小迷宮『埋もれた城跡』は未知の魔宮。  なのだが、ヒロを出迎えたのは濃密な血の臭いだった。オリバーとマルコが発見した、まだ冒険者が探索していない古城の跡地……そこには、おびただしい魔物の死体が転がっていた。  地図もまだない迷宮なのに、まるでヒロたちを誘うように点々と死が続く。 「これは……全部ウカノが、あのウカノがやったっていうのか!?」  さすがにヒロは動揺を隠せなかった。  だが、目の前の現実は真実で、だからこそ満身創痍の身で彼はここにいる。ここまで来たからには、最愛の妹分を救うまではあと少し。  そこまでヒロの体力がもてばの話だが。  ふらつくヒロを支えるように、同行する仲間たちが左右に並ぶ。 「……全て一撃で倒されているな」 「打撃と斬撃、こりゃ爪や牙か。力任せに振るわれた暴力って感じだな」  エイダードとヴァインは冷静で、こんな時にはいかにも頼もしい。  一同は魔物の死体を避けるようにして、迷宮の奥へと進んだ。  怪我人のヒロをサポートするように、ヴィラールが寄り添ってくれる。彼もまた責任を感じているのか、いつもの温和な表情は凍っている。いつも以上に顔色が青白くかげっていた。  痛みで意識を酷使しながらも、ヒロはそんな友に言葉を選ぶ。 「ヴィラール、気にすることはないさ。オレは必ずウカノを救う」 「ヒロ……しかし、その怪我では」 「エイダードさんとヴァインさんで脚を殺してもらう。守りはまひろちゃんがいるし、ヴィラールの方陣にも頼るよ。その上で、オレが……オレ自身があの魔石をひっぺがす」  そう、今のウカノはまるで伝説にうたわれた白面の魔物。九尾の狐と化したその姿は普段の無邪気で優しい人柄を完全に忘れ去っていた。  赫き魔眼に支配され、ただの殺戮装置に堕したウカノ。  今ならでも、その根源たる紅い石をとりあげるだけで全てを取り戻せる。  そのためなら、ヒロはなにも躊躇いはしないつもりだ。  なにより、本当は一人でと思っていたのに、頼もしい仲間が今は一緒である。  その一人、まひろが不意に走り出した。 「こっちに悪い子の気配がするです! 兄様、みんなもついてきてです!」  言うが早いか、むちぷり五歳児が風になる。  常軌を逸した身体能力を持つまひろは、あっという間にヒロたちの視界から消えた。遅れを取らぬエイダードとヴァインはさすがだったが、ヒロは震える脚を踏ん張ってどうにかよろよろと駆けるのが精いっぱいだった。  だが、追いかけるほどに感じる。  長らく一緒に暮らしてきた、ヒロの時代の東京という異世界に迷い込んだ少女の気配が。 「ちょっと失礼しますよ、ヒロ。こうしたほうが早いでしょう」 「え、あ、おおう? ちょっと、その、ヴィラール! ……少し恥ずかしいんだけど」  突然、隣のヴィラールがそっと両手でヒロを抱き上げる。美女化と見まがう中性的なヴァンパイアは、姫君を連れゆく騎士のようにヒロを抱えて走り出した。  そして、いくつかの扉を抜けた先でまひろの背中が見えてくる。  彼女は不思議と震えていたが、それが恐怖や怯えでないことがすぐに知れた。  まひろの視線の先に、返り血に塗れた妖狐の姿があった。 「ウカノ……悪い子、邪悪な存在です! ……だっ、駄目です。やっつけるために来たのではないのです。う、ううー! むー! 頭の奥がバチバチするのです!」 「……血ガ欲シイ。コノ乾キ、潤ス血ガ」  見果てた様でウカノがのっそりと踏み込んでくる。  人に造られし英雄の玉子は、腰の剣を抜こうとする右手を自分で苦し気に抑えていた。