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《御覧のように、バーチャロイド同士による市街戦は非常に危険です。その為――》

 エルベリーデの声は優雅で気品に満ちて、シヨの耳に染み入るように溶けてゆく。しかし、当のシヨ本人は、その声音に聴き惚れている余裕はなかった。ウィスタリア自治法を説明する声よりも、今自分が操る愛機からの、声なき無数の音を聞く。

「止まってたら、狙撃される。レーダー、索敵……リーイン、どこ?」
《口に出てるわよ、シヨッ! 背中、いただきっ!》

 ヘッドギアのレシーバーから、同僚の声が脳裏を突き抜ける。瞬間、シヨは握るスティックを倒してターボスロットルを叩き込む。マインドブースターに光が爆ぜて、テムジン421号機は低い姿勢で猛ダッシュ。同時に、今まで身を隠していたビルへと、模擬戦用の弾着がペイントを塗りつけてくる。
 こじるような足取りを命じて、シヨは弾道を計算すると同時に機体を飛翔させる。遠くに射撃体勢のテムジン412号機が、更にその向こう側に……ズラリ並んだ箱、リーのカメラが自分を見詰めていた。
 ここはウィスタリア内のバーチャロイド適正訓練所。六月下旬の日差しを浴びて今、シヨはリーインと模擬戦の真っ最中だった。目的は一つ、このウィスタリアRJという特殊な街の、その自治法をより理解してもらうこと。初夏の交通安全週間でもあり、その指導にMARZは女性パイロットを選抜していた。

《この区画は、市街戦の教習用に作られてますが、実際の街はもっと脆いものです。ですから――》

 シヨのテムジン421号機を見上げて、リーインもまた戦いの場を空へと求めた。多くの教習生が驚きの声を上げる中、頭部のアンテナを翻してテムジン412号機も地を蹴る。その手にはシヨの機体同様に、"CGS type b2/p"が握られていた。テン・エイティ用の武装を、MARZが訓練の模擬戦用に改造したものだ。
 両者の握る銃に、ブレードの光が灯る。無論、見せかけの光だけ。

「空中近接……モーションが、やだ、わたしまだ登録してな――」
《ふっふーん♪ 悪いけど私、こないだエリオンをサンプリングして作っちゃった》

 ある意味、苦労したのよね……そう呟くや、リーインの機体が中空で加速する。咄嗟にシヨも、呼応するように飛び出した。滑らかなリーインの斬撃に対して、シヨは咄嗟に光学キーボードを叩きながら、その場でモーションを繕う。
 不恰好に相手と交差した瞬間、テムジン421号機の前面に、ばっさりと塗料がぶちまけられた。
 これが本物のスライプナーであれば、コクピットごと前面装甲が割られている。終了を告げるエルベリーデの声に、溜息を零してシヨは着地。作り物の街を抜けると、居並ぶリーの視線にさらされながら、とぼとぼと愛機を歩かせた。共有回線にはパイロット候補生達の、興奮と感嘆の声が交錯している。

「では二組に別れて、実際に指導の下で、ウィスタリアの道交法を体験して貰います」

 大勢の前に立つテン・エイティ――テムジン431号機のコクピットが開かれ、すっとエルベリーデが乗機の胸に立った。良く通る美声に、あちこちから「おおー」と声があがる。美貌の麗人を前に、パイロットの卵達は互いの機体を向け合い、あれこれと回線に呟き会っていた。

「A班からD班までの16機は、私のテムジンに続いて下さい」

 機体を教習市街地の入口に立たせて、リーインもハッチを開け放つ。やはり歓声が彼方此方から響き、口笛が添えられる。才媛才女そのものといった、理知的な顔立ちのリーインは、エルベリーデとはまた別種の好意が寄せられているようだった。
 シヨも手筈通り、被弾を示すペイントまみれの愛機を並べる。早く終らせて、洗ってあげたい……しかし、今日のような活動もMARZの大事な任務。気を抜かず機体を静止させて、ハッチを開放すると同時にセーフティジャケットを外して立ち上がる。

