ジルベルトは今、感嘆に全てを忘れて周囲に魅入っていた。  全天を覆い尽くす、桜の花びら。こんな景色は、今まで見たことがない。東方の島国で主に愛でられる、散るために咲く花……桜のなんと美しいことか。  思わず素直な言葉が漏れ出る。 「これが、桜……これ、桜だ。なんて綺麗……でも、季節的には」 「だね。ちょっと怪しいかな。でも、うん……本当に美しー!」  隣に佇むリベルタも、頬を緩ませ笑顔になる。  百花爛漫の花園があるとすれば、それはここだ。  早速リベルタはスケッチブックを取り出し、ズガガガガガ! と周囲の風景を集めて刻み出す。そんな呑気な行為が許される程度には、周囲の敵意は皆無だった。  だが、ここは迷宮『桜ノ立橋』……未知と神秘が冒険者たちを待ち受けている。  先の戦いでこの迷宮への入り口を暴いた、張本人のジルベルトは知っている。  我先にと挑んだ冒険者の大多数が、そのまま帰らぬ人となったことを。 「とりあえず、進もうか。ユーティス、周囲を警戒。先頭にはリベルタが立って。慎重に進もう……なにかあったら、必ず私に声をかけて」  こういう時、勝手知ったるいつもの仲間が頼もしい、  ジルベルトが言うより早く、パーティのメンバーは即応体制を整えつつ警戒心をビリビリと励起させていた。  リベルタは圧倒的な攻撃力と防御力で、先頭に立ってくれている。  その背を守るように、ユーティスがポジションを意識しながら短剣を構える。  最後尾でカラブローネが全てを俯瞰してるかと思えば、まひろは無防備にざくざく勝手に先へと歩いてゆくのだった。 「ちょ、ちょっと待って、まひろ! 不用意に進んじゃ」 「ほえ? これ、桜という花なのです! 綺麗……周囲に敵意は感じないのです!」 「いや、だからって……ね、少し落ち着いて」  思わずジルベルトは、先をゆくまひろの手を握った。妙に熱くてほかほかなその小さな手が、ジルベルトの手を握り返してくる。  だが、まひろは浮足立ってお祭り気分の自分を隠そうともしない。 「わたし、知ってるです! これは……そう、これは! お花見なのです」 「え? あ、いや、まあ……ええと」 「ジル、わたしは兄様から聞いたことがあります! 桜を愛でて飲んで歌って、踊って倒れるお祭りがあるのです!」 「……うーん、それは知ってるけどね、まひろ。まず調査を進めて安全を確かめてからね」 「おお……うん、うんっ! そうです、その通りなのです!」  いつでも笑顔、常にポジティブなのがまひろだ。あれこれ聞いているので、ジルベルトもなんとなくは知っている……彼女が雌雄同体の造られし人間、世界中の英雄たちを元にしたデッドコピーにして、使い潰しやすい人造英雄だということを  だが、ジルベルトにはそういう前後の話は関係なかった。  今、冒険の仲間としてまひろを頼れる、そして頼られる……それが全てだった。 「ジル、リベルタも! 周囲に魔物の気配はないです! フンス!」 「あいよー、だってさ、ジル。信用していいよ、まひろの謎直感は頼れるから」 「だよね、リベルタ。まひろ、あまり先に進まないで……私たちと連携できる距離にね」  迷宮の奥に走り去ろうとしていた影が、猛スピードで戻ってくる。なんか、大型犬を飼ってるような気持ちになって、ジルベルトは苦笑を零した。だが、フンスフンスと従順ながらも爆弾娘なまひろは、こうしている間もなにによって着火するかわからない。  でも、ジルベルトをはじめとする仲間たちは、彼女の驚異的な戦闘能力を信頼していた。時々困った方向に突っ走るが、まひろは意思疎通を介して分かり合える仲間と思えていた。 「この先は長いのです! でも……ジル、悪い魔物が近付いているのです!」 「え、それって」 「話はあとなのです! わたしが、斬り込み、ますなのですっ!」  突如、周囲に殺気が満ちた。  危険な迷宮なれば、魔物の襲来は予測できていた。