その後も、ジルベルトたちの探索の旅は続いた。  ぬかるんだ床の迷宮は複雑に入り組んで、無数の魔物がそこかしこを行き来する。なるべく戦闘を避けつつ、一同は先行するカリスの背を追いかけた。  そして、その姿を迷宮の最奥で発見する。  驚いたことに、カリスは単身でここまで到達するほどに成長していたのだった。 「あっ、先輩方! お疲れ様デス!」  巨大な扉の前で、カリスが笑顔で振り返る。  だが、確かな緊張感が表情を張り詰めさせている。  ジルベルトにも、緊迫した空気の正体がすぐにわかった。 「カリス、お疲れ様。……この奥、いるね」 「いるデス! なにか、とてつもない大物の気配がしマス!」  まひろも真剣な表情で頷く。  他ならぬ彼女自身、以前に同じ経験から立ち止まったことがあった。  危機を察して時には身を引く、これは冒険者にとって大切な判断力である。この分水嶺を見極められぬ者は、二度とマニギアに戻ることはできないだろう。  そして、カリスの決断はジルベルトたちを驚かせた。 「危険な魔物の気配デス……でもっ、ワタシは挑んでみたいのデス!」 「……なら、勿論私たちも一緒に行くよ? みんな、いいかな?」  意義を唱える者はいなかった。  リベルタは背の砲剣を身構え臨戦態勢だし、既にユーティスが扉の向こうに意識を向けている。ちょっとした音や息遣いが、彼には見えない音となって拾えるのだ。  ネカネが弓に弦を張り、まひろもフンス! と剣を抜く。  これが無謀な蛮勇なのか、それは今はわからない。  ただ、成長しているのはカリスだけじゃないとジルベルトは知っていた。 「よしっ、行こう!」 「はいですっ!」 「では、扉を開きます。侵入後は散開、まずは様子を見ましょう。巨大な質量の移動音を感知、数は1……ただ、妙な動きの気配があります」  ユーティスの声は今日も平坦で、抑揚なく静かに響く。  その言葉に頷きを返して、ついにジルベルトは扉を開いた。  すかさずまひろが飛び出し、周囲を警戒。盾を構える彼女のさらに前で、カリスが全員を守るべく声を張り上げた。 「さあ、くるデス! 今こそ成長した力を見せるのデス!」  視界には今、一面の湿地帯が広がっている。  慎重にジルベルトは、洞察力を総動員して周囲を見渡した。  魔物らしい影は存在せず、不気味な静寂が広がっている。  だが、すぐにおぞましい絶叫と共にジルベルトを闇が包んだ。  なにかが水面から飛び出し、上空で身を翻していた。 「でっかいお魚さんです!」 「ん、なんか……前に本で読んだ魔物に似てる。こいつ、潜るよ? 気をつけて」 「オッケー、ネカネママ! んじゃま、やりますか!」  その大きさは、このフロアが一気に狭まったような圧迫感をもたらしてくる。魚類のようだが、あまりにも巨大すぎてその影にジルベルトはすっぽり覆われてしまった。  そして、ぬめって滑る床を慎重に駆け抜け回避行動に移る。  一秒前の彼女を押し潰すように、怪魚の巨躯が落下してきた。  激震に皆が脚をとられ、足場の悪さに動きが止まる。  耳障りな咆哮を張り上げ、巨体が嘘のようなスピードが迫る。ヒレや尾を振り回しながら、まるで滑るように敵は機敏な動きでジルベルトへ迫ってきた。 「くっ、この足場は半分水の中みたいなもの……あいつには有利な地形なんだ」  回避を諦め、ジルベルトが盾を構えて全身を硬直させる。張り巡らされた血管と神経に、念じて信じる気持ちが行き渡る。ガードを固めた彼女を、強烈な尾の一撃が襲った。  あまりにも質量差がありすぎて、完璧に防御したのにジルベルトは吹き飛ばされる。  背後でユーティスが受け止めてくれなければ、転倒して泥まみれだったろう。 「あねさま、ジル。大丈夫ですか? 今、投刃で動きを止めますので」 「あ、ありがと、ユーティス。あと、あねさま禁止。二人の時だけね、それ。