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 ウィスタリアRJ、408管区。ズラリと並ぶ格納庫を繋ぐ、一本の道がある。それは今、シヨの眼前で街の外へと続くバイパスに合流していた。その上はリニアレールの高架が走る。
 シヨは腰に手を当て、眼下を睥睨。実に気分がいい。
 朝七時、今日も前線に向けて多くのバーチャロイドがバイパスを流れてゆく。並んで進む何割かは、戦場では敵味方に別れて戦うこともあるだろう。しかし今は、毎朝御馴染みの出撃ラッシュで大混雑。
 晴れ晴れとした青空を見上げれば、マイザーの大編隊が四機一小隊のダイヤモンドを無数に組んで飛び去った。高架の天井を横切り、尾を引く雲の行く先へとシヨは目線を投じる。

「おーい、シヨ。こりゃ駄目、完全にオシャカだ。つー訳で……まあ、頼む。頑張れ」

 眠そうな目をこすりながら、ルインが足元に顔を出した。
 シヨは今、バイパスと408管区の入口を繋ぐ、交差点の中央に立っていた。正確には高い鉄塔の上の、突然沈黙してしまった信号機に。メンテハッチから這出たルインに頷き、シヨは待ってましたと腕まくり。
 彼女はそのまま、信号機から細く伸びる細長いデッキへと踏み出す。その先には、出撃準備を整えハンガーアウトしたバーチャロイドが、バイパスへと合流すべく次々と殺到している。
 シヨは信号機のスピーカーに同調させたインカムへと、第一声を吹き込んだ。

「えと、皆さんおはようございます。ただいま信号機の故障につき、朝から御迷惑を――」
《能書きはいいからよ、MARZのお嬢ちゃん! このままじゃ遅刻だ、はやく誘導してくんな!》
《俺は今日、大隊のパスファインダーなんだよね。先導機が遅刻って、洒落ならんでしょうや》
《それより本社には連絡いってる? ウィスタリア運営委員会から遅延証明出してよ、っとに……》

 たちまち周囲は騒然とし、居並ぶバーチャロイドのパイロットたちから不満が噴出した。こんな時だけは所属を問わず、テムジンもアファームドもVOX系も仲がいい。
 この街のバーチャロイド乗りには、敵対勢力に所属している者同士でも奇妙な連帯感があった。
 出撃待ちの機体はドンドン増え、出せ出せコールの声は朝の空気に充満してゆく。その雰囲気に気圧されつつ、シヨは胸元のホイッスルを手に持ち、唇にくわえて。大きく息を吸い込んだ、次の瞬間。
 警笛が響き渡った。
 乗り手の思惟を拾って、居並ぶバーチャロイド達は揃って耳を押さえる。

「はい、それではわたしの誘導に従って、部隊ごとにバイパスに合流してください」

 静かになったところで、シヨはぴんと背筋を伸ばして身を正すと。右手を水平に伸ばして笛を鳴らす。途切れなく続くバイパスの流れが、徐々に細くなり……やがてピタリと止まった。
 シヨの動作は教本通りの、バーチャロイド乗りの間ではごく一般的な誘導信号。
 続いてそのまま、シヨは幹線からのバーチャロイドを左手で呼び寄せる。408管区の出入り口に鮨詰め状態だった機体が、部隊単位でバイパスに合流、遅れを取り戻すようにダッシュで走り去る。

「業者呼んだから、復旧まで一時間ってとこか。つーかお前、そゆのは得意なのな」
「そうかな? 普通だと思うけど。でも、毎日こんな仕事ばかりだと楽しいよね」

 キリのいい所で流れを断ち切り、バイパス側の交通を再開させるシヨ。彼女は信号機のメンテハッチから上体を出して頬杖突くルインへと、振り返らずに言葉を返した。
 毎日こんな仕事なら……戦闘がなければとシヨは思う。それはしかし、戦闘を経験した人間のみが抱いていい気持ちだとは、シヨには気付けない。
 シヨの適切で正確な誘導で、渋滞は完全に緩和したかに見えた。

《MARZってこんな仕事もするんだね。いい腕、うちの艦隊で誘導員やれるよ。それに第一……》

 不意に朝日を遮り、シヨをバーチャロイドの影が覆った。同時に、スピーカーを通したパイロットの声。
 見上げたシヨは、その珍しさに思わず頬を綻ばせた。同時に胸部のコクピットハッチが開け放たれ、圧搾空気の抜ける小さな音と共にパイロットが姿を現す。

