荒涼たる砂の海が今、マイカの視界を塗り潰していた。  不気味な静寂の中を、風だけが哭いて流れて……ここは『枯レ森』という名の迷宮だ。そして、マイカにとっては特別な感情を励起させるエトリアの世界樹でもある。 「まさかこんなとこで『枯レ森』に……ま、モリビトがいるんだから不思議じゃないかあ」  ぽつりとこぼして振り返れば、仲間たちは装備やアイテムの最終点検で忙しそうだ。今日は大人たちだけのパーティ、現段階でもっとも腕の立つ冒険者の集まりだ。  それが、ここから先を進むということの意味を物語っていた。  そして、マイカはそんな仲間たちに目を細める。  自然と、少女時代の若かりし思い出が脳裏をよぎった。 『だってさ、冒険者たちは地上からこのシンジュクに来るんだぜ?』 『そうそう、だったら逆も……俺たちも地上に行けるってのが筋だ』 『あの砂漠さえ……『枯レ森』さえ乗り越えらればさあ!』  愛しき故郷、遺都シンジュク……マイカは物心がついたころからあちこちの工房に出入りし、発掘された品々の整理や復元で生計を立てていた。  その過程で学校にも通ったし、読み書きソロバンも覚えた。  シンジュクではそれは珍しいことではなく、自然と機械いじりの同年代とは仲間になって打ち解けたのだった。 『だからさ、今度みんなで行こうぜ! 冒険者たちがいるエトリアって町へよ!』 『冒険者が使ってる隠し近道がある。それを使えば数日で地上にでられるんだ。な、マイカ?』 『ああ、駄目よ。彼女は上には行かないわ。そうでしょ、マイカ。だってマイカは――』  トミン族は数百年もの間、ずっと地下の遺都シンジュクで生きてきた。見上げる空は天井が高くて、うすぼんやりと光っている。  だが、文献によれば太陽とかいうものはもっと熱く眩しい星らしい。  それにも興味はあったが、小さなころからマイカは周囲とは全く別のことを考えていたのだった。 『私はね、みんな……むしろ逆に、このシンジュクの地下になにがあるかを確かめたいんだ』 『まーた始まったぜ、マイカの夢物語がよ!』 『ここは地の底、古代文明の遺跡だぜ? その下にって』 『でも、素敵じゃない? わたしは面白いと思う。掘れば色々でてくる街ですもの、その下に掘り抜けば……ふふ、そういうの嫌いじゃないわ』  せっせと発掘品の錆を落としながら、親方に怒鳴られ働く日々だった。  そして、仲間たちの一部が本当にシンジュクを出ていった。  だが……『枯レ森』を超えたという話は聞かないし、話せる者は帰らず無言の帰還ばかりが続いたのである。  それがマイカの、セピア色に風化した少女時代の記憶だった。 「こっちはヨシ、っと。あんれえ? マイカっちゃーん? どしたの、黄昏ちゃってサ」 「ああ、おいちゃん。ちょっと昔を思い出してね」 「ああ、そうだねえ。たしかこの『枯レ森』は」 「そそ、シンジュクとエトリア、地下と地上を断絶していた魔の砂漠ってやつ。さすがのネカネでも、ここまでは降りたことないだろうね。彼女の親兄弟たちならいざしらず」 「……もう何十年も前になるねえ。遺都シンジュクのトミン族が世界の一部に復帰して」 「私の生まれる前だもんね。でも、あの時歴史が変わったんだ」  悠久の刻を超えて、数組の冒険者たちが突然シンジュクを訪れたのである。  そしてその時、トミン族は気付いたのだ……自分たち以外の人類が生き残っていること、そして地上にも同じ人間が住んでいるということを。 「たしか、その冒険者たちの中に貧乏貴族のお嬢ちゃんがいた、そういう話だったねえ」 「エトリアの聖騎士伝説……世界樹を初めて踏破した謎のパラディン。今や戯曲や叙事詩で溢れすぎてて、本来の姿はどうだったか、なにを語ったかもわからないんだよね」  さて、とマイカも軽く装備品をチェックして一同の後衛につく。