――空中都市マギニア。  多種多様な文化が雑多に入り組む、モザイクのような街を内包した方舟だ。  晴天の日差しにウカノがそっと手をかざせば、風景は全て朱に染まって輝いた。深紅の貴石は不思議な光で、通す光で見るもの全てを真っ赤に包んでゆく。  ウカノはペンダントになってるそれを、歩きながらもついつい取り出してしまう。  自然と頬が緩んでしまう。 「綺麗な石ですね。大切なものなんですか?」  隣を歩くアルサスも、目を丸くして宝石に見入っている。  彼はすぐ後ろをあるくセレマンが咳払いするので、すぐに「と、とても似合ってます、ウカノさん!」と褒めてくれた。お世辞でもその言葉がこそばゆくて、そして嬉しい。  ウカノはペンダントを胸元にしまうと、笑顔についつい耳がピンと立った。 「ヒロからの贈り物なんです。それも、手作りの」 「へえ、いいですね」 「ヒロは昔から手先が器用で、模型や工作が得意なんです。船とか、あと飛行機っていうのがあって、それに車。あ、あと、ガンダム? とか、とにかく凄いんです!」  思わず早口になってしまって、慌ててウカノは口を噤んだ。  兄と慕う人は内気で穏やかな人だが、異世界に来てしまったウカノを守ってくれた。家族のように、本当の妹のように接してくれている。  そのヒロが今度は逆に、ウカノの世界に一緒に飛ばされてきた。  厳密にここが自分の知ってる世界かは、ウカノにもちょっとまだわからないが。  そんなことを考えていると、不意に前を歩く二人が振り返った。 「ほほーう? ヒロってなんか頼りないけど、いいじゃんいいじゃん! エモし!」 「大事なものだし、なくさないようにね。……でも、なんだっけかな。師匠がなにか言ってたような……? ま、とにかく行こう!」  リベルタとジルベルトだ。  二人はワイバーンとの決戦で負傷したが、今ではピンピンしている。そして、どうやら今日はアルサスにお礼がしたいとかで、みんなでクワシルの酒場に向かっている。  ウカノも、長々とセレマンに少年の一大冒険記を聞かされた上で誘われていた。  もっともアルサスの話では、落下時にジルベルトとリベルタが庇ってくれたことの方が大きいらしい。その二人がお礼に食事でもと言うから、どうやらいささか照れくさいようだった。  それに、休日のリベルタはやたらと張り切っていた。 「あとさ、今日はこれを……グフフ。噂の真相を確かめるのだぜー!」  ベレー帽に眼鏡のリベルタは、サテンのシャツにキュロットスカートだ。隣で苦笑するジルベルトも、ゆったりとしたパーカーにパンツスタイルである。  眼鏡を上下させるリベルタは鼻息も荒く、スケッチブックを大事そうに抱き締める。 「噂っていうのは……あっ、なんかヒロが言ってました。同世代の中で話題になってるって」 「それなー! なんかさ、酒場にたまーに出るんだって。いかにもお姫様って感じの冒険者と、寄り添う騎士風の美少年が!」 「そうそう、とても仲睦まじい二人らしくて……あ、あれ? んー……え、えっ?」  なぜか、アルサスが目配せしてくる。  それ以上は、いけない。  そう言われている気がした。  そして、ジルベルトが頬を赤らめつつ視線を逸らす。  小声でそっと、セレマンが耳元に囁いてくれた。 「リベルタ様はご自身で気付かれてないのです……噂の人物が自分とジルベルト様だと」 「……なんでまた。あ、でも確かに! 言われてみればお二人って」  一目見てぇ! と張り切ってるリベルタ本人が、実は噂の姫騎士その人なのだった。中性的な美形騎士とは、いつも一緒のジルベルトのことらしい。  気付いてるだけに、ジルベルトはなんともいえぬ居心地の悪さで乾いた笑いを浮かべていた。 「はぁ、いとエモし……っと、到着! ささ、アルサス君。今日はなんでも食べたまえー!」 「今日は私たちがみんなに御馳走するから。ウカノの歓迎会も兼ねてね」 「で、噂の2.5次元カップルは、と……ウシシ、もしよかったら少しこぉ、スケッチを」 「……今日はいないと思うよ、リベルタ。っていうか、その……ま、いっか」  一同がクワシルの酒場に入ると、今日も店内は賑やかで混雑していた。  丁度ランチの時間で、空いてる席もまばらだ。カウンターには冒険者たちが集まってて、店主のクワシルとクエスト依頼や情報交換で盛り上がっている。 「お坊っちゃま、皆様も。