《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

 一瞬の判断が刹那の間際に生死を別つ。咄嗟に身構え体を逃したオルカのすぐ側を、激流の渦が突き抜けた。大海龍ナバルデウスの発したブレスは、超圧縮された大量の海水。それは水竜ガノトトスの放つ点と線での切断水圧ではない。圧倒的な質量を高速で絶え間なく吐き出す、いわば濁流のような面の制圧攻撃だ。
 必死で泳ぐオルカの背後で、数千年もの歳月で積り茂ったサンゴや群生貝が砕け散る。その時オルカは見た……ナバルデウスのブレスが削る大自然の営みの奥から、暗い光を明滅させる人口の構造体を。
「なんてことだ……この古塔は、まだ生きてる! 何か、底知れぬ力が今も」
 続いて巨体を浴びせるように、ナバルデウスが猛スピードで体当たりに迫る。さながら切り立つ崖の如く聳えるその巨躯の上には、腕組み立ち尽くすエルグリーズの姿があった。その身は今、白い肌を紅蓮の甲冑が包み、その節々からマグマがにらいでいた。それは天へと逆巻く灼髪と共に、水の中にあってすら赤々と燃えたぎっている。
「汝等の命運は尽きた……今こそ世界回路の復活の時。我はその守護を司る、三獄の星龍が巫女」
 酷く冷たく暗い、おおよそ人間のものとは思えぬ声。あの華やいで無邪気で弾んだエルグリーズの声ではない。
 だが、必死で逃げ惑いつつもオルカは反論を叫んで武器を抜く。
「言っている意味がわからない! わからないよ、エル……わかることは俺には一つしかない」
「汝になにが理解できるというのだ?」
「モガの村を守るため、大海龍ナバルデウスを狩らねばならないということ! それを俺が望んでいること!」
「……愚か。我等が塔の最強攻性亜生体が眷属、三獄の星龍へ挑むとは」
 オルカはその手に握る武器の変形レバーに手応えを感じて、強く意思を込めて押し込む。
 まばゆい光を内側から迸らせて、ソルクラッシャーは内に秘めた封龍の刃を顕にした。光そのものとなってオルカの掲げる両手に握られた封龍剣が、煌々と周囲を照らして一瞬だけナバルデウスを怯ませる。
「封龍剣がここにも……おのれ、一万年と二千年の時を経てもまだ、我等が星の意思に逆らうか。封龍士!」
「知らないね、そんな話は。俺から言えることは一つ……そして、俺が! 俺達が! できることは一つ!」
 オルカが大上段に両手で天へと屹立させる輝きが、苛烈な光条の奔流となってナバルデウスに振り下ろされる。周囲を真昼のように照らし、天の星々が落ちたかのような衝撃音を連鎖させながら炸裂する封龍剣。オルカは全身を引きちぎられるような衝撃に耐えながら、天を突く古塔に等しい巨大な刀身を縦に押し込んでゆく。
 ナバルデウスは暴れて周囲の岩盤を無数に剥がしては撒き散らす。
 徐々に顕になる古塔の鳴動が激しくなり、その胎動のような明滅が光を増してゆく。
「信じられん……血の力も古の技も持たぬ、この時代の原始的な定命種が」
 初めてエルグリーズを騙る魔女の顔が醜悪に歪んだ。
 そして、古塔の壁面へと叩き付けられ光に縫い止められたナバルデウスの巨体を、よじ登るように泳ぐ影が二つ。
「血は皆に等しく、技は己にのみ宿って一代で消えゆく! それがモンスターハンターの条理!」
 ぬぅん、と短く吠えて炎が爆ぜた。気合で雷狼竜の力を開放させた夜詩の防具が発熱と共に燐光を発する。炎戈竜の力を封じて凝縮させた鎧の節々が燃え滾って、周囲の海水を沸騰させた。泡立つ熱湯の中で武器を構える夜詩の背に、炎が舞い上がって無数の翼を羽撃かせる。爆炎の十二翼をまとって、夜詩は燃え盛る太陽の如くナバルデウスの喉元に輝いた。
 絶叫がこだまして、茂る髭が斬り散らされる。
「馬鹿な! たかが竜の因子で紡がれし刃が……この、三獄の星龍を! ……むっ」