「E班からG班まれの12機は、わ、わたしが担当になりまぐっ。……よ、よろしくお願いします」

 ――噛んだ。二度も。
 注目を浴びてシヨは硬直し、先程の模擬戦披露も手伝って気恥ずかしさに真っ赤になる。巻き起こる笑いにしかし、何故今日の任務がこの三人なのかを、シヨはぼんやりと理解し始めていた。老若男女を問わず、教習生達には緊張を与えぬよう、和やかな雰囲気を作る配慮がなされていた。
 同時にちょっとしたサービスもあったが、それが逆にシヨの方を緊張させる。

「では皆さんは、以後は二人の指導員に従って下さい。本物のウィスタリアだと思って……」
《ネーチャンよぉ、俺達ぁ誰が相手してくれんのかな?》
《まさか俺等まで、初歩の初歩からやらせようなんて思ってないよね》
《上に言われて来ちゃいるけどね、悪いけどこちとらヒヨッコ共とは違うのよ》

 広い訓練場の敷地内に、ドスの利いた野太い声が響いた。不安げに教習生達がリーを振り向かせれば……先程から模擬戦を退屈そうに見ていた一団が、ずいと機体を前進させてくる。危なげな足取りで、誰もが道を譲った。
 エイジにジョー、ジェーン……どれも実弾を装填した実戦装備を搭載している。
 今日の講習には教習生以外に、三名の熟練パイロットが参加していた。昨日この東部戦線に着任したばかりで、ウィスタリアの右も左も解らない……しかし戦争を知り尽くした古参兵。彼等は部隊で戦う前に、この街でのイロハを教わりに放り込まれたのだ。ウィスタリアRJはその規模故に全てがバーチャロイドサイズで整備され、独特な法が数々ある。それを知らなければ、補給や修理も受けられない。まして守らなければ、即座にMARZに御用となるのが常だった。

「少々お待ち下さい、軍曹さん。皆さんはわたくしが担当することになりますので」
《ほう、こんなベッピンさんが! いいねぇ、お嬢ちゃん達より俺はネーチャンみたいなのが好みよ》
《午後から出撃なんだがよ、道交法や自治法がどうとかより……じかに色々教えて欲しいですねぇ》
《そうそう、例えばこの街で、一番雰囲気のいいお店とか。教本に書いてないことを、さ》

 三機が揃って、メインカメラをズームさせた。毅然と立つエルベリーデの、その身体のラインを際立たせるパイロットスーツ姿を、モーターの作動音がなめてゆく。
 しかし眉一つ動かさず、エルベリーデは微笑を湛えたまま――表情も明るく、恐るべき一言を放った。

「では、こうしましょう。わたくしと模擬戦をして勝ったら……出撃までお付き合いしますわ」

 シヨは唖然として言葉を失い、取り戻した第一声を叫ぶ。それは文脈も何もない、驚きの声となって教習生達と共に空気を震わせた。リーインがフンと鼻を鳴らして、腕組み眼を細める。

「エ、エルベリーデさん、危ないです。あの子達、結構アチコチいじってると思うんですけど」
「あら、わたくしのこの子も、ベンディッツ班長と整備の皆さんが手を入れてくれてますわ」
「一査、武器を。これ、使って下さい」
「ありがとうございます、リーインさん。ペイントは……まだ量が残ってますね。では」

 リーインの機体から武器を受け取り、塗料の残量を確かめると。エルベリーデはニコリとシヨに微笑み、コクピットへと消えた。ハッチが閉じられると、テムジン431号機の……便宜上そう呼ばれるテン・エイティのメインカメラが光る。
 その機体は軽快な足取りで、市街地を精密に再現した教習地区の中へ消えた。

《おいおいネーチャン! こっちゃー実弾装備なんだぜ?》
《いつでもどうぞ。教習生の皆さんは、五分ほど待って下さい》
《……は? 五分? おいネーチャン。今、五分とか言ったか?》
《五分もあれば充分ですわ。それと、ここは実弾訓練も実施する場所ですので》

