ジルベルトにとっての、長い長い一日が終わった。  小柄な少女レンジャーはネカネと名乗り、定宿の手配や今後の拠点とギルド運営などの相談にも乗ってくれた。聞けばあのエトリアで冒険者一家に生まれた娘らしく、ジルベルトは早速この小さな大先輩をギルド『タービュレンス』に誘ったのだった。  そして、日が暮れて今……ジルベルトは途方に暮れていた。 「ジル、長期の滞在で部屋を抑えたよ。何人かメンバーが増えても大丈夫だと思う。……ジル?」  ネカネの声に、ふと我に返る。  しかし、目の前の光景は変わらない。  そう、例の死体だ。正確には、死体かと思われたが突然蘇生した、おおよそ人間とは思えぬ人型の男性についてだ。男性とは思うが、中性的な顔立ちは性別不明にも思える。  その人物が今、黙ってジルベルトの目の前に立っていた。  老舗の宿屋、湖の貴婦人亭のロビーが複雑な空気に沈んでいた。 「あ、ありがと、ネカネ……任せっぱなしでごめん」 「んーん、だいじょぶ。で、こっちの人は? ……さっき、なんか生き返った、的な?」 「そうみたいなんだけど、うーん」  見れば見るほど、奇妙な人間だ。  勿論、実は人間ではないという可能性を今はジルベルトも信じられる。瞬き一つせず、黙って立ち尽くす青年は、酷く澄んだ瞳に困惑顔のジルベルトを映して佇んでいた。  そしてジルベルトは、ふむと唸ってコミュニケーションを試みる。 「こういう時に限って、師匠がいない……逃げられたなあ。ま、いっか」  そっとジルベルトは、謎の青年の手を取る。そっと握って、もう片方の手も重ねる。 「えっと、言葉は通じるかな……さっきから反応がないんだけど」  先程からずっと、この青年は無反応だ。  もしや、精神的な障害が発生したのかと思った、その時だった。  酷く抑揚に欠く声で、初めて男は言葉を返してきた。 「言語機能、補正完了。ベーシックを日本語に……現地でのアレンジを修正」 「わっ、喋った! ど、ども……えっと、はじめまして」 「……中央システムへのリンク、喪失。反応ナシ。ログの97%を喪失、確認」 「言葉は通じる、よね? 君、言い方が悪いかもだけど……大丈夫?」 「問題ありません。復旧率47%、即座に戦闘行動が可能です」 「いや、戦わなくてもいいけど。っていうか、手が少し冷たいなあ」  真っ直ぐ見上げれば、やはり妙な青年だ。  おおよそ表情と呼べるものがなく、見詰めても端正な顔立ちはなにも伝えてこない。人の顔というのは、大なり小なり印象というものがある筈なのに、だ。少しでも目を離せば、すぐに忘れてしまいそうである。  けど、冷たい手は確かに彼が生きているという現実を伝えてくる。  人間ではない、生物ですらないかもしれないが、蘇ったのは事実だ。 「えっと、私はジルベルト。ジルって呼んで。君、名前は」 「……Outis」 「ん? ウーティス?」 「それが私たちのシステム名です。個体名は設定されていません」 「システム、っていうのは、うーん……わからない。師匠ならなにか知ってるかな」  保護者にして師匠、賢人カラブローネは姿が見えない。ずる賢くさかしいのだ……早速スカウトしたエイダードと共に、ヴァインを左右から拘束して酒場へと消えていった。  少し事情を聞かないとねえ、などと言っていたが、真意のほどは定かではない。  単純に一仕事終わったから一杯やりに行っただけの可能性が高かった。 「ん、まあいっか。ネカネ、さっきのギルド登録票」 「うん。名前以外は書いといた。あと、こっちはあたしの。これからよろしくね」 「ありがと、ネカネ……って、イッコ下だ!? も、もっと若いのかなって」 「ふふ、実はそうでもないのですよ、騎士様? で……もう一人の騎士様はなにを?」  