夜明けまで、あと数刻。  払暁を待たずにマーリンの宿を出る人影が一つ。 「待っててくれよ、ウカノ……ッ!」  ありったけのアイテムを満載したリュックを背負いなおせば、焼けるような痛みが右腕を走る。感覚はほとんどないのに、眠気を追い出すような激痛は続いていた。  包帯に滲む赤い血が、少女の瞳を思い出す。  ヒロは絶対安静だと言われていたが、寝てなどいられなかったのだ。  そんな彼の背を、静かな声が優しくたたく。 「……どうしても行くのですか、そんな体で。無茶ではありませんか、ヒロ」 「ヴィラール……だ、大丈夫さ。それよりもうすぐ夜が明ける」 「私くらいの年になると、日光にも多少の耐性があります。しかし」 「そう、だから急がなくちゃいけないんだ。止めないでくれ……? ヴィラール?」  眉目秀麗な白い顔を、真剣な表情で凍らせた美丈夫が歩み出る。  見れば、ヴィラールも冒険者として迷宮に向かう準備に身を固めていた。 「同行します、ヒロ。これは言うなれば、私が持ち込んだ災いなのですから」 「あ、ありがとう。けど、オレはそうは思わない。ウカノに不用心に渡したのは、オレ自身だから。それと、助かるよ。正直、一人じゃまだ自信がないからね」  ニヤリと笑ってみせても、額に脂汗が浮かぶ。  普段から気心の知れたヴィラールの同行はとてもありがたい。二人でなら、無事の救出も夢物語ではなくなるだろう。  そんなことを思って、ポンとヒロはヴィラールの肩を叩く。  ヴィラールも同じ仕草を返した、その時だった。  眠りに沈む夜の往来に可憐な叫びが響き渡った。 「そこまでです! ヒロ、その人から離れるのです!」  ふと、見上げる月の残滓が小さな影にマントを翻させる。  小さく「とぉーっ! です!」と屋根から飛び降りてきたのはまひろだった。彼女は盾を構えるなり腰の剣を抜く。その切っ先は冴え冴えとして、ヴィラールに突きつけられた。 「ヒロ、騙されてはいけないです! ヴィラールはなんと……吸血鬼の人なのです!」 「え? あ、うん。だったよね?」 「ええ」  ヒロはヴィラールと顔を見合わせる。ヴィラールの出自に関しては、仲間はみんな知ってた。周知の事実とばかり思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。  小さな人造英雄は、衝撃の真実を暴露したと言わんばかりにフンス! と鼻息荒くヴィラールを睨んでいた。 「吸血鬼の人は悪い人なのです! わたしの中のなにかが、そう囁くのです!」 「お、おおう……えっと、まひろちゃん。彼は、ヴィラールは」 「そう、いつも優しくお菓子をくれる、しかしそれは偽りの姿だったのです!」 「まいったな。こっちもこれでも急いでるんだけど」  その時だった。  不意に気配もなく、まひろの背後に人影が忍び寄った。その人物は、おもむろに拳でポコン! と、まひろの頭を撫でるように叩く。 「あいた! ……兄様? そうそう、兄様大変なのです! ヴィラールは吸血鬼だったのです!」 「またお前は一人で暴走して。悪いな、ヒロ。ヴィラールも勘弁してくれや。ちょいと事情があって、まひろは思い込みが極端なんだ」  現れたのはヴァインだった。  彼はまひろを下がらせると同時に、ヒロたちに合流する。 「もうちょい先輩面してたいからな。へっ、お互い妹には苦労させられるぜ。なあ、ヒロ」 「ヴァインさん」 「俺たちも一緒に行く、ってことでいいよな? エイダード」  ふと気付けば、エイダードも完全武装で宿から出てきたところだった。彼は相変わらず、微かに眠そうな瞳に鋭い光を宿している。テンションも起き抜けの底辺レベルで、いつも以上に寡黙なハイランダーはのっそり歩み出る。  だが、その全身からはすでに迷宮へと向かう緊張感が張り詰めていた、 「ヒロ、俺たちで援護する。誓いを立てよう……そして、いざという時は俺がやる。覚悟だけはしておいてくれ。その上で、必ず救い出すんだ」 「と、いう訳さ。お二人さん、悪いが同行させてもらうぜ? まひろもいいな?」 「ううー、悪い吸血鬼はいい人だったです。でも……わかったです! わたしが悪さをしないようにこれから見張るのです!」  ややこしい話になったが、頼もしい冒険者たちがヒロに助力してくれることになった。  思わず目頭が熱くなるが、瞼の重さを手の甲でぬぐって前を、上を向く。  まだ泣いては駄目だとヒロは、ボロボロの肉体を叱咤した。  これから大事な妹分を……もうずっと妹だと思っている少女を救うのだ。 「それとな、ヒロ。ザッシュからの伝言だ。ウカノちゃんらしき目撃情報がある。あんにゃろーはいけすかない変態アウトローだが、その情報だけは信頼できる」 「どうやら、オリバーとマルコも見たらしい。最近見つかった小迷宮……『埋もれた城跡』に行けば会えそうだ。さっそく出立するとしよう」  そういえば、新しく見つかった迷宮があるとこっそり教えてくれた二人組がいる。最近はなにかとクエスト等で一緒になるマルコとオリバーのコンビだ。  小迷宮『埋もれた城跡』は、そんな二人が見つけた場所である。  まだ冒険者ギルドにも報告していない、未開の土地である。 「そこにウカノが……よし! まってろよ、ウカノ。オレが必ず……ッ、グ! うう……」 「傷が痛みますか? ヒロ。この葉をかじるといいでしょう。幾分ましになるかと」 「あっ! ヴィラールが悪い子したです! 麻薬の類なのです!」 「はいはい、まひろ。いいから行こうぜ? ウカノちゃんの超人的な力は報告で俺も知った。お前の守りが頼りなんだからよ、頼むぜー?」  こうして一同は、マギニアを出発する。  巨大な都市船を降りれば、レムリア群島の遠景はほんのりと紫に縁どられ始めていた。夜明けは近い。その眩い暁の光は、赫き魔眼に支配されたウカノを灼くだろう。  その前に発見してやって、魔石を取り上げなければいけない。 「よし、じゃあ改めて……行きましょう、皆さん! よろしくお願いします!」  ヒロはぴしゃりと自分の両頬をはたく。  傷が痛んだが、ヴィラールのくれた薬草を噛み締めれば微かに激痛が遠ざかった。まひろが言うように麻薬の類なのだろうが、今は鎮痛剤としてありがたい。  そしてなにより、それでも消えぬ痛みが意識をクリアにしてくれる。  ヒロは頼れる仲間たちと共に、新たな小迷宮に向かった歩き出した。 「あ! 忘れてたです!」 「おいおいなんだ? まひろ、今度はどうしたよ」 「食堂からパンをもってきたです。生ハムとチーズと、そしてレタスを挟んだのです!」 「お前が唯一作れる料理だからなあ、サンドイッチ。さっさと配れ、道すがら朝飯を済ませちまおう」 「はいです、兄様! 熱いお茶もあるのです!」  どこか緊張感に欠く中で、そのゆるんだ空気すらヒロにはありがたい。  だから、深刻な表情のヴィラールの、その心中を心配する余裕すら湧き上がるのだった。