 遠慮は無用だと無線に囁く、その涼やかな声をVコンバーターの咆哮が遮った。三機は見守るシヨにも解る位、手際よく油断なく、小隊を組むや市街地を模した一角に侵入する。エイジがビルの陰に身を寄せて先を探り、そのすぐ横にジョーが、ジェーンが続く。まるで三位一体、一つの生き物のように統制の取れた一団は、互いにゴーサインを叫ぶや突入した。
 三機の駆動音が教習市街地に消えると……辺りは静かになり、共有回線を教習生達のお喋りが行き来する。誰もがみな、突然のハプニングに好奇心を隠せずにいた。その無邪気な声に耳を傾けていると、シヨは直通回線でリーインの溜息を聞く。

《シミュレーターでなら私も戦ったけどさ……実際、いい機会だと思わない?》
「えっ? あ、ああ、うん。わたしも、エルベリーデさんが実際に戦うのは、初めて見る、かな」
《隊長と組んで一応、結構事件解決してるらしいけどさ。やっぱ、じかに見せて貰わないとね》
「そ、そうなんだ。今の人達も……そう思ってるのかな?」

 ヘッドギアのインカムを指でもてあそびながら、シヨは愛機の頭部に寄りかかって市街地を見詰める。その視界の隅に、華奢でどこか貧相なテン・エイティが舞い上がった。空中で姿勢を軽やかに制御して、足元へとペイント弾をばら撒きながらビルの谷間に消えて行く。
 そこから、共有回線を悲鳴と絶叫が支配した。
 何事かとシヨは、隣のテムジン412号機を見やる。リーインはもう、コクピットに滑り込んでいた。同時にアンテナ付きの頭部が振り向き、メインカメラが情報を求めて光を走らせる。

《やられたっ! クソッ! スポンサーの広告がベッタリと……ファーック!》
《待て、突出するな! ……よし、いいぞ! 追え! ガンホー! ガンホー!》

 銃声が響いて爆光が市街地を満たした。それが断続的に連なると、シヨは迷わずコクピットに滑り降りる。リーインが教習生達に待機を命じる声を聞きながら、セーフティジャケットに固定されてモニターの文字を追う。
 しかし、武器がない。今の愛機は、大きなスプレー缶を持っているに過ぎなかった。しかし必要がないのだと、シヨは突然視界に転がり込んで来た機体を前に痛感する。
 べったりとペイントを塗りたくられ、特に入念にカメラを塗り潰された……それは先程突入した機体の一機だった。サブカメラもやられているらしく、うろうろと亡霊の様に彷徨うジェーン。

《隊長、そっち行きました! 次の角で挟みこん――!?》
《どうした? おい、応答しろ! ……何だ、何が……こりゃ、模擬戦なんてもんじゃ》

 続いて追い出されるように、エイジが街から飛び出てきた。最後によろりと、ジョーが膝を付いて教習市街地の出入り口に沈黙する。どの機体も、被弾を示すペイントで……自慢のアームズアートもスポンサーのロゴも、所属部隊を示すマーキングも見えはしない。

「では、改めて講習を再開しましょう。あら、30秒ほど時間をオーバーしてしまいましたね」

 再びコクピットから姿を現し、オートで歩行するテムジン431号機の上には……汗一つかいていない、涼しげな笑みのエルベリーデがあった。彼女の愛機は、ペイントの塗料をキッチリ使い切っていた。
 機体性能をものともしない、圧倒的な技量と実力の差が色彩を放っていた。

「やっぱ、いるんだよね……バーチャロンポジティブの高い人というか、凄く操縦、上手い人」
《可愛げないの。あーあ、エリオンのバカ……え、ああ、そりゃいるわよ。私、もう一人知ってるし》

 シヨとリーインの直通回線を、溜息を乗せて虚しい言葉が行き来した。

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