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 マーズシャフト作業坑へと向かう、一本のエレベーター。今、その上に機体を並べる一団があった。斜陽の残滓に縁取られたマーズブルーが、そろって整列する搭乗者を見下ろす。
 シヨは訓示を述べる署長の後ろで、身を正す三人を見守った。

「諸君! ここにMARZウィスタリア分署臨時特務小隊の設立を宣言する。今、利潤や採算を度外視して、何より今回の事件を信じて動けるのは我々しかおらん! 各員奮闘を期待する!」

 見送る誰もが手を振り、その波にさらわれながらシヨも周囲に倣う。

「各員、搭乗」

 エルベリーデの短い一言で、彼女を含む三人は一度敬礼、その後愛機へと昇るケーブルを手にした。
 通りの中央に忘れ去られていたエレベーターは、今や人だかりで囲まれていた。不思議と、この火星から避難するという混乱は起きていない。WVCをはじめ各メディアで散々、今日の分署襲撃事件が中継されたにも関わらず。
 誰もが皆、現実感をもてないでいるのかもしれない。
 またいつもの、愉快犯かもしれない。
 だが、シヨには嫌に鮮明な確信があった。

「せいぜい気張れよぉ、MARZの! テレビ見てっからなあ!」
「よっ、正義の味方っ! 悪の組織をぶっ潰せー、ってかあ」
「マーズシャフトの破壊、ねえ。……ま、ありえないと思うけど」

 周囲の観衆は無責任な声をあげる。
 シヨが知る限り、各企業国家は賢明だった。人類史上最大規模のテロを、ブラフだと切り捨てはしなかったから。だが、同時に全力阻止行動が必要との確証も得られず、身動きできずにいる。こうしている間も株価は静かに鳴動を続け、あらゆる火星圏のコーポレートアーミーが待機任務に入っていた。
 そうした中、MARZは出撃する――危機の可能性が1%でも、それ以下でもある限り。

「各員、搭乗完了。各機、起動。エレベーター降下、開始します!」
「マーズシャフト破壊阻止限界時刻まで、18時間を切りました!」

 MARZの職員達は皆、忙しく働いている。最後までバーチャロイドに付きっ切りだった整備班達も、今はVコンバーターの唸りをあげる機体から離れ始めていた。
 シヨはエリオンが、リーインが、そしてエルベリーデがコクピットハッチの底へ消えるのを見送った。
 同時に三機のテムジンを乗せたエレベーターが、静かに沈んでゆく。

「みんな、頑張って……無事、帰って来てね」

 祈るように手に手を重ねて指を絡め、シヨは見えなくなるまで仲間達を見送った。対照的に署長は、儀礼的なやり取りが終るや、急いで分署へと引き返してゆく。その間も周囲の職員達と、モバイルを手に各企業との折衝は続いていた。
 シヨもまた、自分がすべきことを求めて踵を返す。
 そんな彼女を人混みの中から呼び止める声があった。

「心配かね、タチバナ三査。せめて私も同行できればよかったのだが」

 純白のパイロットスーツ姿が、腕組みシヨを見詰めていた。その眼差しは翻って、遠くへ落ちてゆく夕日へと細められる。白閃の騎士、リチャード=ラブレスはまだこの地に留まっていた。

「白騎士さんは、これから帰還ですか? その、艦隊の方に」
「うむ、次なるシャドウ殲滅の任務が待っているのでね。一言挨拶をと思ったのだが」

 端正な顔立ちを実直さで引き締め、リチャードはシヨへと歩み寄った。
 眉間に寄ったしわが、無言で本意を語っていた。

「えと、お見送り感謝します。白騎士さんは、あ、ラブレス卿」
「リチャードで構わぬよ、卿などと仰々しい」
「ありがとうございます、リチャードさん」

 周囲の人が三々九度に散ってゆく中、シヨはリチャードの長身を見上げた。
 あくまでリチャードがこの地に訪れたのは、シャドウ殲滅の為。それがたまたま、敵性勢力のウィスタリア分署襲撃と重なったに過ぎない。否……襲撃を受けたからこそ、シヨのパートナーはシャドウ現象を発現させてしまったのだ。

「フェステンバルト卿は厳しいお人だ。容赦がない。が、できれば、その、うむ、まあ」
「そんな……いい勉強にもなりました。勝負は勝負ですし、あれは多分――」
「多分?」
「チャンスをくれたんだと思います。わたしが納得できるように」

 つまり、白騎士を相手に戦える人間……勝てる人間こそが今、戦力として求められていた。加えて言えば、エリオンやリーインを指揮する人間が。それは無論、リタリー不在の今はエルベリーデしかいないが。そのことを彼女は、シヨに納得させてくれたのだ。
 さらには、チャンスまで……もし自分に勝てるのなら、シートを譲る価値があると。
 何よりもパイロットとしての資質が、経験が、単純な力量が求められてもいた。

「でも、白騎士さん達のテムジンは凄いんですね」
「私もあのa8に乗り換えてからは舌を巻くばかりだよ。a3でさえ、常軌を逸しているというのに」

 二人は揃って、分署の建物を振り返る。
 後片付けもあらかた済んだ玄関口正面に、白亜のテムジンが立ち尽くしていた。

「しかしタチバナ三査、君も大したものだ。機体のハンデをもろともせず」
「ハンデだなんて……わたしには、わたしのテムジンが一番なんです。けど、もう……」

 シヨが目を伏せれば、僅かに睫毛が湿り気を帯びる。
 既にもう、彼女の愛機はない。今は擱座大破した機体として、ハンガーに運び込まれているだろう。後は利用可能なパーツを取られ、その役目を終える。
 だが、シヨの役目がそれで終るということではない。
 今、シヨには逆に、始めなければいけないことがあった。

「でもっ、大丈夫ですっ。わたしにもまだ、できることがあるから」

 毅然と顔を上げるシヨに、リチャードが頬を崩した。ほっとしたように肩の力を僅かに抜いて、ポンとシヨの頭をなでる。一房の紫髪が揺れて、離れる手を追うように跳ねた。

「それでこそだ。私もあれを艦隊からMARZに持ってきた甲斐があるというものだ」
「あっ、コンテナの……資材提供、感謝しますっ。きっと、役立ててみせますね」
「あのお方が持って行けと。ふっ、閣下には全て何もかもがお見通しなのかもしれん」
「あの、お方……? リチャードさんにも上司さんとかいるんですか?」
「見た目は君と変わらぬ少女だがね。強い権限で世界を導く理の女神だよ」
「わっ、わたしは少女って歳ではないです〜」

 声をあげて笑うと、リチャードは歩き出す。その背を追って分署に帰るシヨは、頬を膨らませながら猛抗議した。したつもりだが、やはりほがらかな笑いを誘ってしまう。

「兎に角、君が何をしようとしているのか私にも解ってきたよ。実に面白い……やれるかね?」
「やりますっ。予備戦力はあるにこしたことありませんし、ただ祈ってもいられませんから」

 足を止める白騎士が、最後に白い歯を零して笑った。その微笑みに敬礼を返して、シヨは白いテムジンへとリチャードを見送る。その姿が宙へと舞い上がり、定位リバースコンバートの光に消えるまで……気付けばシヨは見守っていた。
 そんな彼女を、ガランとした分署のハンガーから整備班達が呼ぶ。
 もうひとつの戦いが今、静かに開幕しようとしていた。

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