つつつ、とネカネが視線を滑らせる。  ジルベルトも目で追えば、ロビーの隅っこでリベルタが微笑んでいた。彼女はスケッチブックにズガガガガガ! とペンを走らせながら、ツヤテカとした笑みで半ば恍惚状態である。  意味不明だが、いかにも幸せそうなので少し声がかけづらい。 「ああ、いとエモし……エモ死不可避。尊い、あまりにも尊い……あたしは壁になりたい」 「え、えっと、リベルタ? なにを」 「あっ! い、いえ、これは……オホホ、帝国騎士の嗜みのようなものですわ」  ちらりと見やれば、ジルベルトたち三人を絵に描いてたようで、なかなかに達者な筆使いだ。ちょっと照れくさいし、できれば一言声をかけてほしい旨だけ言って、脱げては被り直す猫のことは敢えてスルーする。  リベルタはスケッチブックをしまうと、三人の輪に加わりフムフムと腕組み唸った。 「ジル、このイケメン君さあ……やっぱり、人間ではないよね」 「や、やっぱり?」 「こう、描いてて思ったけど、骨格とか肉付きがね」 「あ、確かに」  ネカネもうんうんと頷く。  だが、きょとんとした様子で謎の青年は首を捻るだけだ。  とりあえず今日のところは、ここまでだろう。彼自身ももしかしたら、永い眠りから目覚めたばかりで疲れているのかもしれない。人かどうかはさておき、突然見知らぬ者たちに目覚めさせられて、混乱しているということも考えられた。  ネカネもそう考えたようで、不意に話題を変えてくる。 「ところで、リベルタ。……いいの? どうせなら、同じギルドだと嬉しいのに」 「ああ、いいのいいの! ていうかさぁ……あまりにもあまりで、見てられないっていうか」 「一目でピンときたけど、あの娘……なんだか少し不思議系というか」 「まーね。でも、ほっとけないし……その、みっ、みみ、見ちゃったし」  ジルベルトはリベルタもギルドに誘ったのだが、やんわりと断られた。彼女は、少しまひろが心配らしくてギルド『ストラトスフィア』の方へ入るという。  ストラトスフィア……蒼い天球儀とは小洒落た名だ。  しかし、両性具有の少女と訳あり風なガンナーだけでは、どうにも見ていられないというのも納得である。そして、今日一日で親しくなったリベルタは、そういうのは見捨てておけない質なのだとよくわかるようになっていた。  そして、突然大浴場の方が騒がしくなってくる。 「大変です! ジル、リベルタも! 突然、マッフが過呼吸になってしまったです!」  突然、まひろが濡れた身体で現れた。  裸である。  またしても全裸である。  すかさずジルベルトは、そっとネカネの目を両手で覆った。  リベルタも顔を手で覆って、耳まで真っ赤になって叫ぶ。 「だから、裸で出てくるなってーの! そういうとこだぞー、まひろー!」 「リベルタ、お風呂でマッフと一緒になって、それで」 「はいはい、とりあえず濡れた身体でウロウロしない! あーもぉ、世話焼けるなあ」  リベルタはやれやれと苦笑しつつ、マッフ少年の様子を身にまひろを連れて去っていった。その背に頑張れと呟きつつ、ジルベルトは見逃さなかった。  あれだけの深手を負っていたのに、もうまひろの傷は治っていた。  信じられない治癒能力である。 「やれやれ、訳ありなことばかりだなあ。とりあえず、ごはんに行こうか、ネカネ。それと、君もね」 「了解」  そっけない返事を返してくる青年は、性別を感じさせぬ中性的な雰囲気だ。それが、両性を併せ持つまひろとはまた対照的で、落ち着いているのにどこか儚げで線が細く感じる。  それでも、ジルベルトはネカネと一緒に正体不明の青年と食堂へ向かうのだった。