クワシルの酒場は今日も、朝から大盛況だった。  徹夜組が酒盛りを開いているし、早朝から既に一仕事終えた者たちもいる。  リベルタはいつもの仲間たちと、軽くモーニングと洒落込んでいた。湖の貴婦人亭の食堂も美味しいが、今朝はなんとなく少女たちは朝から気合が入っていた。  何故なら、またカリスを連れてのプラクティスが始まるからである。 「ん、パン切ったよ。はいジル。リベルタも」 「ありがと、ネカネ」 「サンキュ、ネカネママ!」 「誰がママか、誰が」  ジルベルトの隣でリベルタも、切り分けられたパンにたっぷりマーガリンを塗る。あとは軽くサラダにベーコン、卵はスクランブル。お茶を片手に優雅な朝だった。  別のテーブルでは、まひろやドロテア、ウカノといった面々が朝食を楽しんでいる。  彼女たちの間では今、読書が密かなブームになっているのだった。 「ふっふっふ、少女たちよ……本はいいぞう」 「ん、なになに? リベルタもあっちに混ざる?」 「うんにゃ? ドロテアたちはさ、今が一番楽しいの。訳知り顔でアタシが混ざっても鬱陶しいしさ。こうして見守り、なにか聞かれたらその時応えればって感じ」 「おーおー、語るねえ。ふふ、リベルタって優しいよね」  さり気なくそんなことを言って、ジルベルトはパンにソーセージを挟む。お前、そういうとこだぞと思うと恥ずかしいが、素直で実直なジルベルトのことがリベルタも好きだった。  そうこうしていると、隣のテーブルの賑わいが自然と耳に入ってくる。 「まひろ様っ、お互い読み終えた本を交換しましょう。ウカノ様もっ!」 「はいっ! これは、あの有名なエトリアの聖騎士物語なのです。屈強な巨漢の騎士が、魔物をバッタバッタと倒す英雄譚なのです!」  ネカネが「ん?」という顔をしたが、彼女はなにも言わずにサラダのドレッシングを選ぶ。そういえばネカネは、エトリアで代々冒険者をしている家の娘だった。  ひょっとしたら身内に、本物のエトリアの聖騎士と出会った者がいるのかもしれない。 「ウカノ様にはこれを……伝承の巨神伝説なのですが、少女たちの冒険物語の裏で、ウロビトの乙女と黒狼竜のロマンスが! これはもう、凄い傑作なんです! はい!」  リベルタも一人、うんうんと頷く。  っていうか、その物語は叔母から少し実情を聞いたことがあるので、ことさら思い入れがあった。  そう、伝承はフィクションではない。  かの英雄たちは実在し、帝国の危機を救ってくれたのだ。  因みにリベルタは、件の物語では黒狼竜×闇の狩人推しである。だが、推しカプは胸に秘して心で愛でるのが腐女子の嗜みというものだった。  そんなことを思いつつ紅茶を飲んでいたリベルタは、次の瞬間にはむせて咳き込んだ。 「ウカノ様のそれは?」 「なんか薄いです。薄い本なのです!」 「あっ、ヒロが古書店で見つけてきて。ヒロは凄いんですよ、秋葉原や神田を回って、珍しくて面白い本を沢山買ってくれるんです。で、先日これを」  待て、待って、お願いしますお待ちくださいませ。  思わずリベルタは立ち上がりそうになったが、グッとこらえた。 「えっと、ページ数は少ないんですが、面白いんです。いろいろな世界樹伝説に登場する英雄たちの考察本で、ええと、金鹿モフモフさんって方が書かれてるんですけど」  金鹿モフモフ、それはリベルタのペンネームだ。  そう、その薄い本こと同人誌を書いたのは、紛れもなくリベルタだった。イラストを交えて、世界樹にまつわる英雄譚の真実に迫るという内容である。  叔母から聞いた逸話は勿論、金鹿図書館の資料をくまなく調べ、アーモロードやハイ・ラガートについても調べた。