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 ふと気付けば、トゥリフィリは見知らぬ場所に立っていた。
 また、夢だ。
 それも、自分が夢の中にいるという明晰夢(めいせきむ)
 そして、普段と全く違う雰囲気だが、この場所は都庁のエントランスだ。だが、いつもの喧騒と賑わいが全くなく、澄み切った静寂に包まれている。
 見慣れた光景も、音と空気とが違えばまるで異世界だ。

「えっと……ここは? ぼく、また変な夢を見てる」

 周囲を見渡し、誰もいないことを確認したその時だった。
 不意に、エレベーターへと続く扉の前に、見慣れた後ろ姿がある。
 セーラー服姿に日本刀、長い黒髪を風に遊ばせた少女だ。
 思わずトゥリフィリは駆け寄るが、振り返る顔に驚いた。

「キリちゃん! そっか、ずっと起きないと思ったら、ここに……キリちゃん? じゃない……あっ!」
「ふふ、お久しぶりですね……トゥリフィリさん」

 そこには、キリコと同じ顔の少女が微笑(ほほえ)んでいた。
 もちろん、足はあるから幽霊じゃない。そして、幽霊やオバケの(たぐい)にはもう、トゥリフィリは慣れ始めている。毎日マモノとの戦いの連続で、あらゆる怪奇現象が当たり前だ。
 だが、率直に言って驚く。
 彼女は無残な死を遂げ、そのままバラバラになって弟の体に詰め込まれたのだ。
 神代(かみよ)の太古より続く、日ノ本(ひのもと)の守護者。
 凶祓(まがばら)いの一族、天ノ羽々宮(テンノハバミヤ)の血を告ぐ、羽々斬(ハバキリ)の巫女。
 秘めたその名は羽々宮裂(ハバミヤサキ)、トゥリフィリを初めての友達と呼んでくれた少女だ。彼女は今、穏やかな笑みを浮かべてトゥリフィリに歩み寄ってくる。

「サキさん……え、じゃあここって」
「そうですね、常世(とこよ)との境界線というか、境目です」
「境目……え、ちょ、ちょっと、サキさん?」

 サキはニコリと笑って、腰の剣を抜いた。
 冴え冴えと輝く白刃が、トゥリフィリに……その背に立つ少年に向けられる。
 そして、ぶっきらぼうに言葉が横に並んでくる。
 突如現れたナガミツは、心底面倒くさそうに頭をかきむしった。

「メモリの最適化で生じた破損データ……って訳じゃ、ねえよなあ。よ、フィー。無事か?」
「あ、うん……ナガミツちゃんも、来てたんだ」
「もしかして、お前もいわゆる、ええと……夢? 寝てるよな、確か一緒に」
「いいい、いっ、一緒に!? ……お、おおう。そうかも」

 確か、都庁のスカイラウンジにある個室で、親睦を深めていた気がする。ナガミツが手料理をご馳走してくれたし、ソファで並んでねぎらってくれた。
 あの時、うとうとして寝てしまったのだ。
 そして今、不思議な空間でサキに剣を向けられている。
 彼女からは殺気を感じないが、切っ先に込められた気迫は本物だ。

「ここは旧国府(がいせん)幻影首都(げんえいしゅと)
「旧国府……幻影、首都」
「そうです、トゥリフィリさん。ここには、日ノ本の未来に残すべきものが納められています。時間と空間から切り離された、防人(さきもり)たちの安住の地……そして、明日の思い出」
「……普通の世界じゃないってこと、か。それで、サキさんは」
「ええ。見事、苦難を乗り越えた斬竜刀(ざんりゅうとう)……彼と、手合わせを」

 そっとトゥリフィリを手で制して、ナガミツが一歩踏み出す。
 彼の怪我はもう、この夢の中では跡形もなく消し飛んでいた。
 そして、不敵な横顔が鼻を鳴らす。

「あんたがキリの中にいる奴か……フン、そういや雰囲気似てるぜ」
「私たちが羽々斬の巫女の血を受け継ぐ以上、いかなる手段を持ってしても血脈は継承されねばなりません。そして、日ノ本を守護するためにこそ……これはでも、建前です」
「だろうな。あんた、知ってんだろう? キリがどれだけ苦しんだか」
「ええ。だから……見せてください。弟と共に戦った、斬竜刀の力を」

