ジルベルトたちの前に今、始めての本格的な迷宮が広がっている。  第二迷宮『碧照ノ樹海』は今、むせ返るような緑に萌えていた。原生林のような木々が乱立する回廊は、陽の光さえ木漏れ日となって僅かに届くだけである。  思わずゴクリと喉が鳴って、ジルベルトは隣を見上げた。  既にナイトシーカーの装束に着替え終えたユーティスが、真っ直ぐ奥を見詰めて立っている。視線に気付いた彼は、静かにジルベルトを見下ろした。 「どうかしましたか、ジル」 「あ、いや、大丈夫。装備一式、すぐに揃ってよかったなって」 「極めてシンプルな武具ですが、問題はありません」 「ん、じゃあみんな、進もうか!」  今日の仲間は、すっかり打ち解けたリベルタに、頼れる謎の美丈夫ユーティスだ。三人だけというのは少し心もとない気もするが、急いでいるのでしかたがない。  あとからネカネが、ヴァインやマッフが追いついてくれるだろう。  そう思って進めば、入り口からすぐの場所でジルベルトたちは呼び止められた。 「よう、ボウズ! この先を進むにゃ少し戦力不足じゃないか?」 「ん、待ってオリバー。この子、女の子だね。連れがとんだ失礼を」  大柄な巨漢と、学者風の青年。  二人の男が背後から呼び止めてきた。  瞬時にユーティスが一歩前に出る。露骨に武器を構えたりはしなかったが、彼から発散される警戒心が冷たく肌を刺す。その緊張感にも、男たちは笑みを浮かべるだけだった。 「申し訳ないことをしたね。私はマルコ、こっちはオリバー。こちらもちょっと急ぎで、ゆっくりメンバー編成もできないまま出てきてしまったんだ」  マルコと名乗った青年の温和な態度に、ユーティスも少し警戒心を和らげる。  そして、オリバーは禿頭をペシリと自分で叩いて笑っている。 「そうか、ボウズじゃなくてお嬢ちゃんだったか! 悪い悪い、確かによく見てみれば可愛い顔してやがる! ガッハッハ!」 「は、はあ。実は私たちも人を探してて」  こうしている今も、危険な迷宮をまひろが一人で驀進しているのだ。それも、中途半端に強いから手に負えない。  何故、彼女は見えないなにかに駆り立てられるように進むのか。  類まれなる身体能力に、両性併せ持つ肉体……謎ばかりだ。  だが、今は追いついて止めないといけない。  昨日の第一迷宮『東土ノ霊堂』と違って、今度の迷宮は本格的な多層構造だと聞いているからだ。ここからが冒険者としての、ジルベルトたちの本当の始まりなのだった。 「私はジルベルト、こっちはユーティスとリベルタだよ」 「マルコ様、オリバー様、宜しくお願い致しますわ」 「リベルタ、発言時に心拍数が急激に上昇しました。これは、ムグ、ムググ」  ユーティスがセンシティブな発言をしそうになったので、慌ててジルベルトはそっと背伸びして口を塞ぐ。そして、リベルタは一度猫を被り始めるとひたすらに面の皮が厚かった。  そんな三人を見て、マルコとオリバーも笑みを交わし合う。 「どうだろう、ジルベルト。よければ、私たちと一緒にいかないかい? 丁度五人になるし、私もオリバーも足を引っ張ったりはしないと思うよ」 「あっ、いいんですか?」 「勿論さ。そっちの二人もいいかな?」  願ってもない話だったし、ユーティスとリベルタもすぐに首肯を返してくれる。  冒険者は基本的に、パーティを組んで行動する。そしてその人数は、何処の地方でも五人までと決められていた。時に六人で動くこともあるが、それは……危険な迷宮で一人戦力外の人間がいるとしたら、守るのに最低でも五人は必要という意味である。  すぐにジルベルトは握手を求めて手を差し出した。 「よろしくお願いします、マルコさん。オリバーさんも。私のことはジルって呼んでください」 「OK、ジル。じゃあ行こうか。オリバー、先頭を頼む」 「おうよ! しっかりついてきな!」  ドスドスと大股で巨体を揺すって、オリバーが歩き出す。その広い背中が、今のジルベルトにはとてもたくましく見えた。  そして、続くリベルタがしっかりとジルベルトたちを守ってくれている。  そのリベルタだが、マルコの整った顔立ちを見てはニヤァと気持ち悪い笑みを浮かべていた。 「……ああいう感じの人がタイプなのかな? っと、ユーティス」 「はい。背後はお任せください」 「うん、よろしくね」  こうして、密林の中へと脚を踏み入れる。  鳥の歌や虫の声で、森全体が生命力に満ち溢れていた。  そこかしこで動物の息吹が行き交い、中には大型のものものっそりと近くを通り過ぎてゆく。幸い、まだ攻撃してくる魔物の心配はなさそうだった。  だが、マルコとオリバーの二人はリラックスしながらも全神経を尖らせていた。  流石は熟練の冒険者だと思えば、ジルベルトも見が引き締まる思いだった。 「って、あれ? マルコさん、これ……」 「ああ、行き止まりだね。引き換えして別の道を当たろうか」  突然、小川のせせらぎが水場に注ぐ部屋が広がった。  その四方は雄々しく伸びる古木によって覆われている。  ちょっとした休憩スペースのようにも見えるが、これ以上ここからは進めない。  だが、ジルベルトは師匠の教えを思い出し、洞察力を働かせる。 「妙だ……この水の流れ、この奥まで続いてる。向こうにもっと空間が広がってるみたいだけど」 「ジル、ちょっと来てください」 「ん、どしたのユーティス」  壁の一部を前にして、ユーティスが細い手で積み上げられた木々を調べていた。  本当に細い体躯で、まるでゆらめく蜃気楼のように頼りないユーティス。  だが、彼もまた鋭敏な感覚で迷宮の違和感を拾っていた。 「ここだけ、枯れた丸太を積み上げてせき止められています」 「ホントだ、じゃあこれを取り除けば……」 「この先にまだ、進む道がある可能性は否定できません」  なんだか、はちみつみたいな甘い匂いがする。だが、マルコとオリバーもユーティスの話に乗り気だった。ならばと砲剣を抜くなり、リベルタが前に出る。 「では皆様、お下がりになってくださいまし。わたくしが一撃で吹き飛ばして差し上げますので」  ヴン! と金属的な高鳴りと共に、リベルタの砲剣が唸る。それを最上段に掲げて、今まさに必殺のドライブを解き放とうとしていた、その時だった。  突然轟音が響き、うず高く積み上げられた木々が木端微塵に粉砕された。 「なっ、なんじゃこらああああ! ……アタシ、まだなにもやってないんだけど?」  思わずあられもない声をあげたリベルタの、その華奢な矮躯を巨大な影が包む。もうもうと舞い上がる砂煙の奥から、獰猛な獣の咆哮が響き渡った。  すかさずジルベルトは飛び出し、リベルタも真面目な表情を取り戻した。 「なんか凄いの、いるっ! ジルッ!」 「うん、とりあえず」 「とりあえず?」 「一度退こう。逃げるっ!」  それもまた師の教えだったし、マルコとオリバーも異論はないようだった。  見知らぬ敵との交戦は、これはできるだけ避ける。戦うのは、勝率が明るい時だけだ。まして今、見上げる巨体は凶暴な人食い熊に見える。どれほどの強敵かは知れず、観察している暇もなかった。  素早くユーティスが投刃を放ち、牽制してくれる。  その隙に、一同は全速力で今来た道を引き返すのだった。