「エンジェラン、こんなに間近で見るの始めて」
「それに第一、可愛い。これは大事だね。ん? お嬢ちゃん、実物は始めてかい?」
「は、はいっ、あの……もしかしてこの子、化鳥ですか? まだ市場には出てない型ですよね」
「ま、エンジェラン自体稀だけどね。そうさ、テストも兼ねて少し、うちの部隊の戦意高揚に」

 ポニーテールを揺らす、淑女然とした容姿のバーチャロイドがシヨを見下ろしていた。
 思わずシヨは、仕事も忘れてその姿に見入る。既にリリースされている慈愛や治癒、慰撫でさえ前線で見るのは稀だが。化鳥はさらに最新鋭の、ネットでも動画はおろか画像すら手に入らない噂のモデル。
 シヨは思わず、ごくりと唾を飲み下した。

「しかしまぁ、良く気付いたねお嬢ちゃん」
「化鳥は近接攻撃力の向上を図った機体だと聞いてます。まず携行武装を見て、そうかなって」

 眼前のエンジェランが右手に持つのは、杖というよりは槍に近いフォルムの武器だった。シヨの言葉に嬉しそうに頷き、エンジェランのパイロットがヘルメットを脱ぐ。
 さらりと金髪がなびいて、端整な顔がシヨに微笑んだ。中性的なその顔立ちは、一見して男とも女とも判別がつかない。

「御名答、まあ市場に出すのはまだまだ先だけど。どうだい? よければ乗ってみるかい?」
「え、ええ? いや、それは、少し興味あります、けど」
「まあ、開発スタッフに怒られるから、部外者には触らせられないけど。私の膝の上に、どう?」
「それは、ええと……操縦できないと、乗ってもあんまり。それに、職務中、ですから」

 職務中、とは言いつつも手を休めているシヨ。人間信号機が停止しているので、バイパス側も幹線側も、押し寄せるバーチャロイドで大渋滞。ルインは溜息を付いてシヨに釘を刺した。

「シヨ、手ぇ動かせ、手ぇ。あんたも、うちのにちょっかい出さないでくれよな」
「はは、ごめんごめん。でも、そっちの彼氏も可愛いね。二人ともどう? 今夜、暇なら……」

 慌ててシヨは交通整理を再開する。滞っていた流れが再び活気付き、多くのバーチャロイドが戦場を求めて火星の荒野へ走り去った。しかし、件のエンジェランは交差点中央の鉄塔に寄り添うと、今度はルインを口説き始める。しかも、決してシヨを諦めようとはしない。

「ん、彼氏ひょっとして……ルイン=コーニッシュ? へぇ、MARZにいるんだ」
「はぁ、すんません」
「あれ、お知り合いですか? ルイン君、有名なんだね」
「……俺がじゃない、家がだ……別に俺ぁ」

 謎の美形パイロットは、コクピットに一旦消えると。一枚のディスクを手に再び現れた。爽やかな笑みでそれをシヨへと放る。受け取り見れば、ラベルに印刷されたタイトルは――

「テムジン敗走録? 英雄エノア=コーニッシュ、その激戦の素顔に迫る……?」
「それ、私の本業。良かったら読んでね……まあ、取材も兼ねてこんなこともやってるけど」

 タイトルの下には、フレッシュ・リフォー火星戦線広報課とある。そこに並ぶのは著者の名前だろうか?
 シヨが読み上げる前に、眼前の美女にも美丈夫にも見えるパイロットは名乗った。そのハイトーンの声はやはり、男女の区別がつかず。パイロットスーツの上からでは喉仏も見えない。

「私はフレッシュ・リフォー火星戦線広報課のウォーライター、マビーナ=トルケ。よろしくね」

 ヘルメットを胸に抱いて、マビーナが満面の笑みで微笑む。雰囲気に呑まれて笑みを返した、シヨの手が止まった。再び渋滞の列が構築されてゆく。
 それが事件へと発展するのに、大して時間はかからなかった。朝は誰もが、今日の戦場へ向けてテンションも高く昂ぶっている。この朝日を受けて出撃する何割かは、確実に夕日の光を浴びること叶わず命を散らすかもしれないのだ。その緊張感がしかし、マビーナにはない。
 なによりシヨには、その意味がまだ完全には解っていない。