まひろの本能に刻まれた罪深き善性、非道なまでの英雄願望が内から込み上げているのだろう。  それでもまひろは、剣を手放すや懐から武器を取り出した。 「っ、今のウカノは悪い子です! でも、本当のウカノは優しい友達なのです!」  盾を構えつつ、まひろがそれをウカノに突きつける。  彼女の武器は今、鋭く光る剣ではなかった。 「……パンだな、ヴァイン」 「あ、ああ。バゲットだ……ってか、おいまひろ! お前、なんでそんな――」 「食べて美味しい、殴って痛い! 勝負なのです、ウカノ!」  フランツ王国で一般的に売られている、それはバゲット。棒状の硬く焼しめたパンだった。それを振り上げ、まひろがウカノの間合いに踏み込む。  あっという間にバゲットは粉々になって舞い散った。  同時に、強烈な蹴りをまひろは盾でガードする。  その時にはもう、エイダードの技が冴え冴えと炸裂する。 「ちょっと動きを止めさせてもらう。悪いが誓わせてもらった……覚悟はある」  槍を翻すや、仲間たちの意思を吸い上げエイダードが踏み込む。石突での打撃が、荒れ狂うウカノの制空権に無数の打突を刻んだ。さしものマーダーフォックスも、わずかにスピードを殺されてゆく。その動きをさらに、ヴァインの牽制射撃が狭めていった。  血の方陣をヴィラールが広げた瞬間、降ろされたヒロは走り出す。  すでに感覚はないのに、銃を握れば右腕は痺れるような激痛に震えた。 「血ヲ……モット血ヲ!」 「ウカノッ! 耳をふさいで! 口はあけて! ……これでもゲーセンじゃトップスコアラーだったんだ! 動け、動いてくれ……オレの右手!」  迷わずヒロは銃爪を引き絞った。  拳銃から放たれた弾丸は、真っ直ぐウカノに吸い込まれ……その首筋を射抜いて消える。瞬間、絶叫と共にウカノは全身を強張らせた。  ペンダントの銀のチェーン、それはヒロが自分の稼ぎで購入したものだ。  それだけがヒロの贈り物で、ぶら下がる真紅の宝玉は禍でしかなかったのだ。  紅い光が宙に舞う中、ヒロは銃を捨てて走る。  普段の姿に戻ったウカノを抱き留め、一緒に地面に倒れる。 「ウカノ! ……よかった、気を失ってるだけだ。エイダードさん、ヴァインさんもみんなも! なんとかいけました。これでもう、ウカノは」  半分以上削れて消えたバゲットを食べつつ、まひろがうんうんんと頷く。誰の顔からも一瞬、緊張が消えた。この場の誰もが、殺意なき戦いの中で自制心をフル回転させていた。魔物と対峙する以上の緊迫感に満ちていた迷宮に、全員の安堵が溜め息になってこぼれた。  そして、かつて城壁だった瓦礫の向こうから日が昇る。  その光に目を細めつつ、ヴィラールは地面に転がった赫き魔眼を拾い上げた。 「ありがとうございました、皆さん。ヒロ、貴方の勇気に喝采と感謝を」 「ヴィラール? あ、いや、オレだけの力じゃないさ」 「皆の健闘は全て、貴方の心意気が奮起させたものでしょう。……これで私も使命を終えられるというものです」 「……ヴィラール? え、あ、ちょ、ちょっと! ヴィラール!」  夜明けの眩しさの中に、ヴィラールは溶けて消えた。その姿は赫き魔眼を持ったまま、無数の蝙蝠と化して空へと消える。  唐突なヴィラールの退去に、ヒロはウカノを抱きしめたまま動けない。  なにかと気が合う、こっちの世界ではウカノの次に親しい友は消え去った。  そして……入違いに暴力的な風圧が全員を襲う。  逆光を背に、圧倒的な害意の塊が羽撃き舞い降りるのだった。