今日も今日とて、一日の終わりにクワシルの酒場は賑わう。  この混然として騒がしい浮かれた空気が、ユーティスは嫌いではなかった。今日もまた、半ば無理矢理引きずられるようにして、仲間に連れてこられた。かれを強制連行気味に誘ったヴァインは、今日に限ってすこぶる上機嫌だった。 「わは、わははははは! 聞いたぜえ、ザッシュ……うちに逃げ込んでくるたあなあ!」 「……私はね、君みたいな偽善者とは違うんだよ。とてもじゃないけど、責任持てない」 「言っとけ言っとけ、お師匠様ァン! ギルドに入れてやったんだ、感謝しろよ?」 「クッ、まさかこんな形で弱みを握られるとは思わなかったよ」  ヴァインが赤ら顔でバシバシと、ザッシュの華奢な背を叩く。  どうやらこの酒場で昼間に、ちょっとした事件があったらしい。よくある横柄な冒険者の新人いびりだが、それをたまたまザッシュが助けた……というよりは、その新人にコナをかけようとして手ひどく逆襲されたらしかった。  社会の闇を影から影へ、そうして生きる男には眩し過ぎる光だったようである。  結局彼は、その少女から逃げるようにストラトスフィアに加入したのだった。 「で? ザッシュよう、その娘……うちにきたドロテアちゃんは、正直どうかねえ」  炙った珍魚の皮をつまみながら、カラブローネがいつもの調子でぼんやりと尋ねる。その横ではエイダートが骨付き肉を頬張り、豪快に盃を傾けていた。ヒロとヴィラーゼも存在感こそないが、隅っこで今日の冒険の成果を語り合っている。  これが不思議と、ユーティスに奇妙な落ち着きをもたらしていた。  平穏、安堵……ジルベルトの側とはまた別の、ゆったりとした時間が流れる。  そんな中、ヴァインを手で遠ざけつつザッシュは真面目な表情になった。 「彼女はファーマー、ちょっとした豪農の娘だ。まあ、兄も姉も沢山いて、跡取りがどうこうという話は聞かないね。そっちの腕は心配ないけど、リーパーとしてはどうかな」 「おんやあ? そこまでもう調べがついてるのかい」 「蛇の道は蛇、ですよ、カラブローネさん。私の情報網を舐めてもらっては困るなあ。……あと、うん。あの娘は、ドロテアはよく言えば……伸び代しかないタイプの人間です」 「ほほーう? あのザッシュがそうまで言うとは、なかなかに面白いねえ」  カラブローネもにやりと口元を歪める。  ユーティスも、性別行方不明なこのザッシュの言葉には意外性を感じた。この男、好色にして神出鬼没、敵か味方か謎の存在だったのだが。今は不思議と、同じ冒険者のように思えるのだ。  彼もそうだが、自分も変わったのかもしれない。  そう思いつつ、ユーティスも冷えた炭酸水で唇を濡らす。 「カラブローネさん、恐らく……彼女は強くなります。真っ当な冒険者、日向を歩く表側の冒険者としてね。あの愚直なひたむきさは、とてつもない才能です」 「ふーむ、じゃあ……お前さん、どうして自分であれこれ教えてやらないんだい」 「ガラじゃないんですよ。所詮、私は裏社会の人間ですからね」  それだけ言うと、黙ってザッシュは真っ赤なワインを飲み出した。  空気を察して、ヴァインも小突いていじるのをやめる。そして改めて「ようこそストラトスフィアへ」と、空になったグラスにワインを注いでやっていた。  この二人の関係も奇妙で、つくづく人間というのは難しい。  そうこうしていると、酒と料理の追加注文を終えたエイダートが呟く。 「そういや、ユーティス……なんか、メイドさんから凄い技を教わったらしいなあ」  皆の視線が、そっとユーティスに殺到する。  凄いと言えるかどうかははなはだ疑問だが、ユーティスは確かに新たな機能を獲得していた。それが本来あるべき能力なのか、たまたま同型機故に共通性があったのか……それはわからない。  ただ、個人的には驚きだったものの、便利だとは思った。 「特殊コードにより、本来は護衛タイプにしか実装されていない能力を獲得しました」 「へえ、あのメイドさん……セレマンさんが、そんなことを」 「お見せした方が早いと思いますので」  そう言って立ち上がると、そっとユーティスは目を瞑った。  