そ、その……ちょっと、恥ずかしいから」 「了解です、ジル。では」  迫る巨体の向こうに、鼻を押さえるリベルタの姿がよろけて見えた。  だが、構わずユーティスが正確無比な投刃を走らせる。空気を切り裂く猛毒の刃はしかし、見た目を裏切る魔魚の機敏さで回避された。  再び敵は水中へと潜り、その影が今度はネカネやまひろに迫る。  そして、その前に立つのはあのカリスだった。 「さあ、どこからでも来いデス! ここはワタシが……みなさんはなにか倒す手立てを!」  背びれが浮上したかと思うと、巨大な顎門がカリスを襲う。  以前のカリスだったら、迫力に負けて食い千切られていただろう。だが、彼女の構えた盾は見事に牙を押し返す。  だが、すかさず切り込んだまひろの剣は、再び水中に脱した影に届かない。  完全に敵のペースに飲み込まれていたが、打開策はある。  そう信じて思考を巡らせれば、ジルベルトはパーティのリーダーとして走り出した。 「リベルタ! フリーズドライブ、いい? 次に浮上してきたら、奴じゃなく」 「! ははーん、なるほどね。おっけ、任せて!」 「その時点で足を封じるね。いちいちもう、潜らせたりしない」  リベルタとネカネが二手に分かれる。  同時に、自らを鼓舞してカリスが巨大な敵を挑発した。もはや彼女に、未熟で臆病な面影はない……ここにいるのは、ジルベルトたちを守ってくれる屈強なパラディンの姿があった。  カリスがガチャガチャと槍を鳴らして、敵を引き付ける。  再び姿を現す、その姿を今は冷静にはっきりとジルベルトは見極めた。  巨大なナマズで、確かにネカネがさっき言った通りなにかの書物で見たことがある。確か、ここと同じ『垂水ノ樹海』がある南国の島、アーモロードに存在する魔魚だ。 「っし、発火用電源投入、モーター出力120%! いっくぜー、おりゃっ!」  リベルタの砲剣が大地を穿つ。そこから広がるドライブの衝撃波が、あっという間に一面の床を凍らせた。ジルベルトの思惑通り、これでもう水中には逃さない。  底しれぬ湿地帯は一瞬で氷付き、そのうえに着地した魔魚は身を捩らせて吠えた。  そこへネカネの矢が殺到し、ヒレを打ち抜き動きを封じる。  だが、それで倒せる程甘い相手ではなかった。  ユーティスが切り込み、そのあとを追ってジルベルトも斬撃を浴びせる。  血と粘液を撒き散らしながら、それでも敵は必死の反撃に打って出た。 「まずいっ、みんな散って! 氷も限界だし、足封じも切れるっ!」  最後の力を振り絞るように、目を血走らせながら巨大魚が迫る。  そして、その前に毅然とカリスが立ちはだかった。彼女自身の消耗は、荒い息に上下する肩を見れば明らかだ。だが、それはこの場の誰もが同じで、正念場だった。  バキバキと地面の氷が割れ散る中でしかし……意外な援軍が舞い降りた。 「……弱さを知って強くなれ。そうだ! 弱いのはオレだった! そんなオレでも……カリスは、カリスだけは守ってみせる!」  ロブだ。  高い高い天井から降りてきた彼は、カリスの前に立って剣を抜く。雌雄一対の二刀流は、交差してかざせば尾ビレの一撃を弾き返す。  その瞬間にはもう、音を置き去りに刃が走った。 「ロブ……ど、どうしてここに? ワタシ、ロブの言いつけを破って、冒険者に」 「お前を守りに来た。お前は……カリスはもう、弱くない。弱いのは、お前を失うことに怯えていたオレだったんだ」  地響きを轟かせて、巨大な魔物がひっくり返る。ロブの放った見えない連撃が、あっという間に敵の死力を奪い尽くしたのだ。最後の抵抗に暴れていた巨躯は今、氷の溶けた湿地に静かに浮かんで動かない。  文字通り、薄氷を踏むような勝利の中で、二人の冒険者が気持ちを一つにしていた。  鼻血を拭き上げ倒れるリベルタが「いとエモし!」と叫んで、静けさの戻った樹海に虹を飾るのだった。