「あたし達は竜を狩ってその威を纏い、龍をも狩ってその覇を振るう!」
 ナバルデウスの上に不動のエルグリーズだったが、流石に驚き動揺したのだろうか。容易に接近を許したノエルが、手にした矢で斬りかかると、大きく角の上へと身を翻した。気迫を叫んでしかし、ノエルはその後退にニヤリと笑う。不敵な少女の笑みと共に、フェイントに振るわれた矢は、返す刀で展開した弓へと番えられた。輝く瞳の照星は今、目の前で紅蓮に燃える魔女を見据えて……その狙いをわずかに下へと落として弦を引き絞る。
「あんた、エルの中でエルを動かしてるのに……気づかないのかい? これが、モンスターハンターだって!」
「ちぃ、足掻くか定命種! 暗黒ト赤熱ノ剣ト斧……薙ぎ払え!」
 咄嗟にエルグリーズは、逆立つ烈髪の中から炎の剣斧を抜き放つ。迫る矢を斧で切り払って、変形させると同時に剣を身構えた。
 だが、それすらもノエルのフェイント。
 既にノエルは、本命の矢をビンから引き抜くなり番えて全力で弓をしならせる。
「目ぇ覚ませ、エル! エルグリーズ! 遥斗をっ、泣かせる気かっ、このぉぉぉぉ、大馬鹿野郎っ!」
 背後へと飛び退くように泳いで足場を蹴ったノエルが、最大まで引き絞った矢を発射する。それは、エルグリーズの足元へと突き立って巨大な歪角を貫通した。矢継ぎ早に矢を番えては撃ち放つノエルが、徐々に距離を離して浮かび上がる。だが、撃つたびにその矢は勢いを増してついには角を打ち砕いた。
 絶叫が迸り、いよいよナバルデウスは身悶えながら荒れ狂う。
「鎮まれ、静まるのだ! 深淵の海皇よ……くっ、髭は散らされ角が砕かれた、我の制御下にあってこうも」
 その隙を見逃すオルカではなかった。
 強く強く押しこむ巨大な光の刃に、ありったけの声を張り上げ開放を命じる。
 この塔内を専有して壁へとめり込む、ナバルデウスの全長にも匹敵する長大な光剣が七色に眩く膨張してゆく。光そのものの刃にて龍をも滅し斬る古の刃。その名は封龍剣【刹一門】……その本質は、相対する古龍や、それに匹敵する竜の因子に反応する封龍ビンの力。それが今、膨張した刀身から開放されようとしていた。
「おおおおおっ! 属性解放っ、ぶった斬れええええっ!」
 身を声にして叫んだ。
 総身を震わせ吼えた。
 ガラガラと崩れ始めた古塔内で、その壁面へと埋まりながら血を吐き周囲をどす黒く汚すナバルデウスがのたうちまわる。オルカの身よりも幅広な、ナバルデウスの全長をも超える光の剣。その輝く刀身から発せられる封印の力が龍を灼いていた。やがて限界まで膨張した刀身の光自体が、一点へと収束して爆縮する。
 渦巻く海流の中、オルカは反動で吹き飛ばされて逆側の壁面へと叩き付けられた。
 喉元を焼くようにせり上がる鉄の味に、思わず咳き込みながらもナバルデウスを睨む。弱りながらも怒りに震えて発光するナバルデウスの全身はもう、いたるところに部位破壊の後があって満身創痍だ。だが、それはオルカも同じ。同じなのだがしかし、決定的な差がオルカには絶対の信頼として満ちる。そしてそれを理解できぬ声がヒステリックに叫ばれた。
「馬鹿な、ありえぬ! 下等で下劣なこの時代の定命種が!」
 苦しげに身悶えながら怒りも顕なナバルデウスの上で、エルグリーズが灼髪の炎を不安定に揺らしている
 この時点でオルカはもう、勝利を確信していた。
「もう終わりだ、エル……いや、光炎の魔女! 終わってるんだよ」
「虚言を弄すな! 汝だけは許さぬ、この終世末期に蘇った、名も無き封龍士だけは!」
「……俺は封龍士なんかじゃない。俺は、ハンター、モンスターハンターだ!」
 もはやオルカには余力はなかった。全身の筋肉は悲鳴をあげて激痛を訴え、たまった乳酸に呼吸も浅い。風牙竜の防具も、それを纏う己の肉体も重い。だが、ゆっくりとオルカは前へ前へと身を押し出した。