どういう訳か、店内から無数の濡れた眼差しが注がれる。女性客の殆どが、何故かいつもユーティスを見ては溜息をつき、諦観の苦笑を楽しそうに交わし合っている。  本当に人間は不思議なものだと思いつつ、脳裏に特殊コードを打ち込んだ。  瞬間、ユーティスを構成する物質が分子レベルで配列を変え始めた。 「ん? なんだあ? ユーティス、お前……背が、少し縮んだぞ?」 「それだけ、なのか? いや、ああ、ふむ。ヴァイン、ちょっとこれは」  ガタッ! と椅子を蹴ったのは、ヴァインでもエイダートでもなかった。  驚きつつも冷静を装い、カラブローネは酒を飲んでいる。  そんな彼の背後をぐるりと回って、ザッシュが迫ってきた。 「……驚いた。人間じゃないなと思ったけど。君、さ。ユーティス……今、女の子になったよね?」 「はい。これは本来、護衛タイプが守る対象に応じて性別を」 「どどど、どうやったの! ねえこれ、どうなってるの!? ……うわ、骨格レベルで変わってる。胸は……あー、ささやか、慎ましい。けど、これって凄いことだよ!?」  ザッシュとて、女性かと見紛う美貌の持ち主だ。その自覚があって、女装して出歩いている時も多い。性別や服装など、快楽主義者の彼には些細な問題なのだ。  だが、その肉体は紛れもなく人間の男性である。  ユーティスが説明を試みても、彼はただただ驚き瞬きを繰り返すだけだった。 「顔も、大まかには変わってないけど……凄い。ねね、ちょっとその技、私にも教えてよ」 「いえ、人間には無理かと思われます。……あまり過度な接触は困ります、ザッシュ」 「腰、細っ! えー、なにこれ、反則! 私が体型の維持にどれだけ苦労してるか……」  そう、これがユーティスの新しい機能、性別変更だ。  人型戦闘機の用途は多岐にわたるが、その基本設計は全タイプ共有である。よって、あらゆる機能を共通して備えているが、ユーティスのような最前線での戦闘タイプは不要なものをコードによって封印されているのだ。  勿論、ユーティスは覚えてはいない。  過酷な戦場でかつて、自分たちは人間と協力して死闘を繰り広げていたことを。  その中で、同胞の人型戦闘機には封印コードを用いて性別を変え、友軍の兵士を慰安している者もいたことを。  すべては旧世紀においてきた、忘却の記憶だった。  忘れたことすらもう、覚えていなかった。 「ユーティス、君……今夜、暇? だよね? 時間あるよね、っていうか作って」 「申し訳ありません、ザッシュ。今夜はジルたちと、そのパジャマパーティ? なる催しに参加する予定でして」 「なにそれかわいい! ずるい! ……ふ、ふーん、私も着替えて行こうかなあ」 「ドロテアの歓迎会を兼ねてます」 「うん、やっぱり帰って寝よう。ぐぬぬ……」  協力関係にあるヴァインたちのギルド、ストラトスフィアのメンバーになったからだろうか。今までミステリアスで得体のしれなかったザッシュが、初めてユーティスに人間らしい表情を見せた。  ユーティスもまた、気付けば無意識に警戒レベルを下げていることに驚く。  だが、今夜は早めに引き上げ、ジルベルトたちに合流するつもりだ。  新たに同年代の少女ドロテアを迎え、彼女たちは張り切って活気付いている。ネカネがマフィンを焼いて紅茶を用意するらしく、ユーティスもご相伴に預かることになっていた。 「はあ、駄目だ……酒を飲んで寝よう。……でも、独り寝は嫌だし」 「ああ、だったらこのあと俺と花街にでも出るか?」 「おっ、そういう君はたしか、エイダート。ハイランダーのエイダートだったね」 「馴染みの娼館がいくつかあるし、まあ、気が向いたらな」 「いいね、行こう行こう。そうと決まったら、飲もう飲もう!」  ヴァインは呆れているし、カラブローネも肩を竦めて笑っている。  そして、なんとなくユーティスには不思議な可能性が感じられた。  抜き身の刃みたいな危うさを持つ、凄腕のリーパーにして情報屋のザッシュ……彼の浮かれた陽気さが、まるでなにかから逃げるような演技に見えたのだ。  そうでもしないと溶けて消えそうな……そんな光を感じたかに見えたのだった。