《前へ 戻る TEXT表示 | PSO CHRONICLEへ | 次へ》

 一般的に普及――普及と言う言葉には語弊があるし、声高な連中から身を守る為にも控えるべきだとカゲツネは思う――兎に角、一般的なレイキャストに表情はない。舞い上がんばかりに喜ばしい時も、悲劇の中心で暗鬱たる澱みに落ち込んでいる時も……彼等は顔に感情を表すことはない。
 ただし、何事にも例外はあった。

「いえ、ですから。本当に申し訳ありません、ぬか喜びさせて……ええ、それはもう、マダム」

 普段と変わらぬ鉄面皮の頭部メインカメラ。目にあたるスリットへ、落ち着かない様子で光が走ってしまう。そんな"顔"をしてハンターズ区画のメインゲートをくぐったカゲツネだった。彼は左腕に埋め込まれた端末機能を通して、恋人へと何度も頭を下げながら歩く。

「この埋め合わせは必ず。はい、それはもう……」
「相変わらずですね、カゲツネ」

 呼び止める声にカゲツネは、振り向くなり鏡に映る我が身を見た。自分と全く同じ色形のレイキャストが佇んでいる。謝罪の定型句を数千パターンほどの選びながらも、すぐにカゲツネは理解した。
 それは同じ工場で作られた同じロットのレイキャストで……何より、かつての戦友だった。

「少々お待ちを、マダム。ギリアム! ギリアムではありませんか」

 そして何より、掲げた手をカツンと拳で叩く男は、正しく友だった。
 カゲツネは友との再会を喜ぶ傍ら、左腕の向こうでぷりぷり怒る夫人をどうにか納得させる。そうして人目も憚らずに深々と頭を下げて、通信が途切れると……彼はうってかわって毅然とした態度で、生死を共に片方分かち合い、もう片方と戦い続けた仲を確かめ合った。

「相変わらずですね、カゲツネ。お嬢様もいつも、貴方のことを心配していますよ」
「それは光栄なことです、ギリアム。私は是非、レディとしてお嬢様にお礼がしたいのですが」
「私を前に無駄なことを。全力で防ぐとだけ言わせて貰いましょう。……今まで通りに」
「その物言い、変わりませんね」

 二人はまるで瓜二つだった。洞窟の戦闘での損傷と汚れが無ければ、エステルやヨラシム、ザナードでもカゲツネとギリアムを見分けることはできないだろう。もっとも、両者の会話に耳を傾ければ、すぐに聞き分けることができるが。

「お嬢様もお元気ですよ……気丈でいらっしゃる。私はそれが時に、痛々しくみていられない」
「……」
「そんな時カゲツネ、貴方がいてくれたらと思いますが。内輪揉めは貴方の一番嫌いなことでしたね」
「……忌避すべき現状に対して、解決への努力ではなく――逃避を選んだ責は確かに私に」

 巨漢の両者を沈黙が別った。一メートルもない二人の間で、複雑な事情が凝縮されてゆく。
 圧する空気がギリアムの咎めではないと知りながら、カゲツネは着信音の鳴る左腕へと逃げた。

「失礼。……もしもし? ああっ! はい、ええ……その、申し上げ難いのですが」

 再びカゲツネは、御婦人への抗弁と謝罪に徹した。その姿に、まるで溜息を付くようにギリアムが肩を竦める。小さな作動音だけが、キュインと響いた。

「ええ、ええ。それはもう! 当然、その時は私が……え?」

 カゲツネはチラリとギリアムを見た。そこには、軍に籍を置いていたころと変わらぬ友を見る、機械と言うには温かな眼差しがあった。メインカメラの光は、落ち着いたグラスグリーンに灯ってカゲツネに向けられている。
 カゲツネは身を正すと、長電話を打ち切った。

「ええ、愛してますとも。勿論です、それでは……またお会いしましょう、あの場所で」

 百を下らぬ恋人達の一人に強請られ、誰にでも等しく捧げる言葉をカゲツネは呟いた。心から。そうしている間も、同じ案件に関する問い合わせのメールが山ほど溜まり、恋人達の何人かは現在進行形で「現在通話中でお繋ぎできません」のアナウンスを聞いている。
 カゲツネにとって、それ自体が愛すべき日常だった。

「私は人間のことが時々解りません。が、カゲツネ。貴方は同族なのに常に解らないことばかりです」
「誉め言葉と受け取っておきますよ。そもそも、他者を理解しきるなどとは……まあ、いいでしょう」
「理解するしないにしろ、知識として情報は欲しいですね」

 ギリアムが気遣って、カゲツネの忙しさを語らせようとする。そうして、互いが共有する重苦しい話題から手に手を取って遠ざかろうというのだ。
 自分ほどではないと前置きして、カゲツネは友を紳士だと再認識した。