《おう、何やってんだMARZの嬢ちゃん! タラタラやってっと、ミサイルぶち込むぞ!》
《さっさと誘導しねぇか! こっちもバイパスも詰まってんじゃねぇか、ビーム食らいてぇのか?》

 見覚えのある箱が……VOX系の改造機種がずずいと交差点の中央へ歩み出た。重々しい震動に鉄塔が揺れる。手すりに掴まりながらも、シヨは振り返り記憶を掘り起こす。

「あ、ダニエルと……シュタインボックス(仮)だ。すみません、今誘導しま――」
《かっ、勝手に名前つけてくれるねぃお嬢ちゃん! ダン、ダニーときてダニエルかよ、ったく》
《それより仮って何だ、仮って!? しかもシュタインボックスって、まんま過ぎるだろぉがよ》

 二機の重装型VOX系バーチャロイドが、揃って肩を竦めてやれやれと首を振る。
 その背後から、彼等を率いる隊長が現れて場の空気は一変した。また会えたと表情を明るくするシヨとは対照的に、マビーナは一瞬険しい表情で見詰めた。率いる小隊を掻き分け現れた、朱色のライデンを。

《何やってんだい、今日の開戦まで時間ないよっ! さっさとおしっ!》
《姐さんっ、いや、その、これは》
《MARZの連中、仕事サボってフレッシュ・リフォーの兄ちゃ……いや、姉ちゃん? まあ、あれです》

 ライデンの指揮官用にカスタマイズされた頭部がシヨに向いた。視線の矢を射られて貫かれ、浮かれ気分が霧散して緊張に身を強張らせるシヨ。

《たしか、シヨ=タチバナ三査だったか? 職務に集中しな、遊びじゃないんだよ?》
「す、すみませんっ。ええと……そうだ、お名前まだ――」
「リーネ=リーネ中尉。所属はS.H.B.V.D.で、現在アダックス直営部隊に出向中、だったかな?」

 シヨの言葉尻をマビーナが拾った。同時にライデンのコクピットハッチが開く。中から現れたのは、愛機と同じ朱色のパイロットスーツ。手首の端末に表示された時間を気にしつつ、彼女はヘルメットを脱いで空を仰いだ。
 その顔を見てマビーナは言葉を続ける。

「それとも、テムジン殺しのリーネ=リーネとお呼びすればよろしいですか?」
「……物書き風情が随分とご大層な通り名をくれたもんだね? 鬱陶しいったらありゃしない」
「レヴァナントマーチと呼ばれる一連の撤退戦において、最も多くテムジンを撃墜したエース」
「って書いてたねぇ、フレッシュ・リフォーの広報誌にはさ。ちゃんと取材してんのかね」
「生還したパイロット達の証言を基に書いてますよ、私は。貴女の撃墜数はテムジンだけで38機」
「これだ、まったく……正確には42機さね。もういいかい? あたしゃ朝は低血圧で機嫌悪いんだ」

 短く切り揃えられた髪が、僅かに朝凪の空に揺れる。リーネの顔にはあからさまな苛立ちが見て取れた。しかし飄々と、マビーナはマイペースで引く気配を見せない。
 シヨが笛を何度となく鳴らして誘導を試みても……ライデンとエンジェランは対峙したまま、動こうとしなかった。周囲もまた、その様子を遠巻きに見守りつつ。気付けば前線への出勤そっちのけで見入っている。

「最近も随分と御活躍の様子で。ま、お陰で私はデスクワークから解放されて前線にこれたんですが」
「はン、そいつは良かったねぇ。せいぜい弱兵に媚びてオッ勃たせてやんな。少しは張り合いも出る」
「上層部の命令は鼓舞ですけど。私はまぁ、折角だから叩いておきたいんですよ……敵の主力を、ね」
「よしとくれ、中間管理職も大変なんだ。カメラの前でエンジェランを潰したら……始末書もんさね」

 ルインが背後で、第一小隊への救援を無線にぼそぼそ呟く。その声を塗り潰すように、音を立てて両機のコクピットが閉じた。
 周囲の煽る声を受けて、交差点は戦場と化した。

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