マニギアの探索司令部は、『海嶺ノ水林』を守るケトスの討伐を決定したらしい。それはすぐに海の一族にも知れることとなり、こうしてエンリーカ王女の勅命でシェイレーヌはやってきた。  空中都市マニギアへと。  マーリンの宿で部屋を取り、鍵を受け取る。  ほぼ満室だったため、一番狭いシングルの部屋しか残っていなかったが、構わない。荷物はトランク一つだし、着替えが少々入ってるだけだ。 「しかし……本当に空に都市が浮いておる。随分と遠くまで来たものじゃのう」  部屋のドアを開けて、殺風景な室内を一瞥する。  ベッドと机と椅子、そしてクローゼット。それ以外にはなにもない。一番安くて低ランクの部屋なのだから、こんなもんだろうと思った。  そして、奥まで歩いて窓を開ける。  雑多な文化圏の入り混じった街並みには、活気があふれていた。  なにより、気持ちよい風が吹いている。  故郷アーモロードの海風とはまた違った、街中の匂いを凝縮した乾いた風だ。 「さて、どちらのギルドから挨拶に行くかじゃが……ふう、少し疲れた」  トランクを置いて、ベッドに座る。  アーモロードの深都に生まれ、海都の元老院を経て、海の一族へ。そして、数多の海を踏破し冒険で育ってきた。冒険王女エンリーカとの日々は、シェイレーヌに疲れを見せる暇さえ与えない波乱の連続だった。  だが、とうとうマニギアまで来てしまった。  いつになく静かな一人の時間、自然と脳裏に過去の思い出が広がる。 『これぞ真祖様の生まれ変わり……どうぞ我らフカビトをお導きください……』 『産んでみたら普通でよかったと思ってるわ。でもごめんね、母さん一緒にいられないの』 『アーモロード元老院の命により、御身は深王代理騎士たる私がお守りしましょう』 『ほら、あの子よ……例の禍神討伐隊の女が処女懐胎で身籠ったっていう』 『気味が悪いわ、ほんと。なんでも、恐ろしい異能の力を使うって話よ』 『ようきたな、禍神の姫巫女とやら! このエンリーカがその身を預かるぞ!』  波乱万丈だったかといえば、そうでもないような気もする。ちょっと生まれが人と違うだけで、シェイレーヌは普通の女の子なのだから。禍神の姫巫女というキャッチフレーズも、割と気に入っている。  自ら名乗って演じていれば、あまり他者が近付いてこないからだ。 「ふむ、まずは腹ごしらえにしようかの。食堂に行けば冒険者たちにも会えようぞ」  大きく両脚を振り上げ、床を踏みしめた反動で身を起こす。  すでに正午を回って久しく、考えてみたらハラペコだった。  だが、そんな時に突然ドアがノックされる。小首を傾げつつ「どうぞ?」と曖昧に返事をしたら、意外な人物が顔を出してくれた。 「ようこそ、マニギアへ! シェイレーヌ、お疲れ様です」 「おお、豊穣の! ドロテア、ちょうど宿におったか。ん? それは」  友達のドロテアが、両手にいっぱいの花を持って現れた。彼女はそれを花瓶に綺麗に飾って、机の上に置く。  ただそれだけで、どことなく生活感のない部屋に本当に花が咲いたようだった。  シェイレーヌが驚いてると、次々と少女たちが部屋へ雪崩れ込んでくる。 「はーい、絨毯入りまーす! ニシシ、遠いとこよく来たじゃんね、シェイレーヌ」 「お昼はまだだったでしょうか? お茶も兼ねて軽食を用意させていただきました」 「いやだから、セレマンさん……ホルモン焼きは軽食じゃないような」 「ドレッサーくらいはあったほうがいいとマイカが言ってたです! ここに置くのです!」  突然、賑やかになった。ドロテアが持ってきてくれた花以上に、パッと部屋の雰囲気が明るくなる。シェイレーヌが目を丸くしていると、颯爽と少年然としたヒーローの少女が歩み出た。 「改めて、ようこそマニギアへ。歓迎するよシェイレーヌ、私はジルベルト、ジルって呼んでね。なにか不足があれば、なんでも私に頼って」 「お、おおう……ああ、うむ。せ、世話になる。しかしこれは」 「この部屋、本当になにもないからさ。あまりものを出し合ったんだけど、よかったら使って。それと、歓迎会も兼ねてアフタヌーンティーでもどうかなって思って」  シェイレーヌは驚いてしまった。  こんなにも熱烈な歓迎を受けたのは、生まれて初めてだった。海の一族ではエンリーカこそ歓待してくれたが、一族たちは皆自分を不気味に思って近づいてはこなかった。  あまりにシェイレーヌがぽかんとしてしまったので、少女たちは互いに顔を見合わせ微笑んだ。そして、テーブルが持ち込まれて料理とお茶が並ぶ。  サンドイッチにマフィン、ケーキにフルーツ、そして……ホルモン焼き。  言われるままにシェイレーヌは、自然と主賓席に座らされてしまった。 「じゃあ、親睦も兼ねて女子会! セレマンさん、ユーティスも誘ってあげて」 「承知しました、それでは探してまいりましょう」 「シェイレーヌ、パンも沢山あるです! いろいろ食べるのです!」 「さて、今日も迷宮トークで盛り上がるぜー! 第二回、迷宮で怖かった体験トーク! そう、あれは先日……でっかいウミケムシが――」  確か、リベルタとかいう名の帝国騎士だったと思う。彼女は、シェイレーヌが知ってる理知的な淑女の仮面を完全に脱ぎ捨てていた。  そして、イキイキと身を乗り出す彼女の肩を、ガシリと笑顔でジルベルトが掴む。  笑顔なのだが、なぜか謎のすごみが出ていた。 「……その話はもう、よそうか。ね、リベルタ?」 「ハ、ハイ」 「そうだ、シェイレーヌ。明日にでもマニギアを案内するよ。どこか行きたい場所はある?」  商店街やスイーツのお店、冒険者お馴染みのネイピア商会。まひろが展望室が最高です! とはしゃぐ中、皆が自己紹介と同時に話の輪を広げていく。  ネカネが熱い紅茶を出してくれても、シェイレーヌは驚きにまばたきを繰り返すだけだった。そして、なにがあったのか親切な少女たちを慌てさせてしまう。 「ん? なんじゃ、これは。勝手に、涙が」 「あーっ! リベルタが泣かせたです! 大丈夫、みんないい人なのです!」 「アタシかよっ! って、あらあら、涙をおふきになって? 大丈夫ですわ、今日から皆様と一緒の、冒険の仲間ですもの」 「また猫かぶった……時すでに遅し観がすごい」  慌ててシェイレーヌは手の甲で頬を拭う。  なぜ、涙が出たのか自分でも不思議だった。  だが、自然と胸の奥が熱くなる。 「う、うむ、驚かせてすまぬ。これから厄介になるので、よしなに!」 「うんっ! あ、そうそう……今度戦うケトスのこととか、なにか知ってたら教えてほしいんだ」 「あと、サブクラス? これってアーモロードで始まった制度なんだってね。オススメとかなんかあるのかしらん?」 「とりあえず一緒にパンを食べるのです!」  あっという間に、お手製のロイヤルスイートが華やかな声で満たされた。  この日、改めてシェイレーヌは冒険者としてデビューした。  ギルド『ストラトスフィア』のプリンセスとして。  禍神の姫巫女は今、新たな世界に可憐な一歩を踏み出したのだった。