アルサスは夢を見ていた。  とても幼い頃、まだ物心もつかない子供だった頃の夢である。  それは、とても厳かで静かな時間の訪れだった。  家族全員が集まって、祖母を看取った時である。  もう十年以上前の話だ。 『セレマンを呼んで頂戴』  財産や利権の話が終わり、祖母は家族一人一人に言葉をかけたあと……何故かメイドを最後に呼ぶように言った。  何故かそれだけはよく覚えている。  そして、親族の誰もがそのことに疑問を抱かなかった。  やがて、長身のメイドがやってきた。  そう、今と全く変わらぬ姿のセレマンだ。 『セレマンや、これからも家のことを……アルサスのことをよろしくねえ』 『かしこまりました、大奥様。……大変お世話になりました、お嬢様』 『お嬢様……そうね、私の祖母もこうして、私のことを……随分昔のことね』 『アルサスお坊っちゃまのことはお任せください。どうかよい旅を』  そのメイドは、気付けばいつも家にいた。  少し気が利かなくて、それでいて仕事はそつがなく完璧で、そして明らかに言動が奇妙だった。そして、物理的に物凄く強くて、ちょっと異常な身体能力を持っていた。  いつの代から家にいるのか、もう知っている者もいない。  ただ、ややポンコツなこのメイドにアルサスは育てられたのだった。 「うっ、ん……夢、か。ハッ! こ、ここは」  唐突に目が覚めて、アルサスは周囲を見渡した。  見知らぬ原生林が広がっている。  そして、少し前の記憶が脳裏を過ぎった。  倒したかに思えたワイバーンは、驚くべき生命力で反撃してきたのだ。アルサスはジルベルトやリベルタと共に捕らえられ、そのまま迷宮の谷間に突き落とされたのである。  そう、ここは先程より下のフロアだ。  それがどういう意味を持つか、飛び起きてすぐにアルサスは思い知らされる。 「まずい、まずいぞ……全く地図にない階層だ。しかも、現在地がわからない」  本来、迷宮の探索は入り口からの長い長い旅路だ。  一進一退を繰り返しながら、危険な罠や魔物との格闘を経て地図を埋めてゆく。その地図は必ず、来た道をたどれば出口へと続いていた。  だが、今回ばかりは訳が違う。  突然、座標も位置も分からぬ場所に放り投げられたのだ。  ここが何階なのか、東西南北すらわからない。 「アリアドネの糸もない……あっ! そ、それよりお二人は」  すぐに、一緒に落ちた二人の少女を探す。  以外なことに、立ち上がったアルサスのすぐ足元に二人は倒れていた。ジルベルトとリベルタだ。どうやら大きな怪我はないようだが、気を失っているようだ。  そして、すぐにアルサスは察した。  あの咄嗟の瞬間に、二人はアルサスを守ろうとしてくれたのだ。  彼女たちがクッションになってくれたから、アルサスは無事こうしていられる。  だが、互いをかばい合うように手を繋いだ二人は目覚める気配がない。 「と、とりあえず、周囲に敵意はない。落ち着け、僕……落ち着くんだ、アルサス」  こんな時、セレマンがいてくれればと思う。  いつでもどこでも、彼女はアルサスを幼少期から助けてくれた。厳しい時もあったし、なんだかトンチキで理不尽な時もあったが。基本的に常に、あのスーパーメイドはアルサスの強い味方だった。  だが、今は自分一人だ。  そして、自分が一人の冒険者として一人前かどうかが試されている。 「とりあえず、お二人を運んで移動する。……ただ彷徨っても駄目だ、方角は」  仮に、先程の大広間から垂直に下へと落ちたとする。  ならば、この『原始ノ大密林』の下層、そのほぼ中央にアルサスたちはいる筈だ。ワイバーンと戦ったのが地下二階だったので、ここは地下三階か、あるいは……更に下層に落ちていた場合、生存はほぼ絶望的だ。  だが、アルサスは諦めない。  両親からもセレマンからも、そんな陳腐な潔さは習わなかったのである。 「よし、あの扉から壁伝いに歩く。お二人を……んっ! お、重い!」  すかさず脳裏にセレマンがもわもわと浮かんで、「いけません、お坊っちゃま」といつもの口ぶりが聴こえた気がした。  そうだ、レディに対して『重い』は禁句である。  だが、少女とはいえフル装備の冒険者が二人である。  一人ならどうにか運べる。  だが、片方を見捨てるという選択肢はそもそも存在しない。 「……せめて、防具を脱がせば……ゴクリ。はっ! ち、違うぞ、そういう意味じゃ」  とりあえず、より重武装なリベルタを肩に担ぐ。  そして、ジルベルトを両手で抱き上げた。  すぐに膝がガクガクと震えたが、このまま進むしかない。むやみにうろつくのは危険なので、マッピングもしながらの大脱出になる。  運良く近くに上り階段があれば、それでいい。  一度上に出れば、地図が使えるからだ。  だが、ここがさらなる地下……何層も貫いて落ちてきた場所の場合は、かなり危険だ。 「ンギギギ……重くない。重くないぞ、アルサス。みんなで生き残るんだ」  年上の少女たちに気遣われ、庇われた。  今度はアルサスが彼女たちを助ける番である。  ヨタヨタと歩きつつ、彼は部屋の扉を開いた。その先には、鬱蒼と緑が茂って獣道のように回廊が続いている。右も左もわからないが、まずは植物などをよく観察して方角を見定めたい。大樹の切り株などがもしあれば、年輪を見ることができるのでしめたものだ。  体力は持つのか。  本当に進むのが正しいのか。  落ちた場所で救助を待つ選択もあるのでは。  だが、ピンチなのはアルサスだけではない。 「セレマン、それにユーティスさん……たった二人では、あの二人でもワイバーンは」  そう、残された仲間たちも気がかりだ。  今頃はアルサスの号令の効果も切れて、苦戦を強いられているだろう。  すぐに戦線に復帰して、アルサスだけでも戦いに加わらなければならない。  メイドが困っている時に、主人がまごまごしている訳にはいかないのだ。  決意も新たに踏み出す一歩が、ずしりと重く体力を削ってくる。  それでも歩き始めたアルサスは、以外な光景に目を丸くした。 「ん? あれ、冒険者さん? ひょっとして、ボクを探しに?」  通路の奥から、不意に少女が現れた。  褐色の肌に黒い髪を結って、年の頃はアルサスと同じくらいだ。  その容姿は、探索司令部で救助ミッションが出ているシリカだった。 「あ、あの! シリカさんですか? たっ、助けに来ました!」 「うん、ボクがシリカだけど……そっちの方がなんか、テンパってない?」 「い、いえ! 大丈夫です! それより、このフロアは」 「うん、階段を探してるんだけどね。行き止まりから今、引き換えしてきたとこ」  つまり、シリカが来た方向には階段はない。  それがわかっただけでも、アルサスには大きな成果に思えた。なにより、要救助者であるシリカと合流できた意味は大きい。  すぐにアルサスはシリカの足取りを地図に記し、別の道へとゆっくり歩き始めるのだった。