そして、ジルベルトたちは警戒心を張り巡らせていたから、不意をつかれることはなかった。  だが、群なす魔物たちのド真ん中に、まひろが飛び込んでゆくのは予想不可だった。  いつもいつでも、彼女は独断専行、唯我独尊。  だけど、今日は少し違った。 「シールドッ! ドカンです! ここから先には、行かせないです!」 「あ……まひろ、ナイスッ! 同じヒーローでも、違う戦い方が……いや、今は! リベルタッ!」  まひろは以前とは違っていた。ただ、人知を超えた身体能力で暴れまわるが、そんなワンマンアーミーだけではなくなっていたのだ。自分の力を自分でわかっているのかもしれない……敵と仲間の終結地点、ぶつかり合うそのポイントを抑えるような動きが最近は目立っていた。  それは、戦いの場を掌握するジルベルトにとっては、またとない好機だった。 「リベルタッ! まひろが間合いを作った! それに、ユーティス!」 「あーもぉ、なにあの身体能力! チートぽぉい! それはそれとして、任されたぁ!」 「まひろのおかげで、わかりやすくなりましたね……そこ、狙えばはずしません」  砲剣を大上段に振り上げて、リベルタが飛ぶ、その大振りな一撃が、敵の中央にいる人喰魚を真っ二つに両断する。その時ジルベルトは手元の手帳を見ながら、リベルタのフォローに走って盾になる。どうやら、この魔物はディアトリマというらしい。  他のギルドと共有する情報を肉眼で確認して、ジルベルトは左右に目を配った。  リベルタの痛撃は、ディアトリマを木っ端みじんにした余波で、左右の魔物にも衝撃波を浴びせている。それを確認した時には、ジルベルトが選ぶ選択肢は消えていた。 「生き残り、そこ……ジル、あとはお願いします」  初撃の余波から立ち上がった猛魚が、ガチガチと歯を鳴らして襲い掛かってくる。だが、ジルベルトはその片方を無視するように回り込んで剣を構えた。  リベルタの大技で生き残った片方が、瞬時に無数の投刃を生やす。  正確無比なユーティスの投擲が、ジルベルトに最適解の選択肢を譲渡していた。  だからジルベルトは走る。  魔物にはまだ、この混戦での逆転劇が見えていないようだった。 「ド真ん中をやられて戸惑ってる……なら、そこっ!」  ジルベルトの剣が雷を帯びる。  帯電してビリビリ震える刀身に、稲妻の力が集束してゆく。  一般的に、魚類を代表する水棲動物の弱点は電撃だ。  それを教えてくれた師匠は今、最高峰で黙って頷いていた。 「この一撃でっ! こないだ取って、初めて使うけどっ!」  獰猛な肉食魚が、電撃の痛撃で空中に爆ぜて散る。  ただ、回収可能なレベルの素材、魔物の断片だけがパラパラと落ちて来た。  初めての剣技を本番で使って、ジルベルトは内心心臓がバクバクと爆発しそうだった。それは本来、マスタークラスの冒険者と認められた者のみが使える剣技だった。ただ、ジルベルトは普段の冒険と研鑽で、たまたまその発想を得たに過ぎない。  それでも、恐るべき怪魚を屠ったジルベルトにぷにぷにのぬくもりが抱き着いてくる。 「やったです! さすがジルなのです! むぎゅー! わたしはやっぱり、ジルのこと大好きなのです!」 「わわっちょ、ちょっと、ちょっと待って! まひろ、抱き着かないで。素材を……えっ? ちょ、ちょっと、リベルタ! ニヤニヤしてないで助けて!」 「ジルはやっぱり、わたしたち女の子冒険者のリーダーなのです! さっきの一撃、素晴しかったのです……ジルはほんと、ものすごく、すごいのです!」  あとからジルベルトは知ることになる。酒場でよく見る、姫騎士をエスコートする超絶美形ヒーロー、それが自分だと。あまりに愕然として正直戸惑った。自分が同年代の少年少女に、憧れの王子様と見られている現実にめまいがする。  だが、それはそれとして、迷宮の探索が進むほどにジルベルトの士気は昂り燃え上がっていくのだった。