少女は動転していた。  動揺し、混乱していた。  名は、ドロテア。誰もがそうであるように、強い思いを秘めて冒険者になった小さな女の子だった。田舎の豪農の娘だが、冒険者たちの逸話は吟遊詩人たちを通じてずっと聞かされてきた。  だが、現実は違ったので、とても驚いていた。 「んんー? どうしたんだい、お嬢ちゃん。ああ? びびって声もでねえかい?」  筋骨隆々たる大男が、自分の襟首をつまんで吊るし上げてくる。  空中に手足をバタつかせても、逃げることは不可能だった。  正直、ちょっと信じられないし、信じたくない。  季節の折に触れ、ドロテアの村には旅芸人や吟遊詩人が訪れる。村を上げての祭になる夜は、幼心に胸躍る叙事詩や物語の数々に夢心地だった。  エトリアの聖騎士と呼ばれた少女の冒険活劇。  メビウスの魔女とよばれた冒険者の、天空の城を巡る大冒険。  深淵の悪夢に立ち向かった姫君に、巨大な帝国とその暗部を打ち砕いた黒狼竜……どれも皆、ドロテアの心に憧れとときめきを植え付けていった。  それが今はどうだ、全く違う世界が広がっていた。 「あ、あのっ!」  勇気を出せば、絞り出した声が震える。  それでも、まだドロテアは信じていた。  小さな頃から田舎の片隅で憧れていた冒険者たちは、皆が理想と信念に燃える探求の徒だと。それが嘘でも、彼女にとっては信じるに足る嘘だった。 「わ、わたしはドロテア、ファーマーですっ! 右も左もわからない若輩で……」 「ほほーう? お嬢ちゃん、ファーマーかい。だったら、そこのカウンターのおっさんから簡単なお使いクエストでも受けるんだな。足手まといの弱小農家はノーサンキューだ」 「そ、そそっ、それでも……わたしを仲間にしてほしいのです! 冒険者様っ!」 「……はあ? おいおい、このガキ……現状が全然わかってねえみたいだなあ!」  ドロテアは冒険者になるのが夢で、親兄弟の許可をやっと取り付けマギニアに乗り込んだ。そして、それは彼女にとって夢ではあっても、一つの手段でしかない。  彼女の夢は冒険者、そしてその生き方でつかみ取りたい希望があった。 「あの、わたしの田舎では時々飢饉や凶作があって……それで、もっと色々沢山、多種多様な作物の種を探してるんです! 世界樹の迷宮なら、もしかしたらって」 「ハッ! バカバカしい……仲間にしてほしいだあ? 一生採集暮らししてな、ひよっこが。運が良けりゃ、死なずに珍しい種やら作物やら取れるかもだぜ?」 「それは、その、毎日やってきました! でも……もっとあれこれ調べるには、どうしても世界樹の迷宮の、その奥を目指さなければっ――きゃっ!」  子猫みたいに扱われるドロテアは、そのままグイと天井高く抱え上げられた。  パラディンの巨漢は太い片手で、軽々とドロテアの矮躯を吊るし上げる。  ドロテアはこの時、初めて感じた。  怖い。  恐ろしい。  冒険者とはこういうものなのかと思うと、目の前が暗くなった。  創作の叙事詩と違って、現実の冒険者はこうなのかと。  でも、それで諦められない自分を自覚した。  それは、丁度視界の片隅で少年少女が立ち上がった時。見ず知らずの冒険者らしかったが、ギルドや酒場に出入りしていたドロテアは噂を思い出した。  見目麗しい姫君が、近衛の従騎士を連れて現れるという。  今にも飛び出さん勢いの少女たちが、ドロテアにはそう見えた。  そして、それに先んじて歩み出る影があった。 「あー、あー、ゴホン! 嫌だなあ、本当に嫌なものだ。酒が不味くなるよ、まったく」  突然、ざわめき立つ冒険者たちを軽く手で制して、一人の男が歩み出た。  嫌、男だろうか?  中性的で端正な表情は女性的でもあり、その服装もミニスカートで、半裸の上半身に適当なコートを纏っていた。珍妙ないでたちにはしかし、奇妙な威圧感と魅力を感じる。  その男、そう仮定しるするしかない人物は、酒場の相違を片手でやんわり抑えた。  そして、ゆらりとこちらへ歩み寄ってくる。 「ああん? なんだ、手前ぇ……」 「ああ、私かい? 気にしないでほしいな。気まぐれとわがままだよ、これは」 「だから、なんだって言ってんだ! 手前ぇはよお!」 「正義の味方に見えるかい? 