僻地のアルカディア大陸についても、資料が少ない中であらゆる情報を集めた逸品である。  だが、それを目の前で読まれるのは死ぬほど恥ずかしかった。  実質死んだ、むしろ殺してと思うリベルタだった。 「例えばですね、アーモロードの物語に登場するリボンの魔女は、あのハイ・ラガートの世界樹をも征した方らしいです。同一人物と思われる証拠がこちらに」 「まあ! あの天空のお城の! ウカノ様、わたしにも見せてくださいっ」  悶絶しながら転がり回りたかったが、グッとこらえてリベルタは平常心を唱えた。  ただ、顔が真っ赤になったり真っ青になったりと忙しい。 「ん? リベルタ、どしたの?」 「オホホ、なんでもありませんわ、ジル様。ネカネ様も」 「……また変な猫でてるよ」  同人作家を殺すのに刃物はいらない。  眼の前で作品を読めば事足りる。  それを実感するリベルタだった。 「こちらの方は……あっ、何年か前に共和制に移行したファフナント帝国の」 「素敵な王子様ですよね。こう、なんとなく姫君の可憐さもあるというか」 「あとはやっぱり、アルカディア大陸の不死コンビが織りなす物語です!」  やめて、それ以上いけない。  グヌヌとフォークを握っていると、ふと背後に気配が立った。  振り向くと、一人の少年が立っている。褐色の肌を全身マントで覆って、酷く尖った殺気を忍ばせていた。その鋭い視線が、リベルタを通してジルベルトやネカネを突き刺す。  どうやらナイトシーカーのようだが、初めて見る顔である。  だが、向こうはどうやらそうではないようだ。 「……お前たちか。タービュランスとストラトスフィアの冒険者は」  酷く低く、まるで唸る獣のような声だ。  敵意を隠そうともしないその態度に、瞬時に緊張感が走る。  一瞬リベルタは、感じの悪い少年に眉根を潜めた。乙女がしてはいけない顔になっていたが、瞬時にそれを引っ込める。同時に、ジルベルトが穏やかに応じた。 「そうだけど、君は?」 「俺の名はロブ。お前たちに忠告する……余計なことはするな」  意味がわからない。言葉は通じるが、会話が成立していなかった。  それでも、ジルベルトは礼儀正しくいつもの態度を崩さない。こういう粘り強いメンタルが彼女の人柄で、相手を選んで顔色を変えることがない。  そんな彼女に対して、さらにロブは言葉の刃を突きつける。 「カリスに構うな……お前たちのやっていることは、カリスを殺すようなものだ」 「えっ? それって」 「あいつは弱い。迷宮に深入りすれば、やがて死ぬことになる。お前たちはその死を早めてるに過ぎない」  ドン! と思わずリベルタは立ち上がった。  へばりついた見えない猫を引っ剥がすと、それを叩きつける勢いで静かに叫ぶ。 「アンタ、夢は? 希望とかないの? いきなりだけどさ」 「……は? お前はなにを――」 「カリスには夢がある。目指して走るか、抱えてまどろむか、それはカリス自身が決めるってーの! ……それともなに? 背後からの彼氏オーラでも出したいの? ん?」  そう、リベルタには夢がある。  由緒正しい帝国騎士の娘として、まだまだ無数の夢を抱えていた。その可能性を確かめるためにマギニアに来たのだ。 「……とにかく、忠告はした。覚えておけ」  ロブは去っていった。  いきなりのことでつい、リベルタは熱くなってしまって、あとから小っ恥ずかしくなる。だが、据わり直して小さくなる彼女を、ジルベルトもネカネも笑わなかった。  ただ、笑顔で「リベルタ、この薄い本を見るです! 凄いのです!」とじゃれついてくるまひろによって、トドメを刺されて再起不能になるのだった。