探索司令部から、新たなミッションが発令された。  レムリア載記にその名を残す、恐るべき怪物……大いなる背甲獣。『真南ノ霊堂』の支配者にして守護神だ。その威容は既に、肉眼で確認した冒険者たちを震え上がらせている。  また、最後のフロアに陣取る大いなる背甲獣とは、まだ誰も戦えていない。  上下に立体的に配置された回廊が、接近を拒む。  上層を進めば、大いなる背甲獣に一方的に攻撃され叩き落されるのだ。 「なーる。つまり、ここから入ってぐるっと?」 「うん、多分。ただ、気をつけてリベルタ。やつのいる部屋の周りを進むと、こっちに反応して近寄ってくるから」 「でも、突破しないとまともには戦えない、と。うん、じゃ、まあ」 「行ってみようか」  ジルベルトは地図を手にゴクリと喉を鳴らす。  リベルタもいつになく緊張気味で、軽口もやや上ずって聴こえた。ウカノやヒロも同様で、唯一ユーティスだけが普段通りの冷静さで無表情を貫いていた。  そして、リベルタが目の前の扉を開く。  この先は、檻だ。  大いなる背甲獣と呼ばれる巨大な魔物を閉じ込めた、監獄。  その周囲を大回りで迂回しないと、その中へは飛び込めないようになっていた。 「どれどれ、御開帳、っと。……!!」  凄まじい絶叫が迸った。  地獄の底から湧き上がるような、恐るべき咆哮。  リベルタは慌ててすぐに扉を閉める。 「ふう……よし、今日はやめとこ!」 「こらこら、リベルタ?」 「だってー、お怪獣ですわよ、オホホ……ガチで怪獣だった、なんじゃありゃ。帝国の活動写真家はみんな大喜びしちゃうよ。あんなデカい魔物、ホントにいんだね」  確かに、その声だけでもジルベルトはビリビリと肌が粟立った。全身を冷たい炎で炙られたかのように、動けなくなる。脚が竦んで、膝がガクガクと笑った。  だが、やはりユーティスはそんな局面でも顔色一つ変えない。 「ちらりと見ましたが、声量からみてワイバーンより二回り、いやそれ以上の大きさでしょう。巨体故か俊敏な方ではないようですね……移動はしていないようです」 「ユーティスさん、すご……そんなこともわかるんですか?」 「ウカノ、これはあれだなあ。完全にワンダバ案件だよ。ワンダバダバダバだよ」  ウカノもヒロも、やや気後れしているようだ。  無理もない。  今まで戦ってきた魔物とは規模が違う。  平然としていられるユーティスの方が妙と言えば妙だし、彼は胆力に長けた人間……というよりは、人間ではないなにものかなので狼狽えないのだ。 「蔦で上層に登ると、近寄ってくるそうです。一撃で皆、叩き落されるとか。どうしましょう、あねさま――ジル」 「あ、うん。とりあえず五人で行ってみて、にじりよられたら逃げる。最悪、アアリアドネの糸を使ってもいいし、ちょっとずつでもまず地図を埋めていこう」  ジルベルトも緊張していたが、あねさまと呼ばれて少し気持ちが弛緩する。  迷宮の探索中は使わない約束なのだが、ユーティスの無機質なまでの透明な声は、不思議とジルベルトに安心を与えてくれた。  それで一同は、覚悟を決めて再び扉を開く。  すぐに目の前に、壁の上へとつながる蔦が揺れていた。  そしてその向こう……あまりにも巨大なその影が鎮座している。 「今回は戦わない、まずはあの中に降りてゆく道を見つけるよ。じゃ、行動開始っ!」  檻を縁取る外壁の上の、細く長い通路。  その上に登って立てば、大いなる背甲獣は再び吼え荒んだ。  ビリビリと震える空気の中を、左右に落ちないように走る。先頭をゆくリベルタも今は、長大な砲剣を背負って全力疾走だった。  武具を構えているような余裕はない。  すぐに大いなる背甲獣がにじり寄ってくる。  思ったよりも早く、その一歩は大きい。  あっという間に目の前に壁のようにそびえて、その巨躯は影でジルベルトたちを包んだ、 「ここから降りれる、急いで!」  大いなる背甲獣が、厳つい前肢を振り上げる。  轟! と風圧が襲って、巨大な爪が空間を切り裂いた。  それは、ジルベルトたち五人が下のフロアに転がり込むのと同時だった。  今まで数多のパーティが、こうして大いなる背甲獣の餌食になってきたらしい。けっして檻の外には出てこないが、その縁を歩けば攻撃してくる。  鋭い爪の斬撃で叩き落されれば、大怪我は免れないだろう、 「あっぶねー、みんな無事? やば、アタシなんだか身震いしてきた」 「えっと、あそこに扉がある。外をぐるっと回るなら、次の綱渡りはもうちょい先かな?」 「ヒロ、怪我はないですか? あんな魔物、わたしの知ってる迷宮では……あれ? あれれ?」  ヒロを気遣い寄り添うウカノが、目をしばたかせて胸元に手を当てる。  とげとげの鱗に覆われた剛腕の、そのどこかが掠めたのだろうか? 紙一重で避けて飛んだ俊敏性は驚嘆に値するし、ウカノ自身に怪我はない。  だが、彼女の胸元で服がやぶれて、そこには銀のチェーンがほつれてぶら下がっていた。 「ない……さっき落としたの? 大切な……ヒロからもらった大切な石が!」 「あ、ああ、ウカノ。無事でなによりだよ。あれはまあ、またオレが」 「さっき落としたんだ。どうしよ、やだ……拾ってこなきゃ、だってあれは」  ふらふらと数歩戻るや、突然ウカノはイクサビトの身体能力を爆発させた。  ジルベルトたちが唖然とする中、ウカノは跳躍するや壁の向こうへと消えた。  すぐに反応したのはヒロだ。 「ま、待てっ! 待ってウカノ! ……あ、あれ、くそ、そんな」  三度響く絶叫。  その中へとウカノは消えた。  そして、ヒロは飛び出そうとして、そのまま膝から崩れ落ちる。  拳銃を握る手が震えて、酷い発汗状態だった。  顔面は蒼白で、必死に噛み締める唇が変色している。  明らかに恐慌状態だったが、それでも彼は手を伸べる。 「は、はは、こら……動けオレ、ウカノが……動いてくれよ、オレの身体!」  じたばたと這いまわるヒロを、どうにかリベルタが立ち上がらせる。彼女はそのまま、ヒロを手で制して壁の上を睨んだ。  本来、いつも冒険ではウカノは慎重で気が利くし、洞察力に長けた娘だった。  決してこんな、突飛な行動に出るような仲間ではなかったはずだ。  だが、現実にもう彼女はいない。  経過した数秒が既に、ジルベルトには何時間にも思えていた。 「ジル、私が行きます。援護は必要ありませんので」  はっ、と振り向いた瞬間には、声の主が宙を舞っていた。  ジルベルトが止める間もなく、ウカノを追ってユーティスが飛び出していた。  その影は長いクロークをはためかせて、壁の向こうへと消えてゆくのだった。