことしたら、めっ! なのです!」  一度聞いたら忘れられない、酷くあどけないのに生真面目な声音。  周囲の大人たちがざわざわと集まりだして、あっという間にジルベルトはもみくちゃにされてしまった。それでもなんとか、声のする方へと身をねじ込む。  視界が開けると、やはりそこには先程の女の子が立っていた。  白衣の少年を背に庇う、堂々腕組み仁王立ちの少女はまひろだった。  そして、その前に筋骨隆々たる巨漢が声を荒らげている。 「おうこら、どきなお嬢ちゃん! こちとら、王女様の檄で熱くなってんだ! そこのガキみたいなのに足元ウロチョロされちゃあ、たまんねえんだよ!」 「でも、この子ごめんなさいしたです! 許してあげるのです!」  冒険者は往々にして、気の荒い無頼漢が多い。  それにしても、一瞬で状況を察することができる光景だった。おおかた、倒れてるメディックの少年が、あの大男と人混みの中でぶつかってしまったんだろう。  なんとくだらないことかとも思うが、問題はまひろだ。  あんな頭から正論をブン投げていては、まとまる話もまとまらない。 「参ったな、これ。うん、しょうがない。見知った顔でもあるし――ッ!?」  ジルベルトが助けに入ろうとした、まさにその時だった。  鍛え抜かれた脚力でジャンプして、人の壁の向こうへ跳躍しようとしたのに……それなのに、まだ石畳の上に立っている。  よく見れば、軽く肩に置かれた大きな手があった。  ジルベルトは本気だったし、一瞬で全力を肉体に命じた。その瞬間、我が身は疾風の如くまひろの前へと舞い降りる筈だった。  その瞬速の動作を止めた男がいたのだ。 「よぉ、ボウズ。やめときな? 騒ぎがでかくなるだけだぜ」  振り向くと、槍を抱えた長身の男が立っていた。  その顔は人懐っこく笑っているが、目だけが真剣に研ぎ澄まされている。  敵意はないが、ジルベルトを止めたのは偶然ではなくこの男の意思そのものだった。 「で、でも、知り合いなんです、あの子。それに」 「それに?」 「このままじゃ、無駄な血が流れます。こんな場所で乱闘騒ぎなんて」 「まあ、そうだなあ。ん? お前さん、女か。こりゃ失礼したな、ふむふむ」  只者ではない、その雰囲気だけはジルベルトにもわかった。  一見して粗野な印象だが、均整の取れた肉体は防具の上からでもはっきりと筋肉を伝えてくる。静観な顔つきと、やや伸び放題の髪型はワイルドだが理知的にも見える。  その男は、グイと顔を近付けてウンウン頷くと「よし!」と手を打った。 「面倒だがしゃーねぇ、俺がなんとかしてやらあ。こういう時はな、お嬢ちゃん。大人を頼るのも大事なことだぜ」  その男は、エイダード・マクリールと名乗った。  ジルベルトはすぐに、察した。  エイダードはハイランダーだ。北方の国ハイランドを守護する、屈強な戦士である。かれはずずいと前に出て、まるで草木を避けるような自然さで見えなくなった。  人と人の間から、ジルベルトも一生懸命に顔を出す。 「よぉ、お兄さん。ここいらで許してやっちゃあくれないかい? 悪気はなかったんだしよ」 「あぁ? なんだ手前ぇは」 「俺の名はエイダード、ハイランダーだ。揉め事とあっちゃあ見過ごせねえし、あれだ……死ぬほど面倒だが」  瞬時にエイダードの気配が変わった。  殺気とでも言うべき冷たい圧力が、見えない洪水となって周囲に満ちてゆく。ジルベルトにはそれが肌で感じられたし、目を丸くしていたまひろもビクリ! と身を震わせた。  それは、闘気だ。  常在戦場の戦士だけが持つ、鋭利な刃の如き闘志である。 「クソ面倒だがしょうがない。俺はハイランダーとして誓いを立てにゃならん訳だ」 「っ、ぐ! ハ、ハイランダーの、誓い……」 「殺しはしねえが、俺たちの槍は常に誰かを守るためにあるってな。そして、知ってるんだろう?」 「……ハイランダーは、誓いを果たすために命をとして戦う」 「そういうこった。くだらねえことで誓いを立てたくねえ。悪いが引き下がっちゃくれねえか」  ハイランダーには独特の価値観があって、それは時に愚かしいまでに純真で清廉潔白なのだ。その高潔な魂を身に灯して、彼らは長らくブリテンの侵略に抗ってきたのである。  気付けばジルベルトも、手に汗を握っていた。  そして、首位のざわめきの中から小さな影が飛び出してくる。  重装甲の鎧にマントを羽織った矮躯が、目深く被ったケープを脱ぎながら両者の間に立った。 「双方、そこまでですわ。今日は誰にとっても旅立ちの日……血で汚すようなことがあってはいけませんの」  その華奢な少女は、年の頃はジルベルトと同じくらいだ。  しかし、その可憐な姿に不釣り合いな、巨大な剣を背負っている。  にこやかに微笑む美貌を睨んで、大男は尚も吼えたが、唇を噛んだ。 「なんだぁ? おチビちゃん、すっこんでな! ……チッ、帝国騎士……インペリアルか」  やがて、男の仲間たちが来て全員で諌め、去ってゆく。  どうやら危機は脱したようで、エイダードもまた先程のどこか頼りない姿に戻っている。  しかし、ジルベルトは見てしまった。  インペリアルの少女は、一瞬だけ眉間に深いシワを刻んでいた。絶対に乙女がしてはいけないような表情で「ああん? チビつったかコラ」と、去りゆく大男を睨んでいたのだった。