「つまりそれはこういうことです。世の女性達は統計的に見て、多くが甘党なのですよ」

 見えないマイノリティの声を脳裏に聞きながら、カゲツネは雄弁に語った。
 有名なパン屋の三姉妹が、実は凄腕のケーキ職人であることは有名な都市伝説だったが。それは真実で、しかも現実となった。彼女達は法を犯してまで、ケーキの作れる最適な環境を求め地表へと降りたのだ。誰もが皆、伝説のケーキを求めてギルドに殺到した。
 約一年の航海と、当面無期限の漂流生活を前に……人は皆、スイーツに餓えていた。
 当然、カゲツネも依頼を受けた。未だ未踏破の洞窟最深部へと、ケーキを買いに行く仕事を。同時に彼は、愛しい恋人達全員にメールを送ったのだ。

「つまりカゲツネ、貴方は恋人に……恋人達にケーキを御馳走するつもりだったと」
「お嬢様にもお贈りしようと思ってたのですが。勿論、恋人としてではなく、ですよ」

 それが今、カゲツネは謝罪に追われている。理由は明らかだった。

「ケーキは一人一つまで……いやはや、私でも口説き落とすのは無理でしたよ」
「取らぬタヌキの皮算用、というコトワザもありますからね……」

 意外なことに、ギリアムが笑った。カゲツネは久しぶりに、自分と同じパターンに設定された笑い声を外から聞いた。友は呆れ半分関心半分に苦笑していた。

「しかし、貴方が貴方なら、人間も……そのナウラ三姉妹もそうとうなものだと思いますがね」

 ハンターズ生活が板についたせいか、カゲツネにはギリアムも人間味あふれるふるまいに見える。嘗ての相棒は今、ごく自然に腕を組んで僅かに俯いている。黙考するは、人の愚かさか。
 自分も随分と粗暴に慣れたものだと、カゲツネは心のうちにほくそ笑んだ。

「あの洞窟が気温、湿度共に最適だそうですよ? 生地を作るのには」
「同じ環境ならパイオニア2でも再現できる筈。申請すれば専門の機関に……」

 船団内でケーキの製造などという愚挙は、却下が当然だと思いつつ。カゲツネは自分の見解をギリアムへと伝えた。あくまで私的な見解だと、これは後から付け加えることになるが。

「大事なのは、最適だと本人達が感じるかどうかですよ。人間とはそういったものです」
「つまり数値的に全く同じ環境だとしても、当人達にとっては違うと?」

 黙って頷くカゲツネ。そんなことはカゲツネならずとも、既に同胞として三種族が一つとなったキャストなら解りそうなことだったが。軍隊という閉鎖的で特殊な環境の人間は違うらしい。否、違う……軍を抜け出た直後の自分を思い出すカゲツネ。

「……お嬢様もそうなのでしょうか? いえ、そうなのでしょう。だから、あんな」
「ギリアム、率直にデータの提供を求めます。端的に言えば、悩みは共有しましょう」

 逃げておいてよくもまあ、とは思うが。そんな自分を恥じるよりも、カゲツネは友の葛藤が気になった。何より友と二人で"双璧"と称えられながら守った、一人の少女のことが。

「WORKSで今、何が? グランスコール号の一件はメールした通りですが、まさか……」
「その件とは別に、大きな動きがあります。つまり、今のWORKSは真っ二つという訳です」

 ギリアムが初めて、人間味を感じさせる口調になった。その泰然とした物言いが僅かに翳る。
 パイオニア2宇宙群空間機動歩兵第32分隊……通称、WORKS。それは母星コーラルの十カ国同盟軍の中に出来た《もう一つの軍》だった。一人のカリスマが、分隊規模の古参兵集団に強大な力を与えていた。
 パイオニア2最大の戦力として船団に同乗した彼等が……カゲツネの古巣が今、内部分裂を起こしている。一つは、姿を消した首魁に代わって、率先して立場を強めるべく動く派閥。もう一つは、水面下で密かに、しかし確実に動く謎の一派。
 ギリアムと彼の守る少女は、その狭間で苦悶の日々を送っていた。

「……あの方から何か連絡は? あの方の命こそ、我等が……貴方が優先すべき命令では?」

 無言で首を振るギリアムを、ただ黙ってカゲツネは見詰めた。熱烈なラブコールのなる、己の左腕を強く握り締めながら。
 眼下に見下ろす大地に謎を抱えながらも……パイオニア2は内部にも、大きく致命的な、しかし決して表層化することのない問題を秘めていた。その一端を今、カゲツネは改めて認識した。

《前へ 戻る TEXT表示 | PSO CHRONICLEへ | 次へ》