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 寒冷期の終わりを告げる、大洋からの季節風。それは嵐となって吹き荒れ、舞い上がる砂は夜空を覆う。ぼんやりと赤い月だけが照らす、ここはセクメーア砂漠。古の言葉で「乾きの海」と詠われた、荒涼たる死の大地である。

「酷い天気だ!こう視界が悪くちゃ…なぁ、そっちはどうだ?オジョーチャン」

 必要以上に身を寄せ、酷い口臭を撒き散らす背後の男。狭い見張り台の半分以上を占拠する巨漢を、少女は毅然と押しやりながら首を振った。愛想と愛嬌に見放されたかのような、度を越した無表情で。彼女はニタニタ笑う背後の男を無視して、再び双眼鏡を目に当て瞳を凝らす。砂の海を渡る商隊の前に、帰路を阻む障害は見当たらない…今はまだ。

「嫌なガキだぜ…ま、夜が明ければレクサーラだ。久々に羽根が伸ばせるってもんよ」

 熱い料理に美味い酒、暖かい寝床と美しい女…行く先に待つオアシスの街を思い描き、男も再び嵐を睨んだ。緊張感に欠けた歌を口ずさみながら、真剣な眼差しで砂塵のカーテンをめくってゆく。月はいよいよ赤く傾き、風は激しさを増して吹き荒れる。こんな夜に商隊が襲われるなど、滅多に聞く話ではない。だが、ここは人智の及ばぬ大自然…誰もが気を緩める必要を認めはしない。それこそ彼等が彼等である所以であり、彼女等が彼女等たりえる絶対条件。
 後の世に人々は、活気と狂騒に満ちたこの時代を懐かしく振り返る。誰もが熱っぽく語り、心躍らせて聞き入るだろう…急激に生活圏を広げ始めた人類が、近代文明への扉を鉄と骨で叩いた黎明期。雑多な思想と宗教が渦巻き、多種多様な人種と価値観が入り乱れるこの時代は、極めてシンプルな理を全生命に課していた。即ち「狩るか狩られるか」である。まだ人が自然の驚異に怯え、抗いながら共存していた、そんな時代の先駆者達を…あらゆる時代の人々がこう呼んだ。

「その名はモンスターハンター、命知らずのロクデナシィ〜っとくらぁ!…んぁ?」

 右手の双眼鏡を目元に、左手のホットドリンクを口元に。交互に運んでいた男は、調子っ外れの愛唱歌を途中で飲み込んだ。夜空と砂漠の見えない境界線に、無数の蠢く影を見出して。僅かに揺らぐ地平線は、やがて小さな背ビレの群に沸き立つ。男がしゃがれた声を張り上げると同時に、止まる竜車の見張り台から、少女は身を躍らせて飛び降りた。幌を掻き分け仲間のハンター達も、我先にと寝袋を飛び出してくる。

「荷を守れぇ、ガレオスどもだ!」
「魚竜の群か…せいぜい小遣いでも稼がせてもらうかね」
「おいおい、悠長に剥ぎ取ってる暇なんざ無いぜ?」
「無駄口を叩くなっ、速いな…来るぞっ!」

 闇夜の僅かな光を拾って、狩人達の刃が煌く。少女も背負った巨大なボウガンを展開すると、手早く弾丸を押し込んだ。スコープ越しに覗く先に、砂煙を上げて疾駆する魚竜の背ビレ。決して危険度の高い獲物ではないが、気を抜けばこちらが獲物と成り果てる。刺すような冷気に白い深呼吸を刻んで、軽く息を止めて。一度顔を上げて天を仰ぐと、彼女は改めて兜を被り直した。長い金髪を押し込み、顎紐をきつく締める。次に吸い込んだ息は既に、血の匂いで満たされていた。迷わず銃爪を銃身に押し込む。
 最初に接触した一匹目はハンマーで砂から叩き出されて、殺到するハンター達の刃に沈黙。続く二匹目は、背ビレで炸裂した徹甲榴弾に驚き飛び出て、やはり前例に倣った末路を辿った。各所で鉄槌と斬撃が響き渡り、風の音に掻き消されてゆく…先手を取ったのはハンター達。だが、それで終わり。闘争は一方的に打ち切られ、あっという間にガレオス達は霧散して消えた。

「なんだぁ!?お、おい…こりゃ様子がおかしい」
「呆気ねぇな…何だありゃ?普段なら波状攻撃をかけてくるのが定石なんだがなぁ」
「ああ、こりゃ狩りの空気じゃない…まるで逃げるような。追われてるような」

 二発目の徹甲榴弾を装填する、その手を止めて少女は無言で振り向いた。東の空は僅かに白み始め、その彼方へと背ビレの群は溶け込んでゆく。弱まり始めた風の音だけが虚しく響き、互いに顔を見合わせるハンター達の不安を煽った。
 こんな夜に商隊が襲われるなど、滅多に聞く話ではない。だが、滅多に聞き得ぬ話を彼等は今、街へ戻ったら語ることになるのだ。そしてこの手の話は往々にして、吉報だった試しが無い。少女は胸に手を当て、不安に煽られ踊る鼓動を宥めた。心臓は早鐘のように高鳴り、そのリズムに共鳴するように砂の大地が揺れ沸き立つ。激震…乾きの海に津波が押し寄せた。

「なっ、何だっ!?何が起こったぁ!」
「ヒァア!荷がっ、大事な商品がっ!」
「バッキャロォ、出てくんじゃねぇ!…そうか、下かっ!」

 眼下を巨大な何かが通過し、その余波を被り竜車は横転した。魚竜程度では身じろぎもせぬ、よく訓練された草食竜達でさえ…我を忘れて暴れまわる。慌てふためく商人達を怒鳴りつけ、出てきたそばから幌の中へ押し込みながら。男達は地中を飛び去った震源に目を細める。日の出へ向けて次々と屹立する砂の柱。その震動が鎮まった瞬間、少女は一日の始まりを告げる光の中に…一生の終わりを告げるかもしれない、巨大な竜の姿を見た。

「もう終わりね…寒冷期も」

 それが彼女の、ジゼットの率直な感想だった。予感が現実となった今、そこに感情の揺らぎは微塵も無く、些かの動揺も存在しない。ただ、周囲でうろたえながらも臨戦態勢を整える狩人達が…いつもの仲間達でない事だけが、僅かに残念と言えば残念だが。その手は既にボウガンを構え、ポーチの弾薬を忙しくまさぐる。
 かくして幾度目かの寒冷期が過ぎ去り、幾度目かの繁殖期が訪れた。だが、狩人達の生が終わる時には、何かが始まることは無い。昇り始めた太陽を喰らい尽くすように、浮上した巨躯で覆ってしまった漆黒の角竜は…暁の空に吼え荒ぶと、ゆっくりと狩人達へ振り返った。

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