その少女の名は、シリカ。  どうやら、エトリア地方からやってきた商人らしい。若輩ながら、故郷では自分の店を取り仕切っていたという才女である。  そのシリカが、迷宮で突如失踪した。  それだけならば、よくある話で終わっただろう。  迷宮は魔境、未知も神秘も危険で飾られているのだ。  だから、普通の冒険者だったら捜索不能者、いわゆる死亡扱いで終わったのだ。 「ペルセフォネ様が直接、わざわざエトリアから呼んだのか……」 「それでは放置もできませんね。ジル、この先に警戒反応。先程の地点まで戻ってきました」  ジルベルトたち五人は、探索司令部で最低限の手続きを済ますや、迅速に元の場所へと戻ってきた。そしてこの先からは、まだまだ地図にかかれていない未知の迷宮である。  この先にシリカがいるとして、無事に生きていられるだろうか?  それに、気になることがもう一つ。 「お坊っちゃま、皆様も。扉の先に高熱源体。巨大な魔物の気配があります」  セレマンがそっと手で皆を制して、壁に身を寄せる。  それは、無言でユーティスが地面に伏せるのと同時だった。彼は即座に耳を地に当て、数秒の後に立ち上がる。普段と同じ無表情に、今は緊張感が感じられた。 「ど、どう? ユーティス」 「対象は一体、かなり大きいです。しかも、飛行能力があるのか、足跡が途切れました」  そう、先程この場で五人は聴いたのだ。  迷宮全体を震わせるかのような、獰猛な獣の咆哮を。  今まで強敵を乗り越えてきたジルベルトたちにも、わかる……ジルベルトたちだからこそ理解できる。この部屋の先に、厄介な脅威が居座っているのだ。  不安げなアルサスの背をポンと叩いて、すぐにリベルタが前に出る。 「んじゃ、ま、セレマンさんとユーティスの二枚看板で撹乱と牽制、アタシがドカンとデカいのぶちかますって感じで?」 「そだね、悪いけど二人共頼めるかな。私はフォローに回るし、アルサスの援護も期待できるから。うん、急ぐなら進むしかないよね」  熟考と即決が同時に求められる。  それもまた冒険者だと、ジルベルトは師に教えられていた。  優先順位を明確化して、選択肢を絞る。そうして見えてくる決断を、あとは実行できるかどうかだ。そして、ジルベルトを中心に皆は静かに頷きを交わす。  その時、再び空を引き裂くような絶叫が鳴り響く。  聴いたこともない、おぞましい声は怒りに満ちていた。 「よし、行こう! 急がないとシリカが危ない」  そっと胸に手を当て、一度だけ深呼吸。  そして、ジルベルトはその部屋のドアを左右に大きく開け放った。  そこには、広々とした空間が広がっている。太古の原生林が、この場所だけは開けてちょっとした草原のように草花をそよがせていた。  視界に魔物は見当たらないが、油断はしない。  何故なら……木々を揺らす風は、空中の殺意から放たれる風圧だったから。 「ジル、上っ! あ、あれは……やっべ、ドラゴン?」 「いや、違うかも。よく見て、リベルタ。前足がない。っていうか、前肢が翼になってるから……飛竜、いわゆるワイバーンかな」  ――この世の生物は、背に翼を持たない。  ジルベルトは兄とともに、我が師カラブローネから座学で教わったことがある。あらゆる生物には進化とよばれる気長な成長があって、個ではなく種が成熟してゆく。その過程で無数の枝分かれが発生するが……必ず大半の動物は、翼を持たない。翼を得て飛ぶ鳥たちは、その羽撃きのために両手を羽根に変えたのだ。  だが、魔物には例外が存在する。  絶対強者、自然界の摂理を司る者……ドラゴンなどである。  民話や伝承の天使たちもそうだが、例外は例外でしかなく、手足と別に翼を持つ者たちはめったに人の前には現れない。 