光に白く染められて、自分が引き伸ばされてゆく感覚。  永遠にも続くかに思われた一瞬が、少女とその保護者を飛ばした。  遠く遠く、飛んでるような、落ちてゆくような。  そして不意に視界が開かれる。 「ん、ここは……?」  見知らぬ樹海の中、開かれた部屋にウカノは立っていた。  そう、少女の名はウカノ。  先程まで、保護者と一緒に東京の秋葉原を散策していた筈だった。 「どうして……それに、ヒロは」  見上げれば天井は高く、そこだけが特別な場所のように静まり返っている。  一種の厳かな、これはまるで玉座の間のような雰囲気だ。  そして、静寂を引き裂き悲鳴が響き渡った。 「うっ、うわああああああっ! ウカノ、ウカノッ! 無事か!?」  情けない悲鳴をかき消すように、獰猛な咆哮がこだまする。  振り返ると、そこに必死で走る保護者の姿が見えた。  その背に、巨大な赤い人食い熊が迫っている。  咄嗟にウカノは地を蹴った。 「ヒロ、頭を低く! ――ッ、ハァ!」  もともと体術にはそれなりの自身がある。  兎貌の乙女が躍動し、その蹴りを放つ全身がバネのようにしなる。  ジャンプでヒロの頭上を超えて、魔物へと渾身の一撃が突き刺さる。  そう、魔物だ。  モンスターである。  地球の西暦時代には、創作物の中にしか組内しないようなクリーチャーだった。ヒロがよく遊んでくれる時、カードやゲーム機の中にいるタイプである。  つまり、それは。 「私、帰ってきたの? ここ……わたしの生まれて育った世界?」  すぐにへたり込んだヒロを立たせる。  彼はガクガクと膝が笑って、その顔は恐怖と戦慄で真っ青だった。だが、それでも彼は保護者らしく、ウカノの前に出て背で庇ってくる。  キックの一撃でよろめき怯んだものの、まだ巨大な赤熊は絶壁のように迫っていた。 「ウ、ウウ、ウカノッ! 逃げるんだ、こっ、ここ、ここはオレに任せてっ!」  そう、ウカノの保護者はこういう人だった。  ヒロは、ヨシヒロはいつも、ウカノを守ってくれていた。守ってるつもりで逆に面倒を見ることもあったが、兄のように信頼できる。  今も、なけなしの勇気でウカノを逃がそうとしてくれていた。  だから、いつも放っておけなくなる。 「ヒロ、隙を見て二人で逃げましょう。どこか……あっ、奥に扉が――」  だが、その時だった。  不意に二匹目、三匹目の巨大熊が現れる。  そして、さらにその奥から……一際巨大な威容が姿を現した。全身の筋肉を隆起させた、憤怒の王。その威圧的なプレッシャーだけで、ウカノの肌は粟立った。  恐らく、あれがこの迷宮を支配している魔物なのだろう。  ならば、ここはウカノがふるさとで本に読んだ世界樹の迷宮なのだろうか? 「とにかく、ヒロを守らないと……ッ!」  腰を落として拳を身構える。  だが、正直数で圧倒されていたし、迫る虚影を前に自分も脚が震える。  それでも、やらねばならない。  そういう決意はすぐに覚悟となった。  同時に、唸りをあげて赤熊たちが襲いかかってくる。  そして、 「あぶなーい、ですっ! ここはっ、ヒーローの出番なのですっ!」  突然、影が割り込んできた。  長身の少女が、左手に握った盾を構える。激しい衝撃音と共に、人喰い熊の爪が金属をくしけずった。だが、僅かに足元が陥没しただけで、少女はその一撃を受け止めいなす。  肩越しに振り返ったのは、ウカノとそう歳の違わない女の子だった。 「無事ですかっ!? ここはわたしたちに任せるです!」 「あ、ありがとう、ございます。あなたは」 「まひろは、ヒーロー! そして、冒険者なのですっ!」  確信した。  間違いない、ここは世界樹の迷宮だ。  富と名声、未知と神秘を求める冒険者たちの場所なのだ。  まひろと名乗った少女に続いて、次々と冒険者たちが現れる。 「リベルタ、わたしとまひろとで彼女たちを保護して一度下がるから!」 「オッケー! んじゃま、いっちょやりますかー、ねっ!」 「援護はおまかせを。まずは周囲の個体名『森の破壊者』から排除します」  すぐに戦いが始まった。  同時に、一人の少年が駆け寄ってくる。そしてよく見れば、やはり自分と同じくらいの女性だった。 「君たち、大丈夫? どこからこの部屋へ」 「え、あ、んと……突然、光が。ヒ、ヒロ、こういう場合は」  ウカノはうろたえつつも、頭の中を整理する。  ウカノはヒロと共に、日曜日の秋葉原にいた。人混みではぐれそうになって、それで手を繋いだ、そんな時だったと思う。前後はぼんやりとして記憶があやふやだ。  ただ、怯えてすくんだままでヒロは声を絞り出した。 「こっ、ここ、これ……もしやこれが、異世界転生というやつなのでは」 「えっと……ごめん、ちょっと言葉が。私はジルベルト、とにかく安全な場所へ」  ヒロの日本語が通じない。  それは当然で、ヒロの家に引き取られてすぐの時分はウカノも話せなかった。  先程使っていたのは、生まれ育った土地の言葉だ。  それが、世界樹の見守るこの星で冒険者達との会話を可能にしていた。 「ヒロ、とりあえずこの方々に手を借りましょう。言葉のことは後ほど」 「あ、ああ。ウカノ、君は……なんかさっき、喋ってたけど」 「こっちの世界の……私の世界の公用語です。ほぼほぼ同じみたいでした」  だが、呑気に喋ってもいられない。 「皆様、退避を……獣王ベルゼルケルが、来ます」  怜悧な細面の青年が、両手に無数の投刃を構えた。  その視線が見据える先で、巨大な魔物が激昂に咆え荒んでいる。獣王ベルゼルケルは、周囲の森の破壊者を自ら押しのけ、踏み潰し、飲み込む勢いで突進してきた。  咄嗟に先程名乗ったジルベルトとまひろが庇ってくれる。  そして、ウカノは見た。 「はあ、やれやれ……不測の事態ってやつなんだよねえ。ま、なんとかしましょ」  突如、柔らかな光が大地を走った。  その輝きはうねり曲がって弧を描き、結ばれ合って図形を象る。  巨大な方陣を広げる術者が、扉の前に立っていた。  みるみる広がってゆく方陣の眩しさに、冒険者たちは首肯を交わし合って走り出すのだった。