悪いけど……私は綺麗なものが好きで、そうでないものは嫌いなんだ。綺麗なものを汚す存在もね」  ドロテアは、その青年を見て目を見開く。  性別や年令を超えた美しさは筆舌しがたく、まさに絵本から飛び出してきた物語の英雄にも見えた。それでいて、その目に燃える光は暗く黒い。  背に大鎌を背負っているので、ドロテアにはその人がリーパーに見えた。  事実、ニヤリと笑う青年の全身から瘴気が吹き出て周囲を覆ってゆく。 「くっ、瘴気兵装! 手前ぇ、リーパーか! ここでやろうってのか!」 「それは貴方次第かな……ただ、私は先に行った通り、醜いものが嫌いなんだ」 「くそっ、おうおうお前ら! 畳んじまおうぜ! ちょいと新米をからかってるだけで――」  その先の言葉はなかった。  不意にドロテアは、拘束を解かれて空中に放り出される。  慌てふためく矮躯を両手で受け止めたのは、先程の謎の青年だった。  その全身を羽衣のような闇の薄布が覆い、ふわりふわりとたなびいいている。  ――瘴気兵装。  一流のリーパーたちが駆使する、負の力を具現化した武器にして鎧だ。瘴気兵装をまとったリーパーは、相手の力を弱め、活力を奪い、生気を搾り取る。普通は魔物に向けられる異能の力だが、それをまともに浴びた先程の大男たちは皆が這いつくばっていた。 「やあ、怖い思いをしたね。立てるかい?」 「あ、あ……は、はいっ!」 「彼らとて悪気があった訳じゃない。冒険者は皆、乱暴者の無頼漢さ。それにね」  ドロテアにはよくわからなかったが、酒場で噂の姫と騎士、その片方が猛ダッシュで走ってきた。端正な表情は酷く美形で、真剣な顔付きてで自分の前に出て謎のリーパーに向き合う。  一方で、噂の姫君らしき女の子は……エモエモ言いながらブリッジ状態で倒れていた。 「ザッシュさん! あ、あのっ!」 「おや、君はタービュランスの」 「立派な振る舞いにみえたんですが……助けた訳じゃなかったんですね!」 「ふ、ふふ……ははっ! そりゃそうさ。小さな花を摘み取り手折る、これは僕の根っからの性分だよ。君も一緒にどうだい?」 「なにを……貴方は底が知れないし、ヴァインさんは気をつけろと言ってました。でも、本当の貴方は」 「ただの刹那的な快楽主義者さ。今が楽しいなら、この子の未来を食い潰す価値がある……ふふ、そうは思わないかい? えっと、ドロテアちゃんだったかな?」  ドロテアの目には、微笑むリーパーの顔が優しく愛おしく見えた。  名はザッシュとかいうらしく、例の王子様が言うように危険人物だと言われればそんな気もする。  要するにこの男だか女だかわからないリーパーは、助けてくれた訳ではないのだ。  食べたいと思った料理が、見ず知らずの悪漢に取られるのが嫌だった。  それだけだ。  でも、ドロテアにはそれだけだとは決して思えない。 「あ、あっ、あの! 師匠! 師匠って呼ばせてください!」 「…………は?」 「ザッシュ様、この力、技の冴え……わたしの憧れた冒険者そのもの! 是非、わたしを弟子に!」 「………………はああああ? え、あ、お、おおう……ちょ、ちょっと待って」  ザッシュとやらが初めて、その環状を顔に出した。彼は……そう、ようやく見定め見惚れてわかったが、男性のようだった。彼は目を丸くして後退りし、その距離をドロテアの歩みが埋める。  ドロテアは出会ったのだ。  自分が心底憧れていた冒険者、遠い未来に英雄の名を残す本物の冒険者に。 「ザッシュ様っ、お師匠様!」 「ちょ、ちょっと、困る! 待って、落ち着いて……あー、うん、なんか……」 「わたし、何でもやります、頑張ります! わたしもザッシュ様みたいな立派な冒険者になって……故郷に沢山の果実や種を持ち帰りたいんです!」 「……えっとジルちゃん、だったよね? あと、頼むね? いや、うん……私は逃げる! なんていうか、思いもしない展開だった! 美少女手籠めにし損ねた!」  影のように瞬時にぬるりと、ザッシュは瞬きせぬ間に消えた。  酒場を出ていった彼はしかし、潤んだ瞳でジルベルトに保護されるドロテアにずっと見詰め続けられているのだった。  何故か親身になってくれるジルベルト自身、深い溜息と諦観に眉を寄せてることには、ドロテアはこれっぽっちも気付け無いのだった。