「つまり……あれは普通に強いだけの生き物、倒せるってこと。行くよ、みんなっ!」  強烈な烈風と共に、ワイバーンが襲ってくる。  高い天井を奪うように、翼を広げての急降下。それだけで、ジルベルトは地面に縫い付けられたように動けなくなる。見ればアルサスやリベルタも立っているのがやっとのようだった。  しかし、二つの影が疾風となって馳せる。  真っ逆さまに落ちてくる爪と牙から逃れて、ユーティスとセレマンが回り込んでいた。 「ジル、リベルタと一緒にアルサスを守りつつ後退です」 「お坊っちゃま、今こそ高貴なる力を行使する時」  二人のナイトシーカーは、あっという間にワイバーンの背後で振り返る。  まるで計算されたようなその動きには、全く無駄がない。  逆に、どうにか嵐のような風圧の中でジルベルトは仲間を庇う。 「す、すみません、ジルベルトさん。……よしっ、やりましょう!」  アルサスの号令が響き渡る。  決して大声ではない、寧ろ震えて怯えた声音だった。  だが、しっかりとその言葉がジルベルトたちの背中を押してくれる。  体が軽く、熱くなってジルベルトは地を蹴った。  その後を真っ直ぐ、リベルタが砲剣を構えて追従する。 「ジルッ、幾ついけそう?」 「三つか四つ、……ううん、いっぱいいけるよ!」 「よしきたっ、乗っかっちゃうからね!」  着地したワイバーンへと疾走れば、その巨体がぐんぐん近付いてくる。  ひるまず加速すれば、ジルベルトの足捌きが無数の残像を生み出した。向き直るワイバーンの目に、複数の標的が増えてゆく。  ここ数日で、ジルベルトの身体能力はささやかに成長していた。  激戦で傷付き、血と汗で勝ち取った勝利のたまものだ。  そしてそれは、仲間たちも同じである。  残像による撹乱での突進に、僅かにワイバーンが動きを止めた。それは、貴重な一秒となって仲間たちの攻撃を先導する。 「投刃、射出。……っ、甲殻と鱗が硬い?」 「問題ありません、セレマン。押し込みます」  放たれた投刃が、ワイバーンの表面で無情を歌う。残念ながら、頑強な外殻は天然の装甲そのものだた。だが、その時にはもうユーティスが肉薄していた。  セレマンが投げて弾かれた投刃を、常軌を逸した機動で蹴り抜く。  尻を叩かれた刃の光は、真っ直ぐワイバーンの脚部に突き刺さった。  その時にはもう、更に肘打ちでユーティスが毒の一撃を押し込む。 「離れて、ユーティス! 毒が通った、やっぱり普通の生き物だ……生き物なんだ。だから」  ジルベルトの斬撃が、よろけたワイバーンの顔面を切り裂く。その一撃は浅くとも、二度三度と続いて残像が一閃を謎った。一発一発は微細なダメージでも、同じ場所に蓄積させれば効果は見えてくる。  なにより、トドメの本命が真っ逆さまに落ちてくる。 「ジル、ナイスッ! 狙いはあそこだ、やれるよリベルタ……おんどりゃあああああっ!」  ジルベルトの連続攻撃は、僅かにワイバーンの顔面に流血を強いていた。その小さな傷へと向かって、リベルタのアサルトドライブが炸裂する。唸りを上げる砲剣が赤熱化して、ばっさりとワイバーンの顔半分を叩き割った。  ドヤ顔着地で一歩下がった彼女は、「や、やった!」と小さく叫ぶアルサスを小突く。 「やった、やったか、禁止だっての。……手応えはあった、けど」 「え、えっ? だって……くっ、本当だ! まだ動く! 防御の号令を!」  完璧な連携攻撃で、全身全霊の一撃だった。  わざわざ硬い鱗を剥ぎ散らした中にドライブを叩き込んだのだ。  だが、ワイバーンは流石に竜の眷属……龍につながる危険な生物である。あっという間にジルは、怒りの牙で全ての残像を剥ぎ取られる。慌てて盾を構えた時にはもう、巨大な鉤爪がリベルタとアルサスごと彼女を鷲掴みにしているのだった。