 ヒュン、と音が光に遅れて走る。
 その瞬間をトゥリフィリは、全く見切ることができなかった。
 サキの鋭い斬閃(ざんせん)を、ナガミツが振り上げた右足で受け止めている。
 彫像のように静止した二人は、次の瞬間には激しい応酬に踊り出した。
 そう、まるでダンスを踊るよう……殺気も敵意もないのに、込められた闘志は本物の一撃を繰り出し続ける。
 逆巻く空気の中で、斬撃と蹴りとが擦れ違う。
 互いの呼気さえ切り裂いて、突きと拳が乱れ飛ぶ。
 そんな中でトゥリフィリは、ナガミツが笑っているのを見た。
 サキもまた、笑みを浮かべている。

流石(さすが)、やりますね……このスピードについてこれるなんて」
「これが……この強さが、正真正銘、本物の巫女の力かよ!」

 ナガミツの強い踏み込みが、そのまま拳で突きを放つ。
 サキが見切ってギリギリで避けた、その瞬間に勝負は決着した。
 ナガミツの一撃は、相手に回避運動を選択させるためのフェイク、虚拳(きょけん)……達人ゆえに、最適解を瞬時に選択してサキは避けた、避けせられた。
 その時にはもう、ナガミツの拳は(ほど)かれ、サキの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
 刀のリーチは戦闘において有利だが、その長さを変えることは難しい。
 だが、ナガミツの全身は肘や膝、指の一本に至るまでが戦う刃、斬竜刀なのだ。

「――ッ! ……参りました、私の負けです」
「負けたって顔してねえぜ……冷や汗もんだ。俺が人間なら汗だくだぜ」

 トゥリフィリの動体視力は、なにが起こったかを完璧に捉えていた。
 強引にサキを掴んで、ナガミツは距離を殺した。引き寄せて、それに抗うサキの動きに、今度は手を緩めて逃がす。両者の距離が零になって、そして離れた瞬間に蹴りが捻じ込まれた。
 サキの手にした刀は、中程から綺麗に折れていた。
 ナガミツの天を衝くような蹴り上げが、宙へ放られた切っ先を遠くに突き立てる。
 折れた剣を見て、サキは溜息と共に微笑んだ。

「ここまでとしましょう。トゥリフィリさん、そしてナガミツさん。本当にありがとう。あちらの方たちにも会っていってください」

 サキが振り向く先に、人影があった。
 その姿を見て、トゥリフィリは目を丸くする。
 なによりナガミツが血相を変えて走り出した。
 その先には、一人の男が飄々(ひょうひょう)とした笑みを浮かべていた。

「やあ、ナガミツ君。それに、シロツメクサちゃん。元気そうだね」
「ナガレさん! ……そっか、ここは」
「そう。ここでは死者の魂にも僅かだけ、時間が与えられるんだ。彼みたいにね」

 死んだ(はず)のナガレが、あの日のままの笑顔で立っていた。
 そして、部屋の隅にまるで世界を切り取ったかのような闇が広がっていた。この都庁のエントランスだけが、異空間となって浮いている。その淵に巨漢の背中が無言で佇んでいた。
 その背を見た瞬間、ナガミツが叫んだ。

「おっさん……なあ! おっさん! あんただろ! 俺を、助けてくれた……今も、ずっと!」

 左腕に巻かれたボロ布に手で触れ、ナガミツが駆け寄ろうとする。
 だが、彼は戸惑うように迷いを見せて、やがて脚を止めた。
 それは、無言で男の背中がエレベーターを指差すのと同時。
 その男は、黙ってナガミツに先に進むように促した。その名をトゥリフィリは知っている。そして、決して忘れない。ナガミツだって同じだ。
 彼の名は、ガトウ……トゥリフィリたち13班にとって、忘れられない恩人だ。
 ナガミツは、ガトウを慕っていたし、尊敬していた。言葉や態度に出さなかったが、規範とさえ思っていたかもしれない。
 だから、無言の背中に頭を下げて、そして前を向いた。

「この先に進めってことかよ……へっ、上等だ。行こうぜ、フィー」
「う、うん。じゃあ、ナガレさん、サキさん。それと……ガトウさん。また、いつか」

 死別したあの時は、ゆっくり別れの言葉を交わす暇もなかった。それが心残りだったが、今は違う。幻影首都と呼ばれる特殊な空間では、魂の生死は関係なさそうだ。
 笑顔で手を振るサキに見送られて、トゥリフィリはナガミツとエレベーターへ乗り込むのだった。

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