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 その日、モガの村は穏やかな午後を迎えていた。今日は毎日頻発する地震もなく、モンスターハンター達も大半がくつろいでいる。オルカが熱い茶を片手に囲む窓際の卓からは、平和そのものの村人達が窓の外に見えた。
 他の仲間達も同じ食堂で、各々の時間を過ごしていた。
「オルカ君、きみの番だ」
「はい。ええと、飛車というのは確か」
「縦横に無限に動ける。そう、そういうのはアリであるな。……待った! 待ったニャ!」
 オルカは今、ニャンコ先生と盤を挟んで正対している。これは東洋はシキ国に伝わる、将棋という遊びだ。複雑な駒運びのルールが独特で、しかし奪った駒は自分の物として使えるのが面白い。まるでそう、飛竜を倒して甲殻や鱗を纏うモンスターハンターのようだ。
 本日何度目かの待ったに、思わずニャンコ先生の言葉が拙くなる。
 駒を戻して長考に腕組み唸るニャンコ先生から視線を外して、オルカは静かに吹いてくる潮風が満ちた食堂を見渡した。ルーンは愛用の武具を手入れしているし、その弟である夜詩は調合書とにらめっこだ。台所からは棘肉を丁寧に煮こむ香ばしい匂いが立ち込め、ざくろがせっせと夕飯の準備に大忙し。そして勿論、ニャンコ先生がいるということは……モガの森の魔女も村を訪れていた。
「エル、ゆっくりと……ゆっくりと挿入れてください。焦らないで」
「こ、こうですか? んっ、うまくいかないです!」
「大丈夫です、あたしは初めてじゃないので。そう、そのまま」
「あ、挿入りました! 凄いですね、エルびっくりです。ここに挿入れる物なんですね、これ」
 エルグリーズは今、食堂のテーブルでアニエスと額を寄せ合い汗だくになっている。大いに誤解を招いて誘発する言動の彼女は、その手にきらびやかな王冠を握りしめていた。時々狩猟船が海底から引き上げるガラクタには、こうしたものが混じっていることがある。そして、王冠の中央には今しがたエルがはめこんだ輝石が光っていた。こうして完成した亡国の王冠には、双頭の龍が刻印されている。今は滅びて歴史の彼方に忘却された、旧世紀に栄えた文明の一端へオルカは思いを馳せた。
 遥斗が鍛冶屋から戻ってきたのは、そんな時だった。
「ああ、遥斗。おかえり、どうだった?」
「……新しく、太刀を作ることができました。これです」
 仲間の帰宅に一同、それぞれ手を休めて集まり始める。少年ハンターの手には今、無骨な太刀が握られていた。その作りは、先日凍土で遭遇した黒曜石の魔獣、砕竜ブラキディオスの素材より削りだされた物だ。深い青をたたえて光る鞘を払えば、黄緑色から茜色へとグラデーションを彩る刃紋が鋭さを無言で語っている。
「ディオスソード、その改か。よかった、遥斗の太刀は折れちゃったからね。ルーン、どうかな?」
「ああ、申し分ない逸刀だ。鍛冶屋のオヤジ殿は、相変わらずいい腕を……ん? どうした遥斗」
 目利きのルーンも新造された太刀に目を細める。その言葉に嘘偽りはなく、この熟練ハンターが武器を吟味する目は常に厳しい。そのおめがねに叶うということが、自然とこの太刀に秘められた力をなによりも裏付けていた。
 だが、遥斗はなんだか浮かない顔でディオスソード改を鞘へとしまう。
「いえ、その……僕にもわかります。この太刀がどれだけ凄い武器なのかが」
「であろう、少年! うむ、オレも素材を揃えて剣斧をと考えているくらいだ。爆砕せし豪破の武器……イイ!」
 なにやらテンション爆超の夜詩が、一人腕組み頷いて明日を見つめ出した。