 赤熱化した剣斧に焔を燻らせ、エルグリーズもまたナバルデウスへと何かを命じている。
 だが、もう終わっているのだ。オルカがその場所へとナバルデウスを縫い止め動きを封じた時点で。
「動け、我の意思に従い定命種の足掻きを蹴散らすのだ! ええい、それでも三獄の星龍たる――」
「もう、黙れ……それ以上、エルの声で喋るな。いいや、黙らせるっ!」
 その声は、静かにはっきりと響いた。
 それで振り返るエルグリーズの表情が戦慄に凍る。
 そこには、ナバルデウスの背後、壁面に突き出た構造体の上で大剣に力を込めるルーンの姿があった。既に防具は燃え落ち、インナーすら燻る炎に焦げてほつれている。全裸に等しい彼女はしかし、引き締まった体中の筋肉で、担いで振りかぶる剣を一気に振り下ろす。
 それは、ナバルデウスに届く切っ先ではなかった。
 だが、終わりの一撃を呼び覚ます。
「馬鹿が! そのような距離で届かぬよ……なうっ!?」
 ルーンは最大限の力で、足元にある巨大なスイッチへと剣を叩きつける。雷狼竜の稲妻を封じた一撃が、長らく眠っていた回路へと電流を一気に流し込んだ。
 そして、腹の底に響く轟音と共に、塔内にオルカ達が全員で持ち込んだ龍撃槍が飛び出す。
 それは、見事にナバルデウスの巨体を穿ち、その胸を突き破った。
 衝撃で振り落とされて海水の渦へと放り出されたエルグリーズへと、オルカは最後の力で飛翔する。手に持つソルクラッシャーは既に、全ての力を使い果たして斧へと戻っていた。それを身を捩って引き絞るや、飛び出してくるエルグリーズへと叩きつける。
 禍々しい炎の鎧が木っ端微塵に砕けて星屑の如く周囲に光をばらまき、見慣れたエルグリーズの裸体が力なく沈んでいった。
 最後の一撃に脱力しながらも、ゆっくりとオルカは落ちてゆくエルグリーズを追いかける。
 逆さまに海底へと泳ぐオルカが目線を並べると、瞳を開いたエルグリーズの目にはいつもの光があった。
「……オルカ、エルは……エルは」
「何も言わないで。きっと遥斗が何も言わせないから。だから俺も聞かない。……おかえり、エル」
「エルは、人間ではなかったです。エルの体は、エルの物ですらなかったんです!」
「顔、近いよエル。それとね……君は誰の物でもないし、物なんかじゃない。唯一にして絶対、君は君だろ?」
「違います! エルは、ええと、シークモード? でしかないです……エルの中の魔女が眠る間の、嘘のエルなんです」
「それは俺達が決めることだ。そしてね、エル。遥斗が選んでくれることなんだよ? そうだろ?」
 エルグリーズの紅玉の如き真っ赤な瞳から涙が零れた。それは真珠のようにキラキラと海水の中で珠となって浮かんでは消える。
 オルカはくしゃくしゃと、エルグリーズの髪を撫でる。その赤はもう、燃え盛る紅蓮の炎ではない。
 だが、エルグリーズはビクン! と体を痙攣させるや、瞳の色を失い表情を変えた。
「リブート完了……やってくれたな、定命種。三獄の星龍が一角を崩すとは」
「……お前は、何者だ。魔女とは、世界回路とは!」
「喋る言葉を持たず、それを受け入れる叡智は失われて久しい。汝等の歴史が始まる前の神代の世界と知れ」
 それだけ言うと、再びエルグリーズの髪が炎と燃える。そして、またしても彼女の身をあの鎧が包み込んで燃え盛った。何度でもよみがえる不死鳥の炎の如く、その鎧はエルグリーズの体から浮かび上がってくる。あたかも、それが彼女の鱗と甲殻であるかのように。
「最後の封龍士よ、また会おう」
 ありったけの憎悪を込めた目でオルカを射抜いて、エルグリーズは閃光を放って消えた。
 その背後に巨大なナバルデウスの躯を見やりながら、オルカは海底へと着底するやそのまま崩れ落ちた。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》