今日の前衛はエイダードを中心に、左右をユーティスとザッシュが固める。  最後尾はカラブローネが務めてくれるし、両ギルドにとって盤石の組み合わせだった。  だが、不意にカラブローネが不安を囁く。 「で、だ……ここだけの話なんだけどお、ネ? ――ユーティスを見てどう思うね」  なんのことかとマイカもいぶかし気に視線を放って、そして思わず「おや」と片眉を跳ね上げる。  常日頃から無機質な無表情、冷静沈着な精密機械のごときナイトシーカーは今……ほんのわずかに不安定な苛立ちを燻らしていた。それはエイダードもザッシュも気付いているいるようで、敢えて多くを語らずフォローに回っている。  ユーティスはこのレムリア群島にかつて栄えた古代文明の遺産だ。  数百年の眠りから目覚め、冒険者としてマイカたちと共に今は戦ってくれている。正確無比な投刃と、全く無駄のないナイフさばき。とても頼れる存在であると同時に、記憶もなくなかなか打ち解けた様子も見せないミステリアスな青年だ。 「珍しいね、彼があんなに動揺……そう、動揺だ。そっか、動揺してるんだ」 「どうみてもそうだよねえ。さっきなんか珍しく、計算ミスを連発してサ」 「え? あのユーティスが? 超高級電算機並みの彼が? あいつ、麻雀やらせたら強過ぎてつまんないくらい頭が回るのに」 「心配してんだよぉ……ジルのことを」 「なるほど、さもありなん、っと」  ふと、ふらり歩み出てマイカは思った。  普段からライトニングと研究をしているからわかる。機械の肉体にでも魂は宿っているし、人格があるなら感情や情緒は自然と発生するものなのだ。  それは、太古の人型戦闘機でもかわらないのだろう。  そう考えた時には、自然とガシッ! とユーティスの肩を抱いていた。 「ヘイヘーイ、ニーチャン調子どぉ?」 「極めて正常に作動中です。……なんの問題もありません」 「まーたまた、そんなこと言ってぇ。ほら、見なよ」  延々と続く砂丘の果てを指さし、見えない地平線の彼方を二人で見つめる。  さして感慨を覚えた様子もなく、ユーティスは表情を変えなかった。  だが、次のマイカの言葉に露骨に端正な顔を歪める。 「ジルが心配かい? 人質ってのは穏やかじゃないからねえ」 「否定、なんの心配もありません。ヴァインは人柄を別にして信頼できる戦闘要員です。ニングたち後続の冒険者も里に――」 「そう思ってても、落ち着かない。正確は分析と判断が、自分でも信じられない。違うかい?」 「そ、それは」  珍しくユーティスは、隠しても隠し切れない動揺を本当に見せてしまった。  だから、その肩をポンポンと叩きつつマイカは囁いてやった。 「本当に危険なのはむしろユーティス、そして私たちなんだ。君が生きて戻らなかったら、その時ジルはなんて思うかなあ」 「……今の発言で目が覚めました。感謝を、マイカ。シナプス中枢の電圧が安定する感覚があります。パルス周波数も平常値へ移行」 「そうそう、そゆこと。……この『枯レ森』はね。誰が呼んだか帰らずの砂漠なのさ」  その上で「まあ、私が勝手に名付けたんだけど」とマイカはテヘペロと微笑む。そう、友人たちは誰一人帰ってこなかった。遺体を回収できた者はまだ幸運だった。  そして、マイカは知っている。  遺都シンジュクのさらに下層、世界の真実を見て戻ったエトリアの聖騎士は……なにも語らなかったのだ。トミン族の年寄りたちにその話を聞いた時、マイカは故郷を出ることを決めたのだった。 「さあ、お互いいい仕事をしよう! 絶体生きて帰るよ、ユーティス! みんなも!」  こうして冒険者たちの新たな探索の旅が始まった。朽ちて枯れた木々の合間に、今までとは桁レベルに強い殺気が漂う中、五人は慎重に歩を進めるのだった。