 それでも遥斗は、ため息を零して小さく呟く。
「僕はあの日、全く戦力になってませんでした。足を引っ張り、ご迷惑をかけ、ネコタクで運ばれて」
 オルカは瞬時に遥斗の劣等感を察知したが、なにも言わずに言葉を待つ。そしてそれはルーンも同じようで、奥からおたまを片手に出てきたざくろも「あらあら、まあまあ」とのんきに微笑んでいる。
「でも、どうしてギルドはそんな僕に砕竜の宝玉を……とても貴重なものだと言われました」
「うん、武器や防具の作成には欠かせないだろうね」
 オルカにも知識はある。上位やG級と認定される、より強力な個体はとても希少な素材を秘めていることがある。それが紅玉や蒼玉、宝玉と呼ばれる結晶だ。飛竜の体内で生成された物質で、武具を一揃え作るには欠かせない。具体的に加工に使うのではない……ギルドと鍛冶屋、工房が定めた暗黙の了解だ。宝玉の類を得るまでその種を狩り、その種を理解して制覇した者だけが、相応しい武具を素材から鍛えて高めることを許されるのだ。
「ふむ、少年! こんな小話がある。マボロシチョウという貴重な蝶がいてな」
 有名な話だが、鍛冶屋や工房は時として、なにに使うのかよくわからない素材を要求してくることがあるのだ。セッチャクロアリやキラビートルなどは有名な実用素材だが、マボロシチョウや小金魚など、時に首を捻る素材が求められる。夜詩が話しているのは、そのことに疑問を持った未熟なハンターが、ついにキレて鍛冶屋に怒鳴り込んだ時の話だ。
「鍛冶屋の老人はこういったのだ……腰のワンポイントに使うんじゃい! とな。ハッハッハ」
「ええと、まあ、その話は別にして。遥斗さん、気にしてらっしゃるんですね? 自分なんかが宝玉を、と」
 夜詩を押しのけ、アニエスが前へと歩み出る。遥斗は小さく頷いた。
「こんなに価値の高い素材は、僕に払われるべき報酬では……オルカやヤッシーさん、ノエルさんが」
「それは違います、遥斗さん。遥斗さんは、なにか勘違いをなさってますね」
 遥斗の声を遮り言葉を押しとどめて、アニエスは人差し指でその唇を封じる。そして笑顔で、
「狩りの報酬、素材は誰にでも平等に配られます。今回はたまたま遥斗さんがいい物を得られただけですよ」
「でも……ハンターは素材の融通をしない、自らに戒め控えると聞きます。僕は、本来なら宝玉は」
 遥斗はちらりとオルカを見た。
「オルカにまず真っ先に支払われるべきです。オルカは、大事な武器を壊してしまいました」
 オルカのランドグリーズは、リミッターを解除して限界まで内蔵ビンの力を引き出したため、修復不能なレベルまで壊れてしまったのだ。手痛い出費がかさむが、あの場では最善の選択だったと本人は納得している。
「遥斗さん、もしオルカさんに、仲間に申し訳ないと思うなら……まあ、本来そう思う必要はないのですが」
 アニエスは優しく微笑み、遥斗の手を取り静かに、しかし強い言葉で告げる。
「新たに得たその力、その太刀で仲間の狩りを助けてください。貴方の力は私達の力、それは私達全員の成果ですよ」
「アニエスさん……」
 うんうんと頷くルーンも、その横に寄り添うざくろも温かい眼差しを遥斗に注いでいた。
 オルカもまた、納得したようなできないような顔でうつむく遥斗の頭にポンと手を載せる。
「そゆことだよ、遥斗。いい太刀じゃないか、頼りにしてる。次の狩りで俺達に楽させてくれよ?」
「そういうことだ、少年! オレもまた頼りにさせてもらう……なあ姉者!」
「勿論だ。遥斗はまだまだ危なっかしいが、もう一人前のハンターだからな」
