ふと気付けば、トゥリフィリは見知らぬ場所に立っていた。
また、夢だ。
それも、自分が夢の中にいるという
そして、普段と全く違う雰囲気だが、この場所は都庁のエントランスだ。だが、いつもの喧騒と賑わいが全くなく、澄み切った静寂に包まれている。
見慣れた光景も、音と空気とが違えばまるで異世界だ。
「えっと……ここは? ぼく、また変な夢を見てる」
周囲を見渡し、誰もいないことを確認したその時だった。
不意に、エレベーターへと続く扉の前に、見慣れた後ろ姿がある。
セーラー服姿に日本刀、長い黒髪を風に遊ばせた少女だ。
思わずトゥリフィリは駆け寄るが、振り返る顔に驚いた。
「キリちゃん! そっか、ずっと起きないと思ったら、ここに……キリちゃん? じゃない……あっ!」
「ふふ、お久しぶりですね……トゥリフィリさん」
そこには、キリコと同じ顔の少女が
もちろん、足はあるから幽霊じゃない。そして、幽霊やオバケの
だが、率直に言って驚く。
彼女は無残な死を遂げ、そのままバラバラになって弟の体に詰め込まれたのだ。
秘めたその名は
「サキさん……え、じゃあここって」
「そうですね、
「境目……え、ちょ、ちょっと、サキさん?」
サキはニコリと笑って、腰の剣を抜いた。
冴え冴えと輝く白刃が、トゥリフィリに……その背に立つ少年に向けられる。
そして、ぶっきらぼうに言葉が横に並んでくる。
突如現れたナガミツは、心底面倒くさそうに頭をかきむしった。
「メモリの最適化で生じた破損データ……って訳じゃ、ねえよなあ。よ、フィー。無事か?」
「あ、うん……ナガミツちゃんも、来てたんだ」
「もしかして、お前もいわゆる、ええと……夢? 寝てるよな、確か一緒に」
「いいい、いっ、一緒に!? ……お、おおう。そうかも」
確か、都庁のスカイラウンジにある個室で、親睦を深めていた気がする。ナガミツが手料理をご馳走してくれたし、ソファで並んでねぎらってくれた。
あの時、うとうとして寝てしまったのだ。
そして今、不思議な空間でサキに剣を向けられている。
彼女からは殺気を感じないが、切っ先に込められた気迫は本物だ。
「ここは
「旧国府……幻影、首都」
「そうです、トゥリフィリさん。ここには、日ノ本の未来に残すべきものが納められています。時間と空間から切り離された、
「……普通の世界じゃないってこと、か。それで、サキさんは」
「ええ。見事、苦難を乗り越えた
そっとトゥリフィリを手で制して、ナガミツが一歩踏み出す。
彼の怪我はもう、この夢の中では跡形もなく消し飛んでいた。
そして、不敵な横顔が鼻を鳴らす。
「あんたがキリの中にいる奴か……フン、そういや雰囲気似てるぜ」
「私たちが羽々斬の巫女の血を受け継ぐ以上、いかなる手段を持ってしても血脈は継承されねばなりません。そして、日ノ本を守護するためにこそ……これはでも、建前です」
「だろうな。あんた、知ってんだろう? キリがどれだけ苦しんだか」
「ええ。だから……見せてください。弟と共に戦った、斬竜刀の力を」
ヒュン、と音が光に遅れて走る。
その瞬間をトゥリフィリは、全く見切ることができなかった。
サキの鋭い
彫像のように静止した二人は、次の瞬間には激しい応酬に踊り出した。
そう、まるでダンスを踊るよう……殺気も敵意もないのに、込められた闘志は本物の一撃を繰り出し続ける。
逆巻く空気の中で、斬撃と蹴りとが擦れ違う。
互いの呼気さえ切り裂いて、突きと拳が乱れ飛ぶ。
そんな中でトゥリフィリは、ナガミツが笑っているのを見た。
サキもまた、笑みを浮かべている。
「
「これが……この強さが、正真正銘、本物の巫女の力かよ!」
ナガミツの強い踏み込みが、そのまま拳で突きを放つ。
サキが見切ってギリギリで避けた、その瞬間に勝負は決着した。
ナガミツの一撃は、相手に回避運動を選択させるためのフェイク、
その時にはもう、ナガミツの拳は
刀のリーチは戦闘において有利だが、その長さを変えることは難しい。
だが、ナガミツの全身は肘や膝、指の一本に至るまでが戦う刃、斬竜刀なのだ。
「――ッ! ……参りました、私の負けです」
「負けたって顔してねえぜ……冷や汗もんだ。俺が人間なら汗だくだぜ」
トゥリフィリの動体視力は、なにが起こったかを完璧に捉えていた。
強引にサキを掴んで、ナガミツは距離を殺した。引き寄せて、それに抗うサキの動きに、今度は手を緩めて逃がす。両者の距離が零になって、そして離れた瞬間に蹴りが捻じ込まれた。
サキの手にした刀は、中程から綺麗に折れていた。
ナガミツの天を衝くような蹴り上げが、宙へ放られた切っ先を遠くに突き立てる。
折れた剣を見て、サキは溜息と共に微笑んだ。
「ここまでとしましょう。トゥリフィリさん、そしてナガミツさん。本当にありがとう。あちらの方たちにも会っていってください」
サキが振り向く先に、人影があった。
その姿を見て、トゥリフィリは目を丸くする。
なによりナガミツが血相を変えて走り出した。
その先には、一人の男が
「やあ、ナガミツ君。それに、シロツメクサちゃん。元気そうだね」
「ナガレさん! ……そっか、ここは」
「そう。ここでは死者の魂にも僅かだけ、時間が与えられるんだ。彼みたいにね」
死んだ
そして、部屋の隅にまるで世界を切り取ったかのような闇が広がっていた。この都庁のエントランスだけが、異空間となって浮いている。その淵に巨漢の背中が無言で佇んでいた。
その背を見た瞬間、ナガミツが叫んだ。
「おっさん……なあ! おっさん! あんただろ! 俺を、助けてくれた……今も、ずっと!」
左腕に巻かれたボロ布に手で触れ、ナガミツが駆け寄ろうとする。
だが、彼は戸惑うように迷いを見せて、やがて脚を止めた。
それは、無言で男の背中がエレベーターを指差すのと同時。
その男は、黙ってナガミツに先に進むように促した。その名をトゥリフィリは知っている。そして、決して忘れない。ナガミツだって同じだ。
彼の名は、ガトウ……トゥリフィリたち13班にとって、忘れられない恩人だ。
ナガミツは、ガトウを慕っていたし、尊敬していた。言葉や態度に出さなかったが、規範とさえ思っていたかもしれない。
だから、無言の背中に頭を下げて、そして前を向いた。
「この先に進めってことかよ……へっ、上等だ。行こうぜ、フィー」
「う、うん。じゃあ、ナガレさん、サキさん。それと……ガトウさん。また、いつか」
死別したあの時は、ゆっくり別れの言葉を交わす暇もなかった。それが心残りだったが、今は違う。幻影首都と呼ばれる特殊な空間では、魂の生死は関係なさそうだ。
笑顔で手を振るサキに見送られて、トゥリフィリはナガミツとエレベーターへ乗り込むのだった。