瞬時に空気が凍って沸騰する。  ジルベルトの肌を粟立てる、それは殺気だ。  強烈な殺意が無数に群れなし、水場に集まった冒険者たちを急襲した。  そして、絶句に固まるジルベルトは見た。 「なっ……ま、まひろっ!?」  着衣を拾いつつ、まひろが剣を抜刀した。鞘走る白刃が閃き、無数の連撃が空中に光の軌跡を描く。  切り払われてボトボトと、突然の奇襲攻撃が地面に転がった。  斬られて尚も蠢き跳ねる、それは蔦のような植物性の触手である。  さらに襲い来る第二波に対応しつつ、肩越しにまひろが振り返る。  剣を振りつつ器用に下着をつけ、空いた左手でジルへと伸びる触手を掴んだ。 「ジルッ、大丈夫ですかっ! 皆さんも、落ち着いてください!」 「う、うん……あ、ありがと、助かった――ッ!」  その時、尖った触手がまひろの肌を引き裂く。  そして、肩を貫通する一撃が真っ赤な鮮血を振りまいた。  だが、まひろは表情一つ変えずにそれを切断し、ビチビチ暴れる先端を自分から抜き捨てる。獅子奮迅、その姿はまるで絵草紙に描かれる戦乙女だ。  しかし、妙である。  まひろは無防備過ぎて、そう……皆を守ることの、その対象の中に全く自分を考慮していないかのような危うさがあった。それがジルベルトには、恐ろしい程に怖い。  そうこうしていると、別の触手が無数に伸びて、例の死体を絡め取る。 「あっ! いけないです、その人は……こら、待つのですーっ!」  あっという間に奇妙な死体が持ち去られた。  青年はやはり、糸の切れた操り人形のように抗う様子も見せない。その姿が泉の対岸に消えた時には、下着姿でまひろも走り出している。  澄んだ水面に血の波紋を広げて、その背中はあっという間に見えなくなった。 「……嘘。ちょっと、嘘だろ……えっと、師匠、こういう時は……師匠?」  呆気に取られつつも、振り向く。  そこには、とんでもなく嫌そうな顔で眉を潜めているカラブローネの姿があった。その横では、キャミソールを着つつリベルタもビキビキと笑顔に青筋を咲かせている。  慌ててジルベルトも、着衣と鎧を急いで身につけた。  その間もずっと、ブチ切れ五秒前の二人が不穏な言葉を交わし合っていた。 「だーから埋めちまえばよかったんだヨォ。ていうかさあ、それ以前に」 「信じらんねー、今の見た? おっちゃん。半裸でスッ飛んでった」 「見た見た、見たくなかったネエ……はあ、嫌だ嫌だ。ジルの命の恩人じゃなかったら、放っておけるんだがなー?」 「同感。まあ、そういう訳にもいかないけどさあ」  カラブローネに言われて、突然ジルベルトの身に震えが込み上げる。  たった今、自分を掠めて死が通り過ぎた。  まひろの無貌なまでの蛮勇がなかったら、今頃どうなっていたか。  だからこそ、黙っている訳にもいかない。すぐに腰に剣を帯びて、盾を左腕に装備する。その時にはもう、ジルベルトは走り出していた。 「師匠っ! 先行してまひろと、あとあの変な死体を確保します! で、逃げてきます!」 「ま、そだね……そのあたりが妥当さ。どれ、ビルギッタちゃん。おじちゃんから離れないようにねー?」  悪くない判断だと、カラブローネの瞳が頷いていた。  そして、すぐに隣に真紅の鎧姿が並んでガシャガシャと走る。 「あたしも行くわー、ジル。なんつーか、死なれても目覚め悪いし、死んでる方のもまあ……こうも思えるんだよね」  ――あの死体は本当に死んでいるのか?  リベルタのその問に、ジルベルトは飛ぶように駆ける。そう、もし死んでいる普通の死体ならば、魔物が襲ってくる可能性は低い。さりとて、捕食し糧とするならば新鮮な死体は格好の餌でもあった。  わかっているのは、ただ一つ。  大自然に埋もれて眠るあの青年を、この世界に戻してしまったのはジルたちだ。  それで、迷宮の奥の魔物がなにかを察して動き出したのかもしれない。 「リベルタ、あそこの大きい扉!」 「ん、奥に大部屋があるっぽい気配」 「千切られた触手や葉っぱが点々と……間違いない!」  半開きの扉を蹴破る勢いで、部屋へと転がり込む。  途端に、鼻を刺すような甘い臭いが二人を包んだ。  悪臭の連続だが、今度は性質が違う……そして、その元凶が比較的広い広間の中央に鎮座していた。  それは、見上げる天井を多いそうな程の巨大植物。圧倒的な巨躯で蠕動する、危険な食人植物の魔物だった。  無数の触手の一本に、流血したまひろが逆さまにぶら下がっていた。  その彼女の腕に、例の謎の死体が抱えられている。 「うわ、最悪……まひろ、あんたさあ!」 「あっ、リベルタ! 来ちゃ危ないです、危険なのです!」 「アホかっ! ったく、手が焼ける……ほっとける訳ないじゃんてーの」  リベルタが巨大な砲剣を背から引き抜く。  帝国騎士、インペリアルだけが使いこなす特殊な大剣である。  ジルベルトもまた、盾を前にかざして僅かに身を沈めた。培ってきた全筋力にバネを命じれば、ブーツの中で足の指が大地を掴む。そして、蹴り出す。 「リベルタ、二人は私が!」 「あいよっ! んじゃま……デカいのお見舞いしちゃうぜー?」  つい先程出会って、たまたま一緒になっただけの二人である。  なのに、不思議とジルベルトは奇妙な連帯感に背を押されている。少なくとも、先程まひろに感じた戦慄とは別種のなにかで、リベルタのフォローが頼もしく思えた。  そして、ジルベルトの疾駆が風となる。  風より早く距離を食い潰して、一瞬前に残像を刻みつつ跳躍。  あっという間に剣の一閃で、まひろごと例の死体を束縛から解放した。まひろはまひろで、自由になるや死体を抱き締め守るようにして頭から落下する。 「ああもうっ、バカ! 受け身! 受け身を取ってよ!」 「それな! で、こいつをっ、喰らえってーのっ!」  顔面から出血しつつも、まひろが死体を肩に担いで走る。その背後をフォローしつつジルベルトが身構えた、その時には残像が巨大植物の追撃を斬り裂いていた。  そして、華奢な矮躯に不釣り合いな砲剣をリベルタが振り上げる。  大上段から真っ直ぐ、苛烈なアサルトドライブが敵を撃ち抜いた。 「おっしゃ、直撃! ジル、平気? まひろも無事、か……ふう」 「酷い目にあった。初日からこれじゃあ、ね……ふふ」 「そうそう、まったく……なんて日だ! まひろ、あとであんたお説教だかんね!」  危機一髪だったが、なんとか乗り切った。  その実感が遅れてやってきて、自然と笑みが込み上げる。  怖かった、とても恐ろしかった。  初日から大波乱の大冒険だった。  そして、その記憶がいつか思い出になるのだろう。ジルベルトたちはたった半日で出会い、気が合って、そして共に死線をくぐり抜けた。  リベルタとは上手くやれそうかもしれないし、まひろの事情もこうなっては聞くしかない。なにせ、救われたのと同時に殺されかけたのだ。蛮勇を通り越して、あれは暴走だった。  だが、真顔でフンスフンスと意気込むまひろに苦笑していると……不意にジルベルトとリベルタの耳朶を銃声が貫くのだった。