 誰もが頷く中、遥斗を抱き締め抱き上げる長身があった。ふわりと真っ赤な長髪がなびいて、遥斗は後ろから柔らかな感触に包まれる。
「そういうことらしいです、遥斗! エルもそう思うですよ?」
「エ、エル。でも……その……」
「遥斗は頑張ってます! エル、わかります。みんなもきっと、わかってるんです!」
「……そう言ってもらえると、嬉しいんですけど」
 遥斗はもじもじと俯き、その赤らめた顔をまじまじとエルグリーズは見詰めている。
 この場の誰もが思うように、オルカも遥斗の男気と勇気を促すように念じて祈った。
「あ、あの、エル」
「はいっ! なんでしょう、遥斗」
「そ、その……ええと」
「どうしたんですか、遥斗? 顔、赤いです」
「それは、んと……と、とりあえずエルッ! ……か、顔、近いですよ」
 間近でまじまじと覗き込んでくるエルグリーズから視線を逸らして、その抱擁から遥斗が抜け出る。
 純情な少年は今、純真に過ぎる魔女の無邪気で無防備なふれあいに困惑していた。
 だが、エルグリーズは構わず自分の豊かな胸の内へと手を突っ込み、がさごそとまさぐって小さなアミュレットを取り出した。それは、すすけて古ぼけた小さなお守りで、俗に護石と呼ばれる物だ。太古の地層から発掘される品で、特別なまじないによって祈りと願いが封入されているらしい。具体的には原理を解明することはできないが、ハンター達の間では珍重されている。
 エルグリーズは胸元から取り出した小さな護石を、ぎゅむと遥斗の手に握らせた。
「遥斗、これを! エルからです。お祝いです! 遥斗はこれからも、うんと強くなるんです!」
「こ、これを僕に?」
「はいっ! エルはお守りを掘るのが得意なのです。ルーンやアニエスに頼まれて、いつも……ああ、そうでした!」
 エルグリーズは慌てて思い出したようで、自分が背負ってきたリュックへと踵を返す。食堂の隅におかれたリュックはパンパンに膨らんでて、それを持ち出しエルグリーズは仲間達にお守りやら鉱石やら、採取を頼まれていた品を配りだした。
 そういえばオルカは、このモガの森の魔女と呼ばれる娘の狩りを見たことがない。普段は採取や小物の処理を頼まれているだけで、大型のモンスター狩猟は聞いたことさえなかった。その痩身はすらりと無駄な肉がなく、しかし引き締まった筋肉美で優雅な曲線をほっそりと象っている。鍛えあげられた肉体美は勿論、屈強な狩人を彷彿とさせるのだが。その気が抜けた性格も手伝って、どうにも狩場でのエルグリーズが想像できない。アシラシリーズの防具が嫌になるくらい似合う彼女は、そんなオルカの視線に気付くやニヘヘとゆるい笑みを浮かべた。
 そうして静かな晴れた午後の日を過ごしていた、その時だった。
「オルカッ、みんなも! ごめん、揃ってる? 緊急事態! 急いで来てっ……奴が、奴がっ!」
 団欒の空気を引き裂いて、食堂に突然ノエルが飛び込んできた。その逼迫した声は震えて尖り、ベリオ亜種の防具から露出した肌は汗に濡れている。全力疾走で駆けつけたらしく、呼吸も惜しんで彼女は仲間達全員に叫んだ。
「ラギアクルスを見つけたっ! あの巨体、間違いないっ! 今、ウィルが見張ってる」
 その一言に一同、揃って身を引き締め真顔になる。空気は一瞬で緊張感を帯びて張り詰め凍り、誰もが次の瞬間には狩りの装束に着替えるべく自室へと走っていた。オルカもまた、誰よりも早く自分の部屋へと走り出す。
 ただエルグリーズだけが、きょとんと事情もわからない様子で首を傾げているのがオルカには見えた。

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