奥に空いてるテーブルがあります。参りましょう」 「だってさ、アルサス。ウカノも行こう? ご飯のあとは、ウカノの服も見て回りたいし」 「えっ、そそ、そんな……ジルベルトさん」 「ジルでいいって。他にも色々、お店を回ろうよ」  ウカノはここでは、獣貌の素顔を晒して歩いている。彼女のようなイクサビトはそこかしこにいるし、ヒロの世界では味わえなかった解放感も少し懐かしい。  今はネカネが見繕ってくれた服を着てて、白いワンピースにサンダルである。  活況に満ちた酒場の空気は熱くて、席に座ればすぐに店主が冷たい水を出してくれた。 「ワーッハッハッハ! ジルちゃん、リベルタちゃん。今日はお仲間も一緒かな? オジサン、サービスしちゃうよーん? おや、メイドさんも……メイドあり! なーんつって、ワーッハッハッハ!」  陽気な店主はいつもの調子で、オーダーを預かるなりカウンターへ戻っていった。  なんとも胡散臭いし、どこかちょっと師匠に似てるんだとジルベルトは言う。黙ってればイケオジとは、リベルタの言だった。  でも、ウカノは知っている。  店主のクワシルは、ああ見えて親切で義理人情に厚い。らしい。  らしいというのは、最初の頃に小さなクエストでヒロと世話になったことがあるからだ。  ただ、時々冗談か本気かわからない言葉に振り回されることもしばしばである。 「さて、と……うーん、今日はいないのかなあ? 噂の美形主従」 「あ、あのね、リベルタ……その、ちょっと」 「わかってる、わかってるってばよ! ジル、アタシはそっと見守りたい……壁になって静かに愛でたいの。スケッチはこれは、イメージを忘れないようにと思って」 「……う、うん、まあ。リベルタがいいなら、うん……は、恥ずかしいんだけど、少し」  フンスフンスとリベルタは店内を見渡す。  アルサスと並んだウカノは、隣のジルベルトが真っ赤になって俯くので少し気の毒になった。  確かに、他者と接する時のリベルタは気品に満ちてて、優美な御嬢様の品格だ。  勿論、それは猫を被ってるだけなのだが。  それを差し引いても、彼女が可憐な美少女だというのはウカノにもわかる。  ニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべてなければだが。 「……はっ! も、もしやあの子……あの子が噂のお姫様では!? 騎士は、騎士はどこ!?」  突然、リベルタが目を見開いた。  伊達眼鏡がキラリと光って、瞳が輝いている。  その視線を追えば、ウカノの目にも一人の少女が目に止まった。  とても小さな矮躯で、背には身長より大きな鎌を携えている。  どうやらリーパーのようだが、確かに可憐な乙女そのものだった。整った顔立ちに伸ばした長髪。服装こそ簡素だが、それがかえって生来の美貌をほのかに浮き上がらせていた。  だが、様子が変である。  こうした場所に不慣れなのか、どこかオロオロとカウンター前を右往左往していた。  やがて、大柄なパラディンにぶつかり、体格差から跳ね返されて尻もちをついた。 「おっと、なんだぁ? 小さ過ぎて見えなかったぜ、ハハッ! ほれ、シャンと立ちな」  パラディンの男は少女の襟首を掴むと、まるで子猫のように雑に扱う。  連れの仲間たちも歴戦の猛者らしいが、やや紳士的な態度には欠けていた。  そう思った時にはもう、そっとジルベルトが席を立っていた。 「んんん? なんだ、こんなチンチクリンがあれか? 噂の」 「ガキ共が言ってた御嬢様騎士ってやつか。へえ……お連れの騎士様はどうしたよ?」 「ハハッ! なんてこたねえ、ただの田舎臭い小娘じゃないか」 「おうい、岸様よう! 助けてさしあげろよ! お姫様がピンチだぜー?」  下卑た笑いが響いて、周囲の冒険者たちが眉をひそめる。逆に、酔った勢いで連中を煽る者たちもいた。冒険者は皆が誇り高き探求の徒ではない……無頼の輩も多かったし、気性の荒い者たちも多かった。  ウカノも咄嗟に椅子を蹴った、その時だった。  不意に突然、酒場の空気がシン、と鳴った。  それを最後に、熱気が引いて周囲の雰囲気が張り詰める。  ワタワタと手足をばたつかせる少女だけが、毅然と小さな勇気を震わせていた。  そしてウカノは見た……自分やジルベルトをそっと手で制して歩み出る、男とも